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織り交ざる呼吸はイノセンス

「なまえテメェ……なんでここにいる」

微睡みから目を覚ましたら、無表情で私を見下ろす凛がいた。
やばい、やってしまった。一瞬にして状況を理解した私は飛び起きて顔を俯かせる。
久しぶりに足を踏み入れた凛の部屋が懐かしくて、どこか安心して。何となくベッドに横になったら凛の匂いがふわりと漂って――目を閉じて昔のことに思いを馳せていたら、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。
部屋にいること自体何か言われると覚悟していたのに、あまつさえ凛のベッドで寝てしまうなんて。こんなのもう今の凛では殺されるどころでは済まない。

「あの、プリントとか色々渡す物があってチャイム鳴らしたら、おばさんに上がって待ってなーって強引に通されちゃってその……凛が帰ってくるまで部屋で待ってた……ら、気付いたら寝てました……」

部活の県大会や練習などで休んだり早退しがちな凛の連絡係に私が選ばれた理由は“幼なじみ”だから。たったそれだけ。
正直ここに来るまでは気が重かった。なぜなら中学入学以来、まともに会話をすることもなければ会うことすらもなかったから。
入学前に凛に突然「これからは学校で会っても気安く話しかけんな」と言われた時は理解が追いつかなかった。春休みまでは普通に家に遊びに行ったり他愛ない話だってしていたのに、どうして?と。そう聞こうとしたけれど突き刺す視線は冷たくて、私はそれ以上口を開くことが出来なかった。
その日以来、校内で会っても凛の望み通り他人のフリをして近づかないようにした。学校以外でなら話してくれるかな、なんて思って家に行こうとしたことも何度かあったけれど、また突き放されるのが怖くて出来なかった。
本当は嫌だったし全然納得もしていないけど、凛の生活がサッカー中心であることを考えればむしろもっと早く距離を置くべきだったのかもしれない。そうやって無理やり自分を納得させるしかなかった。
そんな状態が三年も続けば一気に疎遠になり、ほとんど他人の関係に近かった。だから今日だって玄関前に置いてすぐに帰ろうと思ったのに――それをしたくないと強く思っていた自分がいた。突き放された理由なんて今となってはどうでもいい。ただ普通に話せる関係に戻れるのなら、ここまで来て会わずに帰るわけにはいかなかった。

「チッ……んなもん適当に渡して帰りゃよかっただろ。わざわざ部屋にまで上がってんじゃねぇよ」
「ごめん……。プリント類、テーブルに置いてあるから。じゃあ私もう帰るね」
「…………」

なんて、こんなの本心じゃない。本当はもっと話したい。前みたいに一緒にゲームしたり、ホラー映画を観たりしたい。あの頃のようにまた普通に凛と話したい。迫り上がる思いを飲み込み、嘘の言葉を述べる。
慌ててベッドから立ち上がろうとすれば、ずっと立っていた凛が徐に近づいてきて何の前触れもなく流れるように私を組み敷いた。

「えっ、ちょっと、凛……?」
「信頼してる幼なじみだったら二人でいても何もされねぇとでも思ってんのかテメェは」

投げ出された腕はあっという間に凛の大きな手によって固定されて、顔の横でびくともしない。
夕日の差し込んだ薄暗い部屋の中で私を見下ろす凛はただただ機嫌が悪そうに、知らぬ間にめっきり低くなった声を一層低くしイラついた様子で続けた。

「警戒心ってもんがまるでねぇな」
「凛相手に何を警戒することがあるの?」
「この状況でまだそんなこと言ってんのか?男の部屋にのこのこ上がってベッドでバカ面晒して、どこまでもめでたい頭してやがんな」
「!」

掴んでいた腕に力がこもったのと、凛の顔が近づいてきたのはほぼ同時だった。
噛み付くように押し当てられた唇がねっとりと貪るようにして吸い付く。熱い吐息を交ぜながら凛は角度を変えて口づける。

「んぅ……はぁっ、」

手首を固定されたままで押し返すことも出来ずに、ただ必死で酸素を求めるように短く吐いた私の息だけがこの懐かしい部屋に広がっていく。凛にされるがままにひたすら口内を荒らされ、もう何も考えられない。ただ、こんな凛の姿を見るのは初めてで、男子とキスをしたことがない私は凛の舌使いに素直に気持ちよくさせられるだけだ。
ようやく唇が離れた時には肩で呼吸をするしか出来なくて、口の中が、身体が、溶けるように熱い。
思考する力すら奪われ、ただただぼんやりと凛を見つめて思ったことをそのまま口にする。

「急に、どうしたの……?」
「急だと?勢いだけで俺がこんなことしたとでも思ってんのか」
「そう、じゃなくて……その、」

未だに頭の中が整理されず上手く言葉が出てこない。
三年前に急に突き放されて嫌われたのかと思っていたのに。ずっと寂しい気持ちを抱えて中学時代を過ごしてきたのに。急に真逆のことをされて訳がわからない。
じっと見ていられなくて目を散らしながら問えば、またキスが落とされる。けれど今度は荒さのない、静かで長い口づけだった。
昔から長い時間を一緒に過ごしてきて、凛のことは何でも知ってると自負していた。でもそれはとんだ勘違いだったらしい。すでに中学の三年間を凛はどんな風に過ごしていたかなんて私はほとんど知らない。恋愛事情なんてもっての外だ。だからキスがこんなにも上手いなんて知りもしなかった。

「言いたいことがあんならはっきり言え」

こんなこと聞いたら「くだらねぇこと聞いてんじゃねぇ」と言われそうなのが目に見えているけれど、それ以上に一度決めたら簡単には曲げない凛から逃れることは出来ない。目が「言え」と物語っている。有無を言わさない圧力に耐えかねてゆっくりと口を開く。

「凛って中学の頃彼女いたりした……?」
「は?」

ああほらやっぱり!あからさまにワントーン下がった声音に肩を震わせる。第一、子供の頃からサッカー一筋でそれ以外にはまるで興味がない凛にわかりきったことを聞くのが間違っていた。でも言うしか道がなかった。八方塞がりではもうどうにもならない。どうにもならない故にいっそどうとでもなれ!と半ばやけくそでさらに踏み込んでいく。

「キスは?したことある……?」
「ねぇよ。つかお前自分が何言ってんのかわかってんのか」
「ごめん、久しぶりの会話がこんなでキモいよね……。でもその……キスがすごい上手くてびっくりしたから、経験あるのかなーって気になっただけ……」

バカ正直に思ったことをそのまま口にしてあまりの恥ずかしさに顔を覆いたくなる。けれど未だに手首を縫い付けられているせいでそれは叶わない。さっきよりは力が緩くなっていることだけはわかるけれど。

「ガキの頃からお前にしか興味ねぇよ」
「……じゃあなんであの時あんなこと言ったの?」
「お前ホントぬりぃな。今みたいなことしたくなるからに決まってんだろ」

再び顔が近づいてきて思わずぎゅっと目を瞑れば、唇ではなく首筋にぬるりとした舌先が触れて初めての刺激に変な声が出た。鼻で笑う凛が恨めしくて、けれど私は顔を真っ赤にして睨みつけることしか出来ない。
つまり凛は私を異性として見てたからあえて距離を取ったってことだ。何だそれ。ぬるいのは凛のほうじゃんか。素直に好きだって言えばいいだけじゃんか。そうしていたら楽しく三年間過ごせたのに。

「これ以上のことされたくなかったら今日はもう帰れ」
「……やだって言ったら?」
「あ?この期に及んで煽ってんのか?お前がバカ面下げてどんな格好で寝てたか教えてやろうか?」

わざとらしく耳元でそう言ってプリーツスカートの下に指を滑らせる凛に、慌てて身を捩って抵抗する。強引に何かをしてくる様子はないところからそれ以上は何もしないことがわかるけれど、これはさすがにまずい。くそぅ、どこまでも自分勝手な奴め……!

「いい、遠慮しておく……」

素直に断れば、凛は鼻を鳴らしながら大人しく私から離れた。

「でもまた前みたいに家に遊びに行きたい。本当に変な意味じゃなくて、純粋にもっと凛と一緒にいたい。話したいこととか知りたいことたくさんあるから」

ぽっかり空いてしまった三年間を取り戻せるのなら、きっとそれは今からでも遅くない。

「この状況でまだ幼なじみとしてだとかぬりぃこと抜かす気なら断る」
「……わかった。言わない。今度は彼女として凛に会いに行く」

「ずっとそうして欲しかったんでしょ?」と少しの反撃の意味を込めてからかうように言えば、凛は無愛想な表情の中にわずかながら眉間に皺を作る。それから無言でカッターシャツの襟首を掴まれたと思えばそのままずるずると部屋から追い出された。

「くるしっ……もうっ、ほんと扱い酷すぎ!」
「俺の部屋に来ることがどういうことか、バカでもわかるように教えてやる。せいぜい覚悟しとけ」

――なんて凛は言っていたけれど、私はただただ軽口叩いて普通に話せていた事実が嬉しくてたまらなくて自然と笑みが溢れるばかりだった。
明日学校で会ったら思いっきり元気な挨拶をしてやろう。うざがられようが何を言われようが凛の気持ちを知った以上、私は今までの距離を埋めるべく全力で凛に向かっていくだけだから。


2023/03/14
title:まばたき

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