依々


夕食の席で突然姉が「グラスホッパーとテレポーターどっちがいいと思う?」などと問いかけるものだから、思わず反射的に「姉ちゃんのスタイルならグラスホッパーでもいいんじゃない? オレは被るの嫌だけど」と答えてしまった。彼女がボーダーに入ると言い出したときのことを思い出す。あのときもたしか、「スコーピオンとアステロイドどっちがいいと思う?」と尋ねられて「姉ちゃんの性格ならスコーピオンがいいんじゃない? オレは被るの嫌だけど」と答えたはずだ。

あのときも今も、やはり姉は同じ反応をした。「だよね。私もそう思う」そう言ってかつてはアステロイドを選んだし、今回もきっとテレポーターを選ぶのだろう。第一に、彼女が弟にそういう尋ね方をするときは、おおよそ彼女の中で答えはもう決まっている。単に駿の意向を確認したいだけだった。

「ていうか姉ちゃん、オプショントリガー使ってなかったの」勝てるようで勝てない、少し前からポイントの獲得が滞りうだつの上がらないB級隊員に甘んじていた姉だったが、正隊員でオプショントリガーを運用しない者は珍しい。てっきりなにかしらを使っているとばかり思っていた駿は、驚いたのであろうが、ハンバーグをつついていた手を止め姉の顔を凝視した。姉は姉で、照れ臭いように苦笑を浮かべている。

「色々試してはみたんだよ。テレポーターもグラスホッパーも使ってみたけど、いまいちぱっとしないっていうかさ。カメレオンもあれ難しいよね、使いどころが」そう答えた。忌憚のない返答だった。

「そりゃ風間隊みたいに使いこなせって方が難しいでしょ。オレとか姉ちゃんみたいなバカには無理だって」
「私をバカって言うのはやめなさいよ」
「いや、姉ちゃん頭いいけどバカだもん。オレ知ってるんだよ、この間テレポーターで飛んだ先が川の中だったって話」
「ちょっとやめてマジで恥ずかしい。ていうか、私がテレポーター使おうとしてるの知ってるんじゃんか」

誰だよバラしたの。毒づきながら姉が肉をひとかけ頬張った。

両親はもう夕食を終え床に就く就いている。どちらかが黙ると食卓は静かになった。駿は防衛任務で、優は個人ランク戦で、ちょうど帰宅時間が重なった。普段はどちらか先に帰っているものだから、こうして同じ時間に食卓につくのは久々のことだった。どことなく、静まり返った空気がもどかしく、姉の喉が肉を飲み下す頃のを待って駿が口を開いた。「まあでもさ、もうすぐマスターランクも近いでしょ。そろそろメインで使うオプションを決めてもいいよね」

「そうなのよ」今度は駿がハンバーグを口に運ぶ番だった。「この間、嵐山くんにも同じことを言われたわけ。そろそろ戦闘スタイルも定まってきたんだし、試行錯誤してみた方が戦略が広がるからって」
「えっ、ちょっと待ってよ。姉ちゃんあの人と仲良かったっけ?」
「駿ちゃん飲み込んでから話してよ」

姉の発言に驚きを露わにする他なかった。言わずもがな慌てた。大急ぎで咀嚼、むせかけながらも嚥下して、今度こそ「オレ聞いてないんだけど」と食ってかかった。駿が前のめりになるものだから、食卓の向かいで姉がのけぞった。「そりゃ言ってないからね。言わなきゃならないって訳でもないし」

「言ってよ」駿が唇をとがらせた。見るからに不服な様子がおかしかったが、すんでのところで姉は真顔を保っていた。笑い出しては駿の機嫌を損ねてしまう。

「わかる? オレの知らないとこでオレと姉ちゃんの共通の知り合いが増える気分」
「そんなの、私がボーダーに入るって決めたときからわかってたことじゃない。何をいまさら」
「本部に行くたび授業参観みたいなもんなんだよ」
「駿と比べられるこっちの身にもなってよ」
「そんなのオレなんて物心ついたときからだし」
「それはごめん」
「いいよもう」

はあ、と溜息をついて、いかにも仕方ないなというような風に、駿が言う。「でも本当にさ、微妙な気分になるんだよ。特に嵐山さんとかさぁ」

「どうして」
「姉ちゃんああいうタイプ嫌いじゃないでしょ」
「いきなり生々しいこと言うのやめてよ」
「超ヤダ。姉ちゃん不潔」
「そういうんじゃないし! そもそも仲良くもないし」
「仲良くないの?」
「たまにお互いのきょうだい自慢にはする」
「仲良いじゃん! ヤダ〜〜〜! も〜〜〜〜〜〜!」
「思春期の男児は面倒だなあ!」

ていうかそもそもボーダーに入るのなんか反対だったし、とかなんとかブツクサ垂れる駿に「そうだったねえ」と返すような姉が、弟の真意を知っている訳がない。

「姉ちゃんなんかそのままどの隊にもハブられてればいいんだ」
「心に刺さる嫌味はやめて」



それがつい、数ヶ月前のことだった。

駿は自分よりも後にボーダーに入隊した姉のことを舐めてかかっていたし、実際にポイントが6000を越えたころから姉の戦績が伸び悩んでいたことも知っていたものだから、オプショントリガーを覚えたところで何の足しになるのかとすら思っていた。実際のところ、テレポーターを使い始めた姉の姿を時折覗いては、頑張ってはいるみたいだなんて高みの見物もした。

完全に、舐めていたから、こうなった。

市街地を模した偶像の町並みの中、姉と弟が対峙する。模擬戦闘とはいえ、手抜かりがあるようなことがあってはいけない。動けなかった。まっすぐに駿を見据える姉の目を見返すことで精一杯だった。

ランク戦外の訓練として、同じA級の冬島隊と模擬戦闘を行うこととなった。ただでさえ縦横無尽に斜線を通してくる冬島隊はアタッカーの駿にとって苦手な相手に他ならないところ、射手のポジションにつく姉を目の前にしては、身じろぎひとつが命取りになる。

ーー誰だよ。姉ちゃんにテレポーターの使い方教えたの。

どうせ嵐山だろうが、と心の中で毒づくが、今更な話だった。テレポーターを使い始めてしばらくした頃から姉の戦績がいやに伸び始めたが、そのときにはもう遅かった。姉が、駿と同じく「身体で覚えるタイプ」であったことをすっかり失念していたのだ。気づいたときにはもう姉はマスターランクに達し、戦闘スタイルが馴染みやすいからと冬島隊に引き抜かれていた。どこの隊にも所属していないマスターランクの隊員なんて、戦力の足しにはうってつけ。納得のいく話ではあったが、納得したくなかった。

溜息しか出ない。冬島隊に入ってからというもの、姉は自分のテレポーターに冬島隊長のサポートを得て、メテオラとバイパーをバラ捲くスタイルを確立した。中距離から動きを牽制しながらメテオラで障害物を均していく。しまったと思ったときには当真に狙撃を食らった後。爆煙の中でも狙撃の精度が落ちやしないのだから当真の技術も恐ろしいが、癖のある隊員を使いこなす隊長も隊長である。そして眼前に優の姿があるということはつまり、今まさに自分がターゲットとして狙われているということ。


「……まさか姉ちゃんと真っ正面から戦うことになるだなんて思ってなかったよ」時間を稼ぐ他ない。腹をくくって口を開いた。隊服に身を包んでいても姉はいつもの姉らしい様子で「私だってそうだよ」とのたまう。

姉がトリオンキューブを生成する。読み合いになれば、おそらく姉が勝つ。一瞬の、賭けにも似た判断が命運を分けるということは痛いほどよく知っている。

「悪いけど私、容赦はしないからね」
「こっちのセリフだよ。姉ちゃんよりもオレの方が強いからね」
「まぁ、それも正しい」

ぱっ、と彼女の手の内でトリオンが四方に散った。弾道が尾を引く。変化弾が来る!

動きを止めればそこで死ぬ。それだけが頭にあった。バイパーが着弾するよりも、狙撃を受けるよりも速く。バックステップで距離を取り、足元にグラスホッパーを展開する。囮。弾丸が駿の鼻先を掠める。姉の手元に次弾が生成される。が、その姿がぱっとかき消えた。テレポーターだ、と判じた瞬間、そのほんのわずかな隙、グラスホッパーを踏みしめて高く跳ぶ、と見せて、さらに空中にグラスホッパーを展開する。テレポートで前進した姉が、自分の動きを読まれていたことを知った。駿は下向きの跳躍で急降下する。踏み切った脚が吹き飛ぶのを視界の端で目撃した。やはり狙撃が待っていた。

機動力を削がれたからには間違いなくここで落ちることになる。ならば目の前の姉を落として相討ちに持ち込む他ない。

ここからは、本当の賭け。グラスホッパーを次々に展開する。自前のテレポーターと冬島隊長のサポートで、ランダムな軌道で後退する姉を追いすがるように、着地地点から市街地の外壁に、空中に、地面に、跳び続けて距離を詰める。近距離に持ち込めさえすれば、姉よりも自分の方が動ける。腹を貫いて弾が通り過ぎていく。もう一度。跳ばねば。当真の狙撃に蜂の巣にされる前に。

後退しながらの姉の変化弾は、駿の動きを捉えられずに掠める。脚や腹からトリオンが漏出し続けていた。どうせ長く持たないのは、この布陣になった時から知っていた。

地面に、空中に、跳ぶ。そしてまた着地。瞬く間に姉の背後を取り、横薙ぎに一閃。駿のスコーピオンが姉の胴を捉えたのと、姉の放ったバイパーが駿に襲いかかるのがほぼ同時。一拍遅れて駿の頭部に狙撃が着弾。ベイルアウトは同じタイミングだった。

ボスン、と背面に柔らかい感覚があって、離脱が完了したことを悟る。冬島隊と当たるといつもこうだ。強いのと卑怯なのはよく似ている。

模擬戦が終わったら姉と、嵐山に言おうと思った。「テレポーターは卑怯だ」


結局、アタッカーを欠いて冬島隊には追いつけなかった。冬島隊長を追い詰めるところまではいったようだけれど、それも罠。当真の狙撃に削られて終わった。

失意にも近く、肩を落として部屋を後にすると、ちょうど姉と出くわした。嵐山も一緒に。姉と仲睦まじく話をしている彼の横っ腹を、助走つきでどついたのは言うまでもない。

どすっ、と鈍い音がしたのち、嵐山がうっと声を上げて上体を折った。姉はその様子にけたけたと愉快そうに笑って「お疲れ様。機嫌悪いね?」とのたまう。「当たり前でしょ」と返すと、いててと呻きながら嵐山が身を起こし「いい戦いぶりだったぞ」と言う。どついたことを咎めないのがむしろ癪に障る。「姉ちゃんにテレポーター教えたのあんたでしょ。ほんっと参るよ」

「使いたいって言い出したのは優だぞ? 俺は特性を教えて、試し相手になっただけだ。さすがきょうだい揃って飲み込みが早いな」脇腹をさすりながら嵐山が言う。本心からの感嘆だろう。嘘をついているような顔ではない。褒め言葉の巻き添えを食って、それでも嫌味を言う気にはなれなくて、眉を寄せて「まあね」とだけ返した。精一杯の強がりである。

「姉ちゃん、オレ今日防衛任務ないから。このまま家帰るけど姉ちゃんはどうすんの」
「明日早いから、今日は帰るよ。実家には今度寄る」
「……そう」

姉がA級に上がってから、彼女は実家を出た。コンスタントな収入を得てから一人暮らしを始めたのだった。A級の、それも上位ともなれば、防衛任務の手当ても含めてまとまった金額になった。

独り立ちも考えなきゃね、と言っていた、姉の複雑な顔が思い出される。苦々しい毒気が腹の中に渦巻くが、姉や嵐山の前でそれを吐き出すのはプライドが許さなかった。そのおかげで姉を引き止めることができなかったのだから、プライドというよりも可愛げのなさと言った方が正しいかもしれないし、もしくはただの逆恨みでもある。置いていかれたような疎外感が胸に降り積もる。顔をしかめた駿を姉が覗き込み、どうしたのと尋ねる。何度かのためらいののち、抱えかねた感情を取り落とすかのようにつぶやいた。「オレが教えたらよかった。グラスホッパーも、スコーピオンも」

俯きがちに覗き見た姉は、さみしげに笑っていた。「教えてよ。いつだっていいんだよ」

姉の顔色をそれ以上伺いたくはなくて、目を逸らしたところで頭を撫でられた。掌の主は嵐山だった。犬っころでも撫でるように、それにしては随分と神妙な様子だった。そういう人間だから、きっと彼が選ばれたんだろう。嫌になる。最悪な気分だ。嵐山に促されて駿はゆっくりと頷き、「せいぜい強くなってよ。じゃないと困る」と言った。面と向かって口にすることはないにしろ、本当はボーダーなんかに入って欲しくなんかなかった。どう転んだって、姉は身内のために身を投げ出すのだから。自覚があるのかないのか、姉も困ったように笑っている。

溜息の代わりに、二度頷いた。「言っとくけどオレ、教えたことなんかないし、きっとヘタクソだと思うよ」
「予想はできてる」
「そもそも冬島隊の戦術にアタッカーの必要性はないし」
「鍛えるのは自由だよ」
「オレより強い人だってたくさんいる」
「それでも教わるなら、駿がいいな」
「厳しいと思うよ」
「頼りにしてる」

今度こそしっかりと頷いた。嵐山まで満足げな顔をしているのは、見ないふりをした。それだけは譲れない。



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