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少女漫画


ごくりと喉を鳴らしてページを捲り辿り着いた、とある男女のワンシーン。人気者の青年が何の取り柄も無い少女に愛を囁く、物語の終章。
青年と結ばれるという最高に幸せなハッピーエンドを迎えた少女は嬉し涙を流していた。なんてロマンチックな展開なのだろう。感動のあまり溜め息を洩らしてから、私は読んでいた少女漫画を閉じた。ヒロインの恋の成就が自分に起きた出来事のように感じて暖かい気持ちを育んでいく。

放課後の教室は漫画を読むには打ってつけの場所だ。閑散としていて滅多に誰も入って来ない。
自席近くの窓から見える外の景色が私のお気に入り。ここで夕陽を見ながら、話を回想するのが最近の楽しみとなっている。


「名字さん」


一人の世界に浸っていると、突如穏やかなテノールボイスが私の意識を引き戻した。聞き覚えある声が私の制服に染み込んでいく。射し込む夕陽とのコントラストで濃くなっている人影が、机上を暗くした。


「…ひ、氷室くん?」


顔を上げた先では、クラスメイトの氷室くんが少女漫画の表紙を覗き込んでいた。私の間近に、彼の艶やかな黒髪が映る。驚愕により叫びそうになるのを食い止め、疑問符を添えて私も彼の名を口にした。
氷室くんは漫画のヒーローと遜色無い、アバウトに凄い人。そして、夢見がちな私が密かに想いを寄せている相手だ。流暢な英語を話し、整ったフェイスは女の子達の心を鷲掴み、バスケ部では周りを魅了する華麗なシューターで……彼の素晴らしさを挙げたら切りが無い。そんな彼に突然話しかけられて泰然と受け答え出来るスキルが私に備わっているはずも無く、とりあえず首を縦にコクンと一回振る。氷室くんは相槌を打って静かに笑った。折角の機会、何か話さなくてはと部活の事を訊ねれば、今日は休みなのだとさっきの声が降りてきた。


「自主練を終えて帰ろうとしたら、忘れ物に気が付いて」

「そうなんだ…。あの、お疲れ様でした」

「ありがとう」


休みの日も努力している彼に、過去に読んだ少女漫画のヒーローを重ねてみる。確かあの話も、主人公達が結ばれて終わっていた。ありきたりだけど、とても良い結末の純愛。現実も漫画みたいな終わりが見えていたら怖くないのに。

氷室くんは窓辺に体を軽く預け、私の手に納まっている少女漫画を目でとらえていた。


「名字さん、よく授業中に読んでいるよね?その本」


好きなの?と言われて顔が集中的に火照る。変に動転してしまった自分が恥ずかしい。頷いて、教科書を楯に漫画を読み進めていた自分を思い出す。先生や隣席の人ですら気付かなかったから油断していた。まさか好きな人にバレていたなんて…格好悪い。


「ねぇ、少し見ても良い?」


表情を緩め首を傾げた氷室くんの動きに合わせて、前髪がさらりと揺れる。私は予想外な頼みに若干戸惑いつつ、手の震えが伝わりませんようにと願い、少女漫画を氷室くんへ差し出した。私の手から氷室くんの手へ漫画が渡る。僅かに触れた指先が熱を含んでいく。

パラパラとページを進め始める氷室くんに、私は釘付けになった。
美しい。彼の仕草はその一言に尽きる。ヒーローに相応しい彼だから、どんな事でも絵になってしまうんじゃないかな。見つめられているのは少女漫画の方なのに、まるでその視線が自分に向けられている気がして心臓の音がどきりどきりと身体に響く。いつ氷室くんがこっちに振り向くか解らないのに、私はずっと綺麗な横顔に見とれほうけていた。時々聴こえてくる感嘆が、私の耳を刺激する。
洋書をたしなむ王子様みたい。思わずそう感じてしまう。結局私は、氷室くんが最後のページを閉じるまで目が離せないままだった。


「そんなに見られてると緊張するな…」

「あ……」


手を止めた氷室くんが、私を見つめ返してきた。私はそうっと彼の顔から焦点を外していく。


「ごめん…、何でも無いから…気にしないで」

「そう?…これ、ありがとう。素敵な話だった」


このヒーローは正義感がある、と氷室くんの指がトンと表紙の男の子を差した。話を共感してもらえた事で、強張っていた肩の力が少し和らぐ。


「でもヒロインは…、名字さんの足元にも及ばなかったよ」


趣味を解ってもらえて嬉しいと言おうとする前に聞こえてきた力強くて芯のある言葉。私の呼吸がはたりと止まる。真剣そのものの表情をした氷室くんと視線が交わった。


「意味が、解らないんだけど…」

「名字さんの方がずっと可愛いって事」


再び私の体機能全てが石みたいに固まっていく。内側から沸き上がる熱さに目が回りかけた。


「ほら、やっぱり可愛い」


近付いて繰り返す彼は、なんて狡いヒーローなんだ。演じてくれているだけかも知れないのに、容易く私の気持ちを高鳴らせて浮き立たせる。堪えきれなくなった私は暴れる胸に両手を押さえつけた。直に受けた衝撃は、少女漫画で感じる甘みとは比べ物にならないくらいの、ぐらぐらとした壮絶さを秘めている。


「そういう事、どうでも良い女の子に簡単に言ったら駄目だよ…」

「嘘じゃないから、良いだろう?」


氷室くんの顔が、無邪気で悪戯なものに変化していく。でも、からかっている様子は無くて何処か本気な瞳の色。




「オレは、どうでも良い子を授業中に眺めたりはしない」




ごくりと喉を鳴らして、ページを捲り辿り着いた、とある男女のワンシーン。人気者の青年が何の取り柄も無い少女に愛を囁く、物語の序章。

結末が全然見えていない恋だけど、今だけはどうか、私にハッピーエンドなヒロインを気取らせて。

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