midnight



Words Palette@torinaxx

15
愛で手懐けて
狡噛慎也(執行官)

見えないところ
理性と欲望
窺いながら


Templated
by Sicknecks



 微かなシャワー音が脱衣所から聞こえてきて、眠っていた意識がゆっくりと浮上していく。
 宿舎の自室ではあるが、いつもとは違うテイストの部屋。狡噛の無機質な部屋とも違う。ラグジュアリーな雰囲気の家具に上質なシルクのシーツ。見慣れない天井にはアンティーク調のシャンデリアが光を反射させて影を作っている。壁には煌びやかな夜景が一面に広がっていてつい夜だと錯覚を起こしそうになるが、サイドテーブルの置時計は24時間表示の7時を表示していた。
 上半身を起こそうと体を動かせば、全身の気だるさが襲ってきて軽く起こした頭をすぐに枕に逆戻りさせる。下腹部に妙な感覚が残っていることに自然と昨夜のことが蘇る。

「ハァ……」

 静かに吐いたため息が宙へと溶けていく。
 彼に対してひとつだけ思うことがある。
 狡噛は行為中に絶対に唇にキスをしてくれない。それ以外の場所には舌を這わせたり吸い付いたり、見えないところにしるしをつけたりするのに、どうしたって口にはしてくれない。私からしようかと思ったこともあったけれど、いざ彼が触れると私は余裕をなくしていつもそれどころではなくなってしまう。狡噛なりに本命との線引きみたいなものをしているのだとしたら何だか怖くて話題に出すことすら躊躇われた。
 思えばそういう関係になったのだって曖昧だ。私が好意を持って部屋に誘っていることにだって気付いていない可能性すらある。こっちはずっと前からチャンスを窺いながら、それとなく自然と二人きりになれるようにと考えていたのに。お酒をダシに誘えばホイホイ付いてくるくらいなのだから、きっと細かいことなど何も考えていないのだ。
 狡噛はどこか流されやすい部分があるから、きっと流れや勢いでそういう関係になったとしてもフィーリングが合えば深くは気にしないタイプなのかもしれない。
 そう思うと彼に真剣な想いを抱いている私としては悲しくもあるけれど、狡噛の中で私を女として抱けると判定が下されたと思ったらまあそれはそれで素直に喜ばしいことだ……なんて思ってしまう私はあまりにブレすぎている。つまるところ狡噛の気持ちはどうあれ、受け入れられたという事実だけで少なからず満たされていた部分もあった。

「起きたか」
「ん……」
「ミネラルウォーターもらうぞ」
「どーぞ」

 狡噛がほかほかと体から湯気を漂わせながら脱衣所から姿を見せる。半裸のまま首にタオルを掛けて冷蔵庫のドアを開けるその背中は、一切の無駄がない筋肉が惜しげもなく晒されていてついまじまじと見つめてしまう。
 同じ間取りとはいえ、勝手知ったるように私の部屋をうろつく狡噛に何だか変な気分になる。テーブルには当たり前のように灰皿が置いてあって、部屋はスピネルの匂いが染み付いていて――こんなの、まるで同棲している恋人同士みたいだ。
 だるい体に鞭を打って掛け布団を引き寄せて上半身を起こす。それからホロデバイスを起動させて内装を日中用のシンプルなものに切り替える。照明の明るさに目をくらませていると、キッチンにいた狡噛がペットボトルを手にしてベッドのそばまで来ていた。

「お前も飲むか?」
「ん、ありがと」

 手渡してきたのが当然のようについさっき彼が飲んでいたもので一瞬手が止まったけれど、相手は狡噛である。体を重ね合わせていて今更間接キスなんか気にするような男ではない。気にしたら負けだ。
 キャップの開いたままのそれで喉を潤すと徐々に頭がスッキリしていって、しかし脳内はまたひとつのことで埋まっていた。ひと口飲んで狡噛へと戻せば、彼は何事もなく再びそれに口をつける。
 その姿を横目にベッド下に投げ捨てられている狡噛のカッターシャツを手に取った。なんでシャワー浴びに行った時に洗濯機に入れないのよ……なんて少しばかりの悪態をつきながら肩幅の余ったシャツに腕を通す。
 素肌を覆った状態でそれから目の前に立つ狡噛に体を預けるように抱き着けば、石鹸と煙草の混ざった匂いが肺を満たしていく。目を閉じてすり寄るように胸板に頬を寄せれば、頭上から「なんだ?」なんて優しい声色で囁かれて思わず胸が高鳴った。

「昨日のだけじゃ物足りなかったか?」
「むしろ体が痛いくらいだよ。この体力オバケ」
「体力には自信があるからな」
「褒めてないし」

 眉間に皺を寄せて狡噛を見れば何だか楽しそうな顔をしている。鈍感なくせして一丁前にからかってるのか?ふつふつと悔しさのような、怒りのようなものが沸いてくる。こうなったらもう線引きとかルールなんて関係ない。
 狡噛の首に腕を回し、自身のそれで彼の口を塞いでやる。すぐに引き離されるかと思ったけれど手は浮いたままのようで、拒否されなかったことに気を良くしてそのまま少し長めのキスをお見舞いしてやった。口内に苦味が広がっていって僅かに顔を歪ませる。やっぱりこの苦味はどうにも慣れない。

「本音はどっちなんだ」
「動けない」

 素直に答えると狡噛は手にしていたペットボトルをサイドテーブルに置き、体に手を添えてそのままベッドへ寝かされる。前髪を掻き分ける手つきがあまりに優しくて昨夜とのギャップに心がかき乱されそうになる。まるで愛しい人を見るような眼差しにどうしようもなくなってしまう。そんな彼を目にしているとやっぱり体だけの関係は嫌だな、なんて傲慢な思いと独占欲が安くて薄っぺらい乙女心となって顔を覗かせる。

「ねぇひとつ聞きたいんだけどさ、」

 か細い声で話題を切り出す。昨夜とは別の意味で鼓動が速くなって仕方ない。
 本音を聞くのは怖い。でもずっと知らないまま関係を続けるのも本当は嫌だから。

「なんだ?」
「セックスしてる時に口にキスしないのって狡噛なりのルールだったりするの?」

 勇気をだして聞いてみれば、狡噛は予想もしていなかったかのような反応を見せるように目を丸くしていた。え、何その反応。

「気にしたことがなかった。そうだったのか?」
「は?まさかの自覚なし?」

 しれっと述べられた言葉に今度は私が呆気に取られる番だった。あれだけ気にしていたのにまさかの答えに思わず全身の力が抜ける。

「お前にしょっちゅう煙草臭いって言われてたから、嫌がると思って無意識に避けてたのかもな」

 そう言われてばつが悪いというかなんというか。つまりは自業自得だったってことじゃん。確かに煙草の匂いは好きじゃないしキスした時だって苦いからそりゃ出来れば吸わないで欲しいと思うけど。でも情事のあと隣で吸ってる横顔が好きだし、何より好きな人にはキスして欲しいって思うものだから。

「嫌じゃない。むしろ煙草の代わりにキスして欲しい」
「それはさすがに無理だ」
「どっちが?」
「煙草」

 頑固とも言える答えに呆れるけれど、同時に嬉しくもあって。……キスは嫌じゃないんだ。
 狡噛の本心がわからなくて不安なはずなのに、私に向ける視線はどこか柔らかくて、髪に触れる指先はどこか愛おしさのようなものを感じて。私がそう思いたいだけと言われたらそれまでなのかもしれない。けれど五感から伝わるそれらに微かながらに、でも確実に私の秘めたる純情を刺激していた。

「じゃあやめなくていいからその分同じくらいキスして」
「まずいとか息ができないなんて言っても聞いてやらんぞ」
「狡噛の体力基準で物を言わないでっ――んぅ、」

 そう言っている間に呼吸を奪われる。羽織ったシャツはいとも簡単にはだけて狡噛の手がベタついた素肌のあらゆるところをまさぐっていく。
 まだだるいのに朝からこれ以上は動けない。私だってシャワー浴びたいのに。でも求められることに体が反応してしまうのも事実で。
 私と彼の理性と欲望のせめぎ合いを制するのは果たしてどちらなのか。思い知るのはそれからすぐのことだった。


2023/05/29



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