「嫌い」

彼女は、自分のことを嫌いだと言った。ぽつりと呟かれた、学生同士の会話にありがちな言葉を俺は適当に流したけれど、知ってる。いつもの帰り道には、あまりにも重い。けど不似合じゃない、そんな奴だ。

けっこう前、中学の時に、1回だけ彼女と遊んだことがある。映画の試写会のチケットが当たったから、メールで遊びに誘った。その時俺は、彼女が俺に淡い恋心を抱いていたのを知っていたから、もしかしたらの事を1人で考えながらメールを打った。別に彼女が好きだったわけでも、恋人が欲しかったわけでもない。遊び心みたいなもんだったと思う。
映画の後、彼女の部屋に誘われて、内心どきどきしていた。メールを打った時よりもっと。でも、招かれた部屋はその時点までで俺が見てきた女の子の部屋とは全く別物で、出来上がっていたイメージをぶち壊した。ふわふわの縫いぐるみや、パステルのカーテンなんかは見当たらない。あると言えば、人形。外国人の少女を模した人形が棚に並んでいた。アンティーク、あるいはオモチャみたいな人形。

「人形、好きなんさ?」
「…分かんない」

なんだそれ。と返した後、彼女はぽつりと呟いた。その言葉が、俺の耳から離れることはこれからない。それくらいに印象深い、濁りもしない澄んでもいない、ただ真っ直ぐに光っていた双眸。


「人形になるの」
「…へ?」
「人形みたいに可愛くなったら、ラビくんもわたしを想ってくれる?」

年相応に色付くふっくらした頬に相応しない感情を抱く。恐怖だろうか、しっとりと背中のシャツが湿っていく。異様なこの空間にか暗い室内にか、飲み込まれて引きずられていった。



「入るさ」

ドアを開けると初めて見た時と同じ空間が広がっていた。部屋の大きさに対して大き過ぎるように感じる天蓋付きのベッドはあれから増えた数少ないひとつ。それに腰掛けて微笑む彼女はいつものように、黒いレースを目一杯あしらった洋服を着る。同色のニーソックスを履く。

「今日も家に居たんさ?」
「人形は外出しないんだよ」

あの言葉を聞いた時に感じた感情と共に、確かに俺は彼女に惹かれていた。人形になりたいと言った彼女に。俺は彼女に纏わりついて、放課後の下校も共にした。恋ではない、興味。人形になりたいと言った彼女に興味が湧いた。

だんだんと化粧をするようになった彼女。綺麗になった。
だんだんと外出をしないようになった彼女。肌は白磁みたいに透き通った。
だんだんと学校に来なくなった彼女。俺は毎日彼女を訪れる。

そしてだんだんと、見せる表情も少なくなってきた。薄く笑った表情が張り付いたみたいに剥がれない。きっとこれから彼女は口数が減って、俺が来ても言葉を発しなくなる。日に日に人形に近付いていく様を観察し続ける俺。

『人形みたいに可愛くなったら、ラビくんもわたしを想ってくれる?』

別に俺は人形が好きな訳でも、まして人形みたいな女が好きな訳でもない。勘違いしてる、彼女が自分の理想に近付くことと俺が彼女を好きになることは、決してイコールで結ばれない。


「また部屋から出てないんか」

また明くる日も彼女を訪れた。天井から垂れる薄いヴェールから透けるシルエットはいつものようにベッドに腰掛けていて、彼女がそこに居るのは確かだった。…返事がない。

天蓋を引くと彼女は当たり前のようにそこに居て、当たり前のように笑っていて、当たり前のように言葉を発しなかった。

「これで良かったんさ?」
「こうなりたかったんさ?」

返事の無い問い掛けは暗い室内に吸い込まれていった。あちこちに置かれた人形は俺に返事をしない。

嫌い。
そう言った彼女がこうなることを予想出来なかったわけじゃない。むしろ、こうなるだろうと予想出来ていたからこそ止められなかった。あんなに明瞭な発音を彼女から聞いたのはあれが最初で最後。頑なな意志に邪魔を加えたくなかったなんて綺麗事は言えない。

「俺はお前を想ってない」

自分のことを嫌いだと、憎らしいと、殺してしまいたいと言った彼女は当たり前のようにそこに居て、当たり前のように笑っていて、当たり前のように言葉を発しなかった。
本当に当たり前のことで、まるで日常みたいだ。

ベッドの傍で膝を折って彼女と相対した。あの時見た瞳はもうそこには見えない。空虚だけがあった。白い足を全て真っ黒く染め上げてしまうニーソックスを脱がすことを、俺はしなかった。彼女の理想が完成した。瞬きをしない目は彼女が本当にこうなりたがったのか、教えてくれない。



ラビ×ニーソ
100606かける



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