midnight



Words Palette@torinaxx

1
臆病な温度
狡噛慎也(監視官)

二人きりなら
心臓の音
合言葉


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by Sicknecks



「なまえちゃん、狡噛さんの教育係は順調そー?」
「順調どころか教えることがなさすぎてむしろちょっと物足りないくらい」
「狡噛さん、優秀すぎてつまらない人……」
「それはそれで仕事しやすいからいいんだけどね」

 三係のオフィスにて――束の間の休息時間に女子メンバーが揃うと、自然と話題は私が教育係を務めている新人監視官の狡噛くんに集中する。
 全面ガラス張りの窓には大粒の雨水が張り付いていて、まだ日没前だというのに外はすでに暗くなっていた。このまま勤務時間が終わってくれればいいんだけどな……なんて空を見上げながらコーヒーを啜る。和久さんと狡噛くんは外に出ているらしいが大丈夫だろうか。
 公安局始まって以来の優秀な成績で入局した狡噛くんは初々しさはあるものの、良くも悪くも新人感というものがない。たまに突っ走って周りが見えなくなるきらいがあるが、むしろそこが微笑ましい。何はともあれ、手がかからないことに越したことはないのは事実だ。

「なまえちゃんの後ろにくっついてる時の狡噛さんってなんか大型犬みたいで可愛いですよね〜」
「大型犬なのに可愛いの……?」
「名前で呼んでるのは懐いてる証拠。ワンッ」

 真顔で犬のポーズをする翼ちゃんについ耳が付いた狡噛くんを想像してしまう。……確かに可愛い、かも……。
 最初は普通に名字で呼ばれていたが、ある日の出来事を境に――二人で局内を歩いていた時、私が何もないところで足を躓かせて転びそうになったところを咄嗟に狡噛くんが助けてくれた時だった。「意外です。みょうじさんも案外抜けてるところあるんですね」なんて言われて、先輩としての威厳を一気になくした気がしてちょっと不服だったからよく覚えている。
 その一件から危なっかしいと思われたのか、妙に近くなった距離感とともに名前で呼ばれるようになった。呼ばれた時は一瞬引っかかったけど別にやめろと言うほどのことでもないし、悪い気もしないからそのままにしているけれど。

「えっ、もしかしてお付き合いしちゃってる感じですか!?」
「してないよ」
「でも狡噛さんってカッコイイし優しいしたまにちょっと天然なところがイイ感じしません?」

 そう言われて佐々山くんにからかわれていた時のことを思い出す。何でもかんでも真に受けて逆にちょっと心配になるレベルだな、あれは。まあそんなところが放っておけなくて可愛い……なんて、思わないこともないけれど。

「なまえちゃんとも結構お似合いだと思うけどなー」
「同感。なまえさんといる時の狡噛さんはいつもしっぽ振ってる」
「それって好き好きアピールしてるってことかな!?」
「無きにしも非ず」
「えー!じゃあじゃあ!なまえちゃんは刑事課の中なら誰がタイプ?」
「……真流さんかな」
「なまえさんも面白みのない人……?」
「今の流れに面白い要素必要?」
「「そこはねぇ?」」

 合言葉のように声を揃えて顔を見合わせる二人にため息が漏れる。こうして三人で揃うと何かと私が標的にされるのはなぜなのか。最近やたらと二人からの妙な圧力を感じるのはきっと気のせいではないはず。……もしかしてバレてる?まあ正直、女癖の悪い佐々山くんに絡まれるよりは全然マシだけど。

『あの……』

 そんなとりとめのない雑談の中に突如この場にいない人物の声が聞こえてきてびくりとする。オフィスの入り口を見ても誰もおらず、まさかと思ってデバイスに目をやってみれば狡噛くんのデバイスと音声機能がオンになったままの状態だった。

「こ、狡噛くん?え、なんで?じゃなくて何かあった?」
『渋谷の廃棄区画で事件です。地図と詳細を送るので至急天利と花表と一緒に現場に来てください』
「了解。すぐ行く」

 ガールズトークはここでお開きだ。通信を切って三人でオフィスを飛び出して行く。
 ていうかこれ、もしかしなくても聞かれてたよね……?普通に仕事の会話とかならまだしも、いわゆるガールズトークを聞かれていたと思うとちょっとだけ気まずいな……。



「では通信で確認した通り僕と天利さんと花表さん、みょうじさんと狡噛くんの二手に分かれましょう」

 早速狡噛くんとペアを組んで廃棄区画内を捜査するも、先程よりも雨脚が強くなったせいで正直捜査どころではない。傘を差していても風が強くなって裾やらが濡れてしまえば、いよいよ雨避けの意味も成さなくなってくる。少しでも気を抜いたが最後、緩んだ手元から傘が宙を舞ってあっという間に飛ばされていく。

「あっ……!」

 ものの数秒足らずでまるでシャワーを浴びたかのような量が全身に降り注ぐ。せっかく朝セットした髪も一瞬で台無しだ。

「大丈夫ですか」

 狡噛くんがすぐに自身の傘へと引き込んでくれるも時すでに遅し。前髪に張りついた滴が目に入りそうになって慌てて手で拭っていると、腰を引き寄せられて密着するように距離が近づく。見上げると思った以上に狡噛くんの顔が近くにあってそっと息を呑んだ。

「とりあえずそこのビルの中に入って一旦休みましょう」
「ごめん……拭いたらすぐ戻ろう」

 肩を抱かれるようにして狡噛くんと近くの廃ビルに駆け込んだ。
 昔ながらのバーのような名残がある店内は長い間使われていないようで老朽化が進んでいた。ほこりの被った室内は空気が淀んでいたが、室内へと足を踏み入れるだけで雨が凌げるとなればさほど気にならなかった。外の雨音が一気に遮断されて静かな空間へと変わっていく。
 やっと落ち着けたことに安堵のため息を吐いて体の粒をハンカチで大雑把に払っていると、徐に狡噛くんが近づいてきて流れるような手つきで髪にかかった雫を優しく払った。

「そ、そこまでしてもらわなくても大丈夫だから……」
「長い時間放っておくと体温奪われて風邪引きますよ」

 最もなことを言われてしまい何も言えず口を噤む。レイドジャケットを羽織っているとはいえ、あの一瞬で水を被ってしまえばスーツにまで侵入するのは阻止できなかった。

「ごめん、ちょっとレイドジャケット脱いでもいいかな。スーツまで濡れて気持ち悪くて」

 断りを入れてジャケットを脱ぐと少しだけ不快感が和らいだ。しかしシャツにまで染み込んだそれについ無意識に襟首を掴む。パタパタと仰いでいると、何となく視線を感じてそちらに目をやれば狡噛くんの目線がそこに集中していて思わず動きを止めた。

「あんまり見ないで……」

 恥ずかしくなって背を向けながら新たに発生した別のものを逃がしていると、ふと背中に彼が着ていたレイドジャケットが掛けられる。それからすぐにまた別の温もりに包まれてびくりと肩が跳ね上がった。振り向かなくともその正体が何であるかは、背中越しに伝わってくる微かな心臓の音が示していた。

「ちょ、ちょっと狡噛くん?濡れちゃうから、」
「俺のことは気にしないでください。それよりもなまえさんに風邪引かれる方が困ります」
「だからってこんな……」

 離れようと肩に回っている腕に手をかけるもその手を取られ、あまつさえ包み込むようにぎゅうと握られてしまえば無理やり引き剥がすことなんかできなくて。二人きりになることなんて今に始まったことじゃないのに、こんな風に触れられたら嫌でも異性として意識せざるを得ない。
 雨が地面を叩きつける音だけがやけに耳に響く。時折吹き荒れる風はまるで今の私の心情を表しているようだった。

「……そういえば、デバイス越しに天利たちとしてた会話」
「ん?」
「俺のこと話してましたよね」
「ああ……でも決して悪口とかじゃないからそこは誤解しないで」

 抱きしめられた状態のまま、狡噛くんが思い出したようにあの時の会話を話題に出す。平静を装って返事をしているが、内心では意識が背後にしかいかなくて気が気でない。声、上ずったりしてないかな。

「知ってますよ、聞こえてたので。それで……真流さんがタイプって話本当なんですか」
「気になるのそっちなんだ」
「そんな話今まで聞いたことなかったので」

 そう答える狡噛くんの声が拗ねたように聞こえるのは気のせいだろうか。まあ私もその場を取り繕うために咄嗟に答えたから深く考えていたわけではないけど。

「半々かな。仮にタイプだとしても好きになるかどうかはまた別の話だよね」

 ただでさえあの二人が言わんとしていることを感じているのに、あの場で馬鹿正直に答えようものなら確実に食いついて追及されるのは目に見えていた。おまけに狡噛くんに会話を聞かれていたことを考えると下手なことを言わないで良かったと心底ホッとしている。真流さんの名前を出したことに少しだけ申し訳ない気持ちになるけれど、タイプというのは嘘ではないからどうか許してください、と心の中で手を合わせる。

「他に好きな人がいるんですか」
「それはっ……内緒。ほら、そろそろ捜査再開しないとだから」

 後ろから顔を覗き込むように近づいてきた狡噛くんから慌てて距離を取るようにして腕の中から逃れる。しかしその腕が今度はすぐさま手首に張り付いて離れない。
 背中に冷たい空気がかすめていって少し肌寒さを感じたことに、あながち狡噛くんのやっていたことは間違っていなかったんだな……なんて頭の片隅で考えている私はすでに何かの熱に侵されているのかもしれない。

「教えてください。俺なまえさんのこともっと知りたいです」
「だから内緒だって――」
「じゃあ本気でなまえさんのこと狙ってもいいですか」

 じりじりと距離を詰められてその分後退りすれば、行き止まりを知らせる壁が背中に当たった。それでもなお近づいてくる狡噛くんから逃れる術を私は持っていない。壁に手をつかれようものならもう諦めるしか道は残されていなかった。
 真剣な瞳と目が合って緊張が走る。手が掛からないと言ったが、ひとつ訂正するならば彼は賢いのに待てができない困った大型犬だということだ。ここまで来てしまったら私はもうダメかもしれない――力のあるグレーに吸い込まれそうになりながらぼんやりと思っていた。

「俺取り調べで被疑者落とすの得意なんですよ」
「それとこれとは話が別でしょう」
「なまえさんも口説いたら落ちてくれますか」
「……そう言われたら抗うよ」
「じゃあ絶対に口説き落としてみせます。だから覚悟しておいてください」

 微笑んで宣言されるが、どうせ拒否したところで狡噛くんは素直に聞くような人じゃない。それに私自身が自分の気持ちを理解している以上、最初から断るつもりもない。彼に迫られている時点で半分落とされているようなものなんだから。
 つまり狡噛くんがどう口説こうが、最初から結果はひとつしかないんだよ。


2023/06/04



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