Words Palette@torinaxx
6
一つだけ欲張りたい
狡噛慎也(行動課)
沈み込む
見上げる瞳
下手
Templated
by Sicknecks
チャンスだと思った。
いかに下心を勘付かれることなく部屋に誘い出そうかとここ数日考えていた手間が、まさか向こうからの声掛けによってあっさり省けるなんて。これはもう実行に移す時が来たのだと思わずにはいられない。
先日起きた事件に関わっているであろう人物と狡噛さんが対峙した際、相手が著書の引用をしていたと言っていた。それに関して詳細を調べたいが自室のPCが壊れているから貸して欲しいと言ってきたのがつい数時間前の話。読書はあまりしないせいで肝心の調べ物に関してはまるで役に立たないが、正直そんなことはどうだっていい。実際ずっと検索している横で画面を眺めていただけだし。
私の脳内は目の前にいる男にどう迫るか、それだけに集中していた。
「おい、聞いてるのか」
並んでソファーに座り、前屈みでPCを見ていた狡噛さんが訝しげな表情を私に向ける。間接照明のみで照らされた静かな室内で彼の輪郭がぼんやりと縁取られている光景は、どうにも妙な雰囲気を感じてつい邪念だらけになってしまう。
さっきから何やらぶつぶつと独り言をこぼしながらPCとにらめっこをしていたようだが、私は私で別のことを考えていたため彼の言葉はすべて右から左に流れていた。意見を求められたところで生返事しか返せないのはわかりきっていたことだ。
「全然聞いてませんでした」
「だろうな。見るからにうわの空って顔してたぞ」
呆れたようにため息を吐いた狡噛さんは、休憩とでも言うように手元にあったカップに口を付ける。それからふぅ、と短い息を漏らしてソファーの背に体を預けた。
「その様子じゃ事件とは無関係なことでも考えてたか?」
フッと口端を上げるその笑みは、きっと私がくだらないことでも考えているとでも思ってるのだろう。私にとっては全くもってくだらなくない、大真面目なことなんだけれど。
「ええ、まあ。どうやって狡噛さんのこと押し倒そうかなぁって」
「疲れてるならそう言え。別に無理にあんたを付き合わせる気はない。もう時間も遅いしな」
「冗談なんかじゃないですよ」
手を伸ばして押し倒そうと肩を押すも、鍛え抜かれた彼の上半身はびくともしない。それどころかそのまま抱き止められる形になってしまい、狡噛さんの大きな手のひらが腰に添えられる。これはこれで悪くないんだけど……いま私がしたいのは逆のことだ。
「どうした?」
「……そこは押し倒されてくださいよ」
「一体何を考えてるんだ」
「だから押し倒したいって言ってるじゃないですか」
むぅとした表情で至近距離で目を合わせるが、相変わらず狡噛さんは素っ気ない。このまま勢いで唇を奪ってしまいたいなんて思うが、それはそれで何だか面白くない、ともう一人の私が脳内で意見する。
今度こそ肩に思いきり力を入れて上半身ごと倒すようにぐいと押せば、早々に観念したのか強靭な体躯がソファーへと沈み込む。
普段なかなか見ることのできない私を見上げる瞳に呼吸が浅くなり、体の内側から血の滾る感覚が支配していく。
「まさか私が本当にPCを貸すためだけに招き入れたとでも?こんな時間に上がり込んでおいていささか無防備すぎなんじゃないですか?」
私の部屋に関連する資料やデータがあるわけでもないし、ましてや私が小説の類いに無知なことは狡噛さんだって知っているはずだ。それなのにわざわざ私に声を掛けてきたのだから、そう捉えられても文句は言えないと思うんだけど。狡噛さんのことだから本当に何も考えていないことも充分有り得るけれど。
「つまりその見返りにみょうじの相手をしろと?」
「さすが、話が早いですね。でも無理やりは趣味じゃないので狡噛さんの意見を聞かせてください」
昔の法律ではキスをするのも合意のもとでなければ犯罪だと言っていたし。なんてもっともな理由をつけている辺り、どうやら私の理性は意外と強いらしい。
反応を窺うようにシャツの上から彼の体に指を這わせる。首筋から、呼吸で上下する胸、太く引き締まった腰。それでも狡噛さんの手は私の腰を抱いたままただじっと見つめてくるだけで何も言ってこない。
「……抵抗、しないんですか?」
「して欲しいのか?」
「狡噛さんのくせに生意気、」
好きとかそういう恋愛感情なんかわからなさそうな顔をしておいてずいぶんと余裕ぶったことを言う。こうなったらもう我慢はしない。どうなっても知らないんだから。
狡噛さんの言葉を肯定と捉えた私はそのまま己の欲望を彼の唇にぶつけた。
吐息を分け合うようにじっくり、ゆっくり、角度を変えながら、体全体で味わうように深く長く。
頬に手を添えてより深くまでその熱を感じようと舌をねじ込めば、それまで受け身だった狡噛さんが絡め取るように舌を動かしてきた。さらに腰をぐっと引き寄せられ、頬に触れていた手を取られる。急に与えられた刺激に思わず体が強ばるが、同時に中心部が熱くなる感覚に自分がひどく興奮していることがわかった。
「はぁ……」
しばらくして透明な糸が落ちるように離れていく。恍惚とした状態でただただ狡噛さんを見つめていれば、微かに艶がかかった唇が舌なめずりをして口を開く。
「あんた、本当はこういうの慣れてないだろ。ぎこちなさが舌使いに出てたぞ」
「う、うるさいっ。そういうこといちいち口に出さないでください!」
何その自分は経験豊富ですみたいな言い方。実際どうなのかは知らないけど、上手いと感じたのは事実だから指摘されて恥ずかしいやら悔しいやら。確かに自分からこういうことをしたのは初めてだけど、私だってそれなりに経験はあるんだから。それなりには!
それにしてもキスした直後に堂々とこういうことを言ってくる辺りがなんとも狡噛さんらしい。もちろん褒めてはいない。
「……下手ですいませんね」
ふん、と鼻を鳴らして覆い被さっていた上体を起こせば、同じく上体を起こした狡噛さんがまるで子供をあやすように私の髪に触れる。
「拗ねるなよ。別にからかってるわけじゃない」
「じゃあなんだって言うんですか」
「いや……積極的なわりに意外とウブな反応するから可愛いなって思っただけだよ」
「っ、はあ!?」
なんなんだこの男は。何を言うかと思えば可愛い?一体どこまで私の気持ちを振り回せば気が済むんだ。
もし仮に私が今ここで堂々と好きだと告白しても、きっと私が求める意味での答えは返ってこない。キスを受け入れておいてまるで意味のわからないことだと心底思うが、彼ならありえてしまうのが恐ろしいところだ。キスという直接肌が触れ合う行為なんて、一定の好意がなければそう簡単にできることではない。狡噛さんは人に対する感情のハードルがきっと低いから、相当な嫌悪感を抱かない限りはそういうこともできてしまうんだろう。
言葉だけ聞けば女たらしのそれに聞こえるはずなのに、不思議と最低な奴だとはならないのは彼が持ち合わせている絶妙なバランスの性格ゆえか。きっとこういうのが“ハマってはいけないと知りつつもハマっていってしまう”という感覚なのかもしれない。
「……じゃあキスの先も相手してって言ったら応えてくれますか」
「女が軽々しくそういうことを口にするもんじゃない」
「それ、狡噛さんだけには絶対に言われたくないです」
自分は好きかどうかもわかってない相手とのキスを、拒むどころか受け入れておいて何を言うかという話だ。それなのにその先は受け入れる気がないのだから、誠実なのかたらしなのかわからない。
「……迫られたら相手が誰でも受け入れるんですか」
「そりゃ心外だな。俺にだって好みくらいはある」
「…………」
「何か言いたそうな顔だな?」
「……別に?」
そんな風に言われても都合よく受け取ることができず素直に喜べないのは、本当に知りたいのが触れる温度や感触なんかじゃなくてその心だから。
――それって好きってことなんじゃないんですか。
口に出して聞けないのは狡噛さんの口から「わからない」と言われるのがこわいからだ。いくら直接触れられても肝心の心が見えないんじゃ、いつまでも本当の意味で近づけない。
そんな彼に対して「好き」という直接的な言葉を切望してしまう私は、きっと自分が思っているより純粋で欲深い。
2023/07/02
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