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ファジー・リリカル

人には必ず何かしらのギャップを持ち合わせていて、その意外性によって親近感を覚えたり心惹かれたりする。
かくいう彼氏の誠士郎もその一人だった。
190cmという高身長でありながら顔立ちはいわゆる可愛い系統に分類され、大きな瞳は眠そうながらもどこか力強さを感じさせ、同時に母性をくすぐるような魅惑があった。
誠士郎のギャップは挙げだしたらキリがない。そのくらい彼という人間は魅力で溢れている。そんな中で私が唯一執着しているモノは――


「……なまえってほんとキスすんの好きだよね」

唇が離れると誠士郎は毎回率直にそう感想を述べる。
好きな人と直接触れ合う行為のひとつなのだから、嫌いな人のほうが少ないんじゃないのかな。まあ私が好きな理由はそれだけじゃないんだけれど。

「だって誠士郎の唇、すっごく柔らかくて気持ちいいから」
「それ何回も聞いたし」

「キスばっかして飽きないの?」「他の場所にはあんま興味ないよね」などと呆れた様子で言われることもあるけど、それでも誠士郎が私からのキスを断ったことは一度もない。
自分からキスをする時は必ず許可を取るというマイルールがあるのだけど、何度しようがこれからもそれを変えるつもりはない。「付き合ってんだから別にいちいち聞かなくていーよ。したい時にすればいいじゃん」と誠士郎は言うけれど、私にとっては一回一回が価値のある行為で神聖なる儀式のようなものなのだ。誠士郎が聞いたら大げさだと言って理解されなさそうだから言わないけれど。

「俺の唇ってそんな柔らかい?」

疑問符を浮かべながら自身の唇を指でなぞってはよくわからないといった顔をしている。
誠士郎はトレーニングで鍛えていることもあり、女の私のような脂肪はほとんど付いていない。頬も肉が少なくて硬いし、当然のように胸や腕、太ももやお尻はほぼ筋肉で形成されていて摘めるような柔らかさはない。
見るからに薄くてハリのある唇もきっとそんなものなのだろうと思っていたのに、唯一そこだけは違った。初めてキスをした時、あまりの柔らかさに衝撃を受けたほどである。
それからその柔らかさとギャップに一気に虜になってしまった私は、たまにお願いしては密かにその心地良さに酔いしれるようになった。
積極的な私に最初こそ何かを期待していた誠士郎だったけど、回数を重ねてもなかなか甘い雰囲気にならないことを感じ取ったらしい誠士郎はいつからか「ご自由にどうぞ」とでも言わんばかりに受け身の姿勢を見せるようになった。

「何度でもしたくなるのがその証拠」
「それってさ、俺が柔らかいだけじゃなくてなまえも同じくらい柔らかいからそう感じるんじゃないの?」
「えーそういうもの?自分の唇が柔らかいかなんてわかんないよ」

誠士郎と同じように自身の唇に触れてみるがさっぱりだ。
でも確かに誠士郎の言うことも一理あるかもしれない。唇を触りながらぼんやりとそんなことを考えていると、誠士郎が膝の上に乗っていた私の腰に腕を回してそっと引き寄せた。

「じゃあもう一回しよ?」
「い、いきなりどうしたの?誠士郎のほうから言うなんて珍しいじゃん」

至近距離でねだるように上目遣いをされて思わず心臓が跳ねる。
大抵キスをする時は私がこうして許可を取るパターンが多く、誠士郎はどちらかというとキスよりハグをすることが多い。普段好きだとかそういった言葉をあまり口にしない分、物理的距離はわりといつも近い気がする。単純に体格差的にハグしやすいだけというのもあるかもしれないけど。

「んーなんかそういう気分」
「そういう風に言われると緊張するんだけど……」
「毎回なまえからキスしてんのに?」
「私のはなんて言うか、儀式みたいなものだから」
「よくわかんないけど、俺がして欲しいからして」

「ん、」とキスをせがむように誠士郎が唇を突き出すその仕草に私は心の中で大きく唸った。なんだこの生き物は。なんだこのあざとさは。女の私なんかよりよっぽど相手の心をくすぐる仕草や言動をわかっている。
誠士郎の恐ろしいところはこれが計算ではなく、無自覚かつ“自分がそう思ったからしているだけ”なところだ。まったく、体つきや声はしっかりと男の人のくせに、時折こうして私の心臓を的確に撃ち抜いてくるから油断ならない。

「っ……わかった!わかったから目、閉じて」
「何を今更照れることがあるんだか……はい、これでいい?」

ぶつぶつ言いながらも言う通りにした誠士郎の肩にゆっくりと自身の手を添える。
しかしこうして改まってキスをするのは意外にも初めてで、至近距離でキスを待つ誠士郎の表情にごくりと固唾を飲む。……どうしよう、いわゆるキス顔というものを目の当たりにした破壊力は遥かに予想を超えていて顔を近付けることすら恥ずかしい。
キスとは神聖なもので、儀式のようなもので、そこに変な下心など今までだって一切持ち合わせていなかったはずなのに。誠士郎の色気というものに充てられたせいなのか。触れ慣れた唇を見ているだけで呼吸が荒くなる。こんなの、どこからどう見ても変態でしかない。

「ねーまだ?」

待てども来ないことに痺れを切らしたのか、誠士郎が片目を薄く開いて問いかけてくる。

「それとも焦らしプレイってやつ?」
「ちが……ちょっと恥ずかしすぎてむり、かも……」
「なにそれ、今更純情アピール?」
「ほんとに違うって!誠士郎こそ自分の顔の良さ全然わかってない……!」

わざとじゃなくても、いや、わざとじゃないから余計にタチが悪い。とにかくこんな状態で続けることは出来ない。「もう終わりね!」と誠士郎の腕から逃げようと身動ぎをすれば、すかさず腕を掴まれて阻まれる。さすが反射神経がいい……なんて感心している場合ではない。

「自分の顔の良さなんてどーでもいいけどなまえに効果あるんなら使わない手はないっしょ」
「っ!?」

後頭部を思いきり引き寄せられ、あっという間に眼前が誠士郎の顔面で埋め尽くされる。少しでも顔を動かしてしまえば唇が触れるほどに距離が近い。今度こそ本当に息が止まる。けれどその薄くて柔らかい唇から目を離せない。

「いつもなまえのお願い聞いてるから今日は俺のお願い聞いてよ」
「お願いって、なに……?」

できるだけ口を動かさず蚊の鳴くような声で聞けば、その答えと言わんばかりに誠士郎からのキスが降ってきた。
いつもは誠士郎がよく飲んでいるレモンティーみたいなすっきりとした爽やかなものなのに、今のこのキスはミルクティーみたいに甘い。もしかして誠士郎はこういうキスがしたかったのかな、なんていつの間にか思考まで甘ったるくなってしまっている。


「余計なこと考えられなくなるくらい、とびっきり甘くて気持ちいいキスだよ」


2023/03/19
title:まばたき

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