船内で彼女に会った。彼女は寝巻きなのか、浴衣を着ている。彼女は無言でスタスタと俺に近づくと、そのまま俺の手を握った。突然のことに驚き思わずその手を振り払うと、彼女は顔を顰めた。振り払ったことに対して不快に思ったのだろうか。いきなり変な行動を取ったのは彼女の方なのに。
「いや、その、ごめん。びっくりして…」
 そう言うと彼女は首を振った。そして彼女は少し微笑んで、ゆっくりと口を動かした。どうやら何かを伝えようとしているらしい。
「えーっと…」
 なんとか読み取ろうと必死に彼女の口元を見るが、全くわからない。俺が中々理解できない様子を見て彼女は苦笑した。そして辺りを見回して、代わりに伝えてくれる人を探しているようだが見つからない。彼女は寂しそうに項垂れた。
「ごめん、な?」
 彼女は首を振った。少し寂しそうに、曖昧な笑みを浮かべながら。意思を伝えられないことが珍しいのだろう。話せなくても普段は精神感応を使って話しているようだし。
 しゃがむように指示をされ、その通りにすると彼女は俺の頭を優しく撫でてきた。
「お、おい?」
 彼女は自分の頭に両手を乗せて、その手をパタパタさせた。
「なんだよ、それ。うさぎ…いや、犬か?」
 正解だったようで、彼女は嬉しそうに笑った。伝わったことが単純に嬉しいのだろう。年相応の可愛らしい笑顔に少し心が和んだ。
「でも、なんで…って俺が犬っぽいって言いてーのかよ」
 そう言うと彼女はもっと嬉しそうな笑顔で首を縦に振った。馬鹿にされてる、のか?でも、どうも馬鹿にしているわけではなく、純粋にそう思っているらしい。
「何をしているんだい、深雪」
 彼女の頭を軽く小突いた瞬間だった。俺の目の前に兵部の姿が現れたのは。俺の行動を見て彼の顔が一瞬で顰めっ面になる。ヤバイ。本能的に危険を察知した。慌てて彼女から距離を取ると兵部は彼女の元に近寄り、彼女を護るかのように後ろから抱きしめる。
「…ヒノミヤ」
「いや、あの、これは…さっきここでたまたま会って話していただけで…」
 どう説明したらいいものか。取り敢えず、兵部が俺と彼女が話していたことに怒っている――つまり嫉妬していて、事実関係を確認するつもりはあるが、全面的に俺が悪者にされているようだ。いや、まぁ小突いたりした俺が悪いんだけどそれは、まぁ流れもあるし、なんというか、その。というか、話してたことになるのか、俺たち。
 どう説明しようか悩んでいると彼女は兵部に何かを送ったようだ。
「…深雪、僕は頼んでいない」
 さっき俺に伝えようとしていた何かについて説明しているようだが、どうやら彼女は俺の手を握って何かをしようとしていたらしい。
「……彼はただの無効化能力者だ。流体コントロールなんて出来るわけないだろう」
「おい、一体どういうことだよ」
 俺がそう言うと兵部は如何にも不機嫌な顔をしてこちらを見た。どうやら彼女のその行動が気に食わなかったらしい。彼女は一体俺に何をしたんだ?
「…君に説明する義理はない。彼女のことは教えられない」
「はぁ?独占欲もいい加減にしろよ」
「彼女は僕たちの”メシア”だ。君のような人間には足元にも及ばない存在なのさ」
 そう言って兵部は彼女を連れて昨夜のように消えてしまった。彼女――深雪の少し悲しそうな表情が一瞬だけ伺えた。
 彼女は、一体何者なんだ?資料に彼女の存在はなかった。だが幹部クラスなら目立った行動をしているし、パンドラの主要メンバーはおおよそデータが取れているのにも関わらず彼女は存在すら知らなかった。ユウギリもそうだ。だが、ユウギリとは違い兵部の見せる深雪への独占欲は少し異常なように感じる。それに、”メシア”だと?一体、どういうことだ。


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