midnight



Words Palette@torinaxx

17
ぜんぶ愛のせい
狡噛慎也(執行官)

好きにしていい
危機感
もう二度と


Templated
by Sicknecks



※連載if

 上司と部下、同僚以上恋人未満。
 想いを寄せる女と、己の思いを自覚していない男。
 そんな関係の二人はそう簡単に進展しないのが現状であった。第三者から見れば焦れったいことこの上ない。しかしそのもどかしい距離感を見ているのもそれなりに楽しいと思うこともある。
――そう、例えばこんな物があったなら。


「なまえちゃんにいいモンがあるんだけどさ」
「えぇ、何?今ちょっと手が離せないんだけど」

 刑事課オフィス――なまえの視線はPCに向けられ、ひたすらキーボードを打鍵する音が響く。しかし縢に「すぐ終わっから!」と言われてしまい、なまえは渋々視線を画面から縢に移した。

「何か大事なこと?」

 席を立ち上がり、ひと休みするように体を解しながら縢の席まで歩み寄る。

「なまえちゃんにとってはめっちゃ重要」
「?」

 軽快な声になまえが疑問符を浮かべていれば、縢は手にしていた物をなまえに差し出した。手のひらに収まるくらいの小さなボトルには無色透明の液体が詰まっている。

「それ、いま話題になってるっつー魔法の薬」

 一見香水とも取れるパッケージになまえの脳内ではさらに疑問符が増えるが、縢の言葉でそれが香水ではないことだけはわかった。

「魔法の薬?いかにも怪しい……」

 なまえは猜疑心を顕にするように渋い顔を見せる。最近この手によく似た違法薬物が横行している話も聞く。

「まあ簡単にいうと酒を飲まなくても酔った感覚を味わえるっつー代物らしいんだけど、人によっては媚薬的効果もあるらしいぜ?」
「それ本当に合法なの?」

 色相に影響が出るアルコール類は口にはしたくないが酒は飲んでみたいという人間に需要があるらしい。言わばノンアルコールのそれと変わらないのだが、そちらよりも売れているのはやはり『媚薬的効果』という謳い文句に誘われる人間が多いとか。
 味も匂いもなく普段の飲み物に入れるだけでその気分が味わえ、身体に害もないため少量なら健康にも色相にも影響しない。
 主にリラックス効果促進の商品として人気があるようだが、実際のところは一種のプラシーボ効果に近かった。

「それを確かめるためにもコウちゃんに使ってみたら?」

 なまえの耳元でこっそりと耳打ちする。「食われちまったらそれはそれでなまえちゃん的にも結果オーライっしょ?」声色からいかに面白がっているかが伝わってくるようだった。
 こんな物を使うまでもなく酔う縢が使うよりもなまえが使った方がよっぽど有意義であることは明白だ。事実、縢の言葉に訝しげな表情をしていたなまえの動きが一瞬ぴたりと止まった。

「……それはつまり、お酒に強い狡噛さんに飲ませれば酔った姿が見られるかもしれない……あわよくば私の好きにしていい――と?」

 ごくり、となまえが神妙な面持ちで生唾を飲む。

「コウちゃんも実際はそんなに強くねぇから度数高いヤツ飲ませときゃ案外すぐ潰れっかもしんねーけど。それ使う方が面白そーじゃん?」

 自分のことのように楽しそうな笑みを見せる縢を横目に、なまえは酔った狡噛を想像した。
 瞳に色気を宿し、熱い視線に見つめられ、甘い言葉を囁かれたら――なんて考えるだけで気分が上がってくる。
 あのクールな狡噛が酒に溺れる姿はとても貴重だ。見たい。酔わせたい。乱れさせたい。なまえの脳内はそんな思いで埋め尽くされていた。

「早速今日試してみてよ。感想、楽しみにしてるぜ」



「こんばんは。狡噛さん」
「こんな時間にどうした?」

 縢から例のモノを受け取り、なまえは勤務終わりの足でそのまま狡噛の部屋へと向かった。

「今日狡噛さん非番で会えてなかったから会いたくなって来ちゃいました。……迷惑でしたか?」
「相手してくれるなら歓迎だ」

 出入り口で会話しながらなまえがそっとリビングを覗くと、テーブルにはウイスキーとグラス、煙草に灰皿、紙の本が鎮座していた。ひと目で狡噛が何をしていたかがありありとわかる光景が広がっている。

「どうせお酒飲みながら読書してたんでしょう?」

 からかうようになまえが言えば「悪かったな」と狡噛が一言吐き、背を向けて部屋に戻っていく。なまえは笑みをこぼし、そのまま狡噛の後をついて行った。
 執行官、ましてや狡噛ともなれば前述のようにやることがほぼルーティン化している。なまえの言うことが事実なせいではっきりと否定できないのもそれはそれで悔しいが。

「あんたもそこのウイスキーでいいか?」
「はい。ありがとうございます」

 その足で狡噛はキッチンの棚へと向かう。背を向けた今しかチャンスはないと踏んだなまえは勇み足でテーブルへと近づき、ポケットから取り出した例の液体を中身がまだ残っているグラスへと注いだ。
 無味無臭無着色。目視する限り見た目に変化はないため気付かれることはない。
 素早い動きで早々に本来の目的を果たしたなまえはソファーへと腰を下ろし、狡噛からグラスが差し出されるのを待っていた。

「例の事件、何か進展はあったか?」
「いえ。目撃証言や街頭スキャナにも引っかからなくて難航してます」

 他愛ない会話をしながら狡噛は向かいのソファーへと座り、なまえのグラスにウイスキーを注ぐ。なまえはお礼を述べるもすぐにグラスには手を付けず、狡噛が例のモノが入ったグラスに口をつけるのを今か今かと窺っていた。
 しばらくして狡噛がグラスを手に取る。しかしひと口ふた口飲んだところですぐに効果が表れるわけでもない。酒に加えれば効果は倍速倍増だと思ったがさすがに短絡的思考すぎたか。なまえはちびちびと喉に流しながらひたすらその時を待った。

――おかしい。あれからとうに一時間は経っているが、目の前の狡噛は普段と全く様子が変わらない。顔が火照っている様子もなければ、隣へと移動していたなまえに襲いかかる素振りすらもない。耐性があるのか単純に効果がないのか。こんなはずではなかったのに。いずれにせよおかげでなまえの酒が進み、狡噛以上にアルコールを摂取する羽目になった。
 その間ずっと意識はその薬に向いていたので、もちろん会話なんて何も頭に入っていなかった。

(もしかして縢くんに騙された……?)

 そんなことを思いながらなまえは二杯目のグラスを空にした。このままではなまえが酔いかねない。
 明日も出勤だし今日のところはこの辺で退散しようか……となまえは帰る旨を伝えて渋々立ち上がった。が、頭がくらりとしてよろけた勢いで隣に座っていた狡噛にぶつかってしまった。

「っと……ごめんなさい」
「大丈夫か?」
「久しぶりに飲んだからかな……」

 狡噛がなまえの肩を抱いて立ち上がらせると、振り向いたなまえと至近距離で目が合う。なまえの身体は火照っていて、おまけに頬もほんのり赤く染まっている。
 徐になまえが狡噛の首に腕を回して抱き着けば、狡噛の奥底に眠っていた色欲が形となって現れた。

「おやすみなさい」

 へらりとした笑みを見せ、そのまま出ていこうとしたなまえの腕を狡噛は咄嗟に掴んだ。
 なまえが振り返った瞬間、後頭部に手を添えて無防備になっている薄づきの桃色に口づける。

「んっ、」

 潤っていて、ハリがあって、それでいて柔らかい。およそ男性には持ち得ないそれらに、狡噛の中で離れ難い思いが込み上げる。
 突然のことに何が起きたのか理解が追いついていないなまえは、目をぱちくりさせながら固まったままだ。

「!?」

 それから角度を変え、なまえの口が薄く開いた隙に狡噛がぬるりと舌を侵入させると、その衝撃になまえは慌てて狡噛の胸を押し返した。

「っは、」
「……おやすみ」
「なっ……!い、いま、今っ……!?」

 狡噛はなまえの狼狽もものともせずに甘ったるい笑みを見せて囁いた。
 全く様子が変わっていないと思っていたが顔に出ないだけで効果はあったのか。もはや今となってはそんなことはどうでもいい。
 キスをされたという事実にじわじわと全身から沸騰するように熱が込み上げてくる。アルコールのせいで一層目眩がした。

「最後にそれは……キ、キスは反則ですっ!!」

 やっとの思いで吐き出した言葉とともになまえは一目散に部屋を飛び出して行った。



「ふぁ……おはようございます」
「はよー。どーした?寝不足?」

 なまえがオフィスに登庁すると縢と狡噛が既に席に着いていた。
 小さく欠伸を漏らすなまえをよそに、その原因となった当の本人はいつもと変わらない様子で煙草をふかしている。

「……狡噛さんのせいで」

 最後のアレがなければなまえはアルコール特有の浮遊感とともにさぞかし深い眠りについていただろう。
 なまえにとって本来の目的が達成されたまでだというのに、いざその場面に遭遇したらそれどころではなかった。脳が冴え、思考が冴え、酔いも一瞬で覚め、眠気なんて一気に吹き飛んだ。
 去り際の不意打ちのキスなんて、あからさまに酔った姿で迫られるより何倍も破壊力がある。そもそも自分が狡噛に何かをする気でいたから、まさかキスされるだなんて思ってもいなかった。言葉通り、反則以外の何物でもない。

「俺?昨夜俺が何かしたのか?」

 酔いの常套句とも言える狡噛の言葉になまえの表情がわずかに険しくなる。あんなことをしておいてまさか覚えていないとでも?
 あれは酔った勢い、狡噛が覚えていないのなら自分も忘れた方が身のためだ――なんて、そんな風に片付けられるほどなまえは大人ではない。目を閉じればその光景とともに感触まで鮮明に蘇る。忘れられるわけがなかった。

「……煙草、控えてください。吸ってる姿は好きだけど、苦いのは……好きじゃないです」

 頬を赤らめてぽつりとこぼし、仕事に取り掛かるなまえと狡噛を見ながら縢は口許が緩むのを抑えられなかった。

「なになにコウちゃん〜、昨夜なまえちゃんに何したんだよ」

 狡噛の背に縢がニヤニヤとした笑みをぶつける。
 声色からからかわれているのを感じつつ、「さぁな」と狡噛は適当に返事をして紫煙を吐いた。

 部屋に来た時から終始落ち着かない様子でそわそわしていたなまえを見たら、何か企んでいることは容易に想像できた。なまえは良くも悪くも表情に出やすい。
 そう、なまえの思惑を知った上で狡噛はあえて気付かないふりをしていた。単純にアルコールの作用だけではない妙に身体が熱くなった感覚に何か飲まされたのだと察したが、指摘することはしなかった。そうすればあのキスも酔った故のものだと説明がつけられると思ったから。
 狡噛がそんな回りくどい上にれっきとした情欲を抱いていたことはなまえは知る由もない。第一、なまえも同じようなことを画策していた時点で狡噛を真に咎めることはできないのである。

「みょうじに聞いてみたらどうだ?あいにく俺は昨夜の記憶が曖昧なんでな」

 狡噛がなまえに視線をやると、きまり悪そうな表情で狡噛を軽く睨みつけている。わざと言ってることはなまえでもわかった。

「コウちゃんってば意地悪〜」
「縢くん!私もう二度とこんなことしない!乙女の純情を弄ぶ狡噛さんなんか一生煙草と仲良くしてればいいんだ!」

 居心地が悪くなったなまえはそう宣言し、踵を鳴らしながら来たばかりのオフィスを出ていった。
 酒の勢いだったことが悪いわけではない。だがなまえにとって狡噛とのキスはそんな風に軽んじて扱われていいものでもないから。

「あーあ、拗ねちゃった。なまえちゃんからかうのも程々にしろって」
「俺はただみょうじの思惑に乗っただけだ。俺が責められる言われはない」

 これを機に男の部屋に男女が二人きりでいることに対する危機感というものを今一度改めて欲しいものだが、それは今更なことでもあった。
 なまえが狡噛を好きな気持ちはそう簡単に揺るがない。好きだからそばに居たいし、話したいし、触れたい。
 狡噛が自分をどう思っていようが、なまえはただ彼に対する真っ直ぐな想いをただただ大切に育てていくだけだから。

「よく言うよ。本当はその思惑に託けてコウちゃんがなまえちゃんを好きにしたかっただけじゃねーの?」
「だったらなんだ?」

 あっけらかんと答える狡噛はいっそ清々しい。
 己の感情をよく理解していないくせによくそんなことが言えたものである。だが決してなまえの気持ちを弄んでいるわけではなかった。

 ただ、愛おしさ故に触れたくなった――それだけは確かだ。


2023/12/05



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