「ユウくーん」

ああ、そうか。もうこんな時間か。壁に掛けてある時計を見ると針はぴったり7と12の文字を指していた。上着を手に取って玄関を出ると、もうとっくに春は来ているというのにチェックの長いマフラーをぐるぐるに巻いたちっさい女。手にはそいつの足下に居る、こいつみたいにちっさい犬の首輪に繋がった綱がしっかり握られている。

行こっか、こいつの高い声を合図にしたように座っていた犬がちょこちょこと4本の足で歩き出した。ふわふわの尻尾が揺れている。俺はこいつらの3メートルくらい前を離れて歩き出す。

「毎日ごめんね、1人でも大丈夫なんだけどなあ」

「お前はぼけっとしてて危なっかしいからって、おばさんに頼まれてる」

それに、もう日課だ。
言うと、小さく笑ったような声がした。
犬の散歩と少ない会話、最初は月に1回、だんだん増えてきて週に1回3日に1回と、気付けば俺とこいつの7時は犬の散歩の時間になっていた。家が近いっていう理由だけでこいつとこいつの犬に付き合って散歩させられることに不満があったし、不機嫌さが態度に出ていたのか、振り向く度に無理矢理に笑わせたような顔を見るのに酷く苛立った。そんな時間を繰り返していてもこいつは毎日ぴったり7時に俺の家の前に来て俺の名前を呼んだ。嫌で、苦しい時間なら来なければ終わるだけのことだったのに、毎日来た。神田くん、と俺の部屋に向かって声を出した。こいつの俺の呼び方が神田くをからユウくんに変わったのはいつだったか、そう遠くはなかった気がする。はにかんで笑って、ふわふわの髪を揺らしていた。それからはずっと、こいつは笑っているように思う。

「ねーユウくん」

1人昔の記憶と一緒に流されていた自分に気が付いて、なんだ、とすぐに返して振り向いた。

「ユウくんもさ、一緒に隣で歩こうよ」

理由、急に何を言い出すのかと口に出す前にこいつは続ける。今日はいつもより少しだけ良く喋るなと思った。何故かなんて気にしなくて良いと思った。こいつの口に出すユウくんという言葉は、いつも少しだけ優しいような気がした。


「ユウくんが隣に居るとさ、マフラー一緒に巻けるし、手も繋げるじゃん。その方が、寒くないよ」

恋人みたいだけどね、と。やっぱりいつもみたいにはにかむ。笑うこいつに、目は多分丸くなった。頬は色付いた。心臓は忙しなく動き出した。急いで前を向いて顔を隠した。

なんだ、それ、と、肩越しに平静を装ってはみるものの、小さく笑ったような声がした。小さい靴音と一緒に小さい足音が近付いてくる。ふわふわの尻尾が揺れている。ふわふわの髪も揺れている。心臓は、どきどきしている。



ふわふわどきどき
090331かける


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