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ターコイズブルーはいつだって透明で

どこまでも広がる青の揺らめきはいつだって私たちを素直にしてくれた。
凛と些細なことで言い合いになって喧嘩をした時。
凛が冴くんに突き放された時。
凛を幼なじみから異性として意識した時。
何かあった時、私は決まってこの堤防で海を眺めながらひたすら波の音を聴く。そうしているだけで自然と頭の中が整理され、気分が軽くなる。自分と向き合い、リフレッシュするにはうってつけの場所だった。
そしてそれは凛も同様で、とどのつまり、隣にはいつだって凛がいた。



「さすがにそろそろここに来るの寒くない?」

後ろ姿に向かって声を掛ければ、凛は軽くこちらを一瞥したあとすぐに視線を正面へと戻した。秋陽に照らされた波が炭酸のようにしゅわしゅわと水面を揺らし、そこに収まる凛の後ろ姿は額縁の中のひとつの作品のようだった。
十数分前――デートらしいデートの約束などしていなかった休日、家に遊びに行く旨の連絡を入れれば「いつもんとこにいる」と返事が返ってきた。了解、とスタンプをひとつ送り、ラフな格好のまま上着を羽織って家を出た。
日中の暖かさを過信したせいでマフラーのない首元は心許なく、素肌をかすめるひんやりとした空気に身を震わせる。しかし秋から冬にかけてのこの肌寒い季節は、えも言われぬ風情が感じられて私はこの季節が好きだった。
凛の隣に腰を下ろし、膝を抱えて青を眺めていれば凛が呆れたように口を開く。

「だったら家にいりゃよかっただろ。すぐに帰るつもりだったし」
「そういうことじゃないんだよ凛ちゃん」

この場所は私たちにとって昔から変わらずそこにあって、それは私たちの関係に似ていて、けれど確実に特別な意味を持つものでもあった。だからどんなにこたつや暖房が恋しかろうと、凛がここにいるとなれば自然と向かう足取りは軽くなるのだ。
関係が変わってひと月と少し。そろそろ乙女心というものもつぶさに理解してほしいところではあるけれど、どうやら凛の脳内の大半を占めているサッカーを上回ることはまだ難しいらしい。逆に言えばそれは同時に私にとって誇りでもあるから、何だか複雑な気持ちではあるけれど。

「誘って欲しかったってこと。それとも一人になりたかった?」
「別に」
「だったら最初から誘ってよ。ほんと素直じゃないんだから」

軽く上半身をぶつければ「うるせぇ」とこぼした。
優しくも甘くもない一言だけれど、声色でわかる。それが凛らしさでもありひとつの魅力でもあった。
そのまま凛の肩へと体重を預けてそっと腕を絡ませれば、穏やかな波音とともに心地の良い沈黙が流れる。夏場や人前でこんなことをしようものなら十中八九「離れろ」と言われるのが目に見えている。だから今までやったことはなかったけれど、それを踏まえて何も言わないということはそれ以上に何か思うところがあるのだろう。

「お前休みの日起きるの遅せぇくせによく言うぜ」
「ごもっともです。なんで凛は私のことそんなにわかるんだろ」
「は?今更だろそんなの」
「そうなんだけどさ〜。そこは『好きだからに決まってんだろ』って言うのが正解じゃないかな」
「知るかよ」

関係が変わってもブレない物言いに多少の不満を感じつつも、でもほんの少しだけ安心もしたり。ここでド直球に甘い言葉を吐かれでもしたら、私はきっとあからさまに照れて素直に受け止められない。そう思うと凛から告白された時のことが何だか奇跡のようで、夢のようなことに思えてきたな……。

「……お前だって俺の思ってることくらいわかんだろ」
「ん?」

波音にかき消されそうな声で呟かれた言葉に顔を上げる。
正面を向いていた視線が徐に私を捉えれば、その瞳が何を伝えたいのかが何となく伝わってくる気がした。それは凛の思いが強いからか、はたまた私が誰よりも彼を好きだと自負しているからか、それとも積み重なった絆ゆえか。
しかしじっと見つめて様子を見てもその先の言葉はなく、眉ひとつ動かない凛に勘違いだったかと思い始めていた。

「わかるよ。……けど違ってたかも」
「違わねぇよ」

凛の手がすっと伸びてきたと思えば、そのまま後頭部を引き寄せられ吐息が触れ合う距離まで近づく。耳触りの良い波音と吸い込まれそうなほどに透き通った瞳に酔いしれていれば、それからぬるく柔らかいものが呼吸を塞いだ。唇から伝わる熱が冷えた空気の中でじんわりと体中を流れていく。
口調の荒さとは裏腹に凛のキスはいつも優しい。けれどこんな風に一層優しく口付けてくる時は決まって甘えたい時だ。ここに来れば素直になれると言っても凛が言葉ではっきりと口にすることはほとんどない。だからその分、行動では素直に示してくれる。その不器用さが心乱されるほどにたまらなく愛おしい。

「ここ外だけど、」

いいの?と続けるように視線を凛の先へとやる。私の視界には遠くの方で釣りを楽しんでいる男性が小さく映っていた。

「どうせ誰も見てねぇよ」
「凛がいいなら別にいいけどさ」

凛の手を取って冷えた指先を絡め合う。甘えたいモードの時にスキンシップを取るとあまり文句を言われないことに託けて、私はここぞとばかりに構ってほしい子供のように引っ付いてやる。甘やかしてあげるはずが単に私が甘えているだけのような気がするけれど、それはそれでいい気がする。そうでもしないと俗に言うイチャイチャする機会は生まれないから。
凛は好きだとかそういう言葉はめったに口にしないし、恋人になったからと言って何かが特別変わったわけでもない。すぐ睨むし(本人曰くそんなつもりはないらしい)、都合が悪くなるとすぐ既読無視するし、相変わらず口は悪いし素っ気ないし。
でも口では何だかんだ言いつつも教科書を忘れた時は貸してくれるし、私が何気なく言ったオススメのホラーゲームに興味なさそうに返事をしてたくせに、後日遊びに行った時部屋に置いてあったのを見た時はあまりのあまのじゃくにからかいたくなったほどだ。
そう、凛は根は純粋で優しい。それを私はずっと前から、誰よりも知っているから。

「このまま手繋いで帰る?」
「帰んねぇよ」
「照れ屋さんめ」
「あ?そのうるせぇ口縫い付けられてぇか」
「ヒッ!?手つめたいってば!」

ひよこ口で抗議する今の私の表情はきっと間抜け面をしているに違いない。そんな中で、立ち上がった際に凛の口元が微かに緩んでいたのを私は見逃さなかった。まったくもう、本当に素直じゃない。あまりにも素直じゃなさすぎて、凛のポーカーフェイスを崩すくらいの愛を海に向かって叫んでやろうかと思ってしまうくらいだ。

「帰んぞ」

早く立てと促すように凛が手を差し伸べてくる。
私がその手を取ったが最後。家に着くまで絶対に離してなんかやらないんだから!


2023/01/18

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