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オシャな関係

“青い監獄”は見方を変えれば男子校のような場所でもある。

「あ、なまえちゃーん!」
「こんにちは」

廊下を歩いていると向かいから蜂楽くんが手を振りながら声を掛けてきた。その隣で潔くんは小さく会釈をしている。

「蜂楽くんに潔くん、お疲れさま。トレーニング終わったとこ?」
「そーそー!シャワー浴びたらフリータイムなんだよねん」
「なまえさんは備品のチェック……ですか?」

私の手元にあるタブレットを一瞥して潔くんは問いかける。
彼の空間認識能力――サッカーで武器として生かされるそれとは少し違うかもしれないが、ひと目見ただけで瞬時に把握することは彼の一種の強みだ。

「そうなの。あ、何か切れそうな物とか足りないものとか希望があったら声掛けてね。すぐに対応するから」
「あーそれならアイス常設して欲しいかも!風呂上がりに食べられたら最高じゃない?ね、潔!」
「そりゃそうだけど、ここでそんな贅沢できないだろ……」
「え〜」

トレーニング後ということもあり、潔くんと蜂楽くんが交わす会話は気が抜けていて何とも微笑ましい。プレーしている時はエゴを全面に出しているためかまるで別人のようになる彼らだけど、オフともなればこうして柔らかい表情を見せてくれる。
部活後の帰り道で交わされるような何気ないやり取り。その姿を見ているだけで私ももっと頑張らねば、ささやかながらも彼らの支えになれればという気にさせられる。彼らには日々刺激を受けているから、ここにいる子たちの影響力は計り知れない。他人に影響を与える存在というのはストライカー以前にサッカー選手として重要な要素でもあるから。

「一次セレクション突破したんだからそれくらいのご褒美は欲しいよね。私から絵心さんに相談しておくよ」
「やったね!なまえちゃんの腕の見せどころだ♪」
「よろしくお願いします」
「期待に応えられるように頑張ってみるよ。それじゃあ二人ともゆっくり休んでね」
「ばいばーい」

二人の期待が懸かっていることもあって責任は重大だ。彼らの背中を見送る胸中はやる気に満ちていた。
選手として快適にプレー出来る環境は絵心さんが莫大な予算をかけたおかげで世界一のストライカーを生むためのものはすべてこの“青い監獄”に詰まっている。だからこそそれ以外のモノ――プライベートで快適に過ごすための要望を少しでも叶えることが私の仕事でもあるのだ。

“青い監獄”にいると挨拶ひとつ取っても反応は十人十色で見ていて面白い。
礼儀正しく返してくれる子、軽いノリで談笑していく子、ド直球に口説いてくる子……それぞれ性格が表れている。普段のプレーと比べてみるとイメージ通りだったりはたまたギャップがあったりと別の視点で新たな発見ができてなかなか面白い。いつかサッカーでも役に立つことがあるかもしれないと思い、密かにデータに記していたりする。絵心さんが見たらなんて言うかわからないから今はまだ自己満の段階ではあるのだけど。
そんな中で私がひと際気になっているのは凛くんだ。
彼とはこの“青い監獄”のメンバーの中でもわりと会う方でしばしば見掛ける。けれどクールな性格ゆえか、挨拶をしても大体いつも素っ気ない態度を取られてしまう。とはいえ意外にも話しかければそれなりに会話はしてくれるから嫌われてはないと思うのだけれど……ある時はたと気付く。
思い返せば今の今まで名前で呼ばれたことないな?と。
大抵の子は「なまえさん」が主で、蜂楽くんには「なまえちゃん」、蟻生くんには「なまえ嬢」と呼ばれている。好きに呼んでもらって構わないと思ってるから呼び方について特に言及したことはないけれど、凛くんからは「オイ」「お前」「てめぇ」「アンタ」と種類だけは豊富な呼び方をされていた。

(まさか名前知らないとかそんなことないよね?)

思わず廊下に立ち止まって真剣に考える。
だって最初の時に自己紹介したし。それでも呼ばない理由はなんだ?単純に呼びたくないから?やっぱり嫌われてる?でも嫌いだったら会話なんかしないよね?ぐるぐると思考を巡らせていたら、不意に後ろから誰かが声を掛けてきた。
その低い声は聞き覚えのある――今まさに考えている彼であることはすぐにわかった。反射的に振り向こうとしたけれど直前で踏みとどまる。

(ここはあえて聞こえないフリをしてみようか)

私の中のちょっとした悪戯心が働いた。さすがに気付いてないと知れば名前くらいは呼ぶだろう。いつの間にか私の脳内は彼に名前を呼ばせることで埋め尽くされていた。
予感がしたのだ――蜂楽くんのかいぶつのように私の中で囁いている声が、彼とコミュニケーションを取ると面白いことが起きる、と。
手に抱えていたタブレットを開いて適当にいじりながら歩みを進めれば、再度「オイ」と語気を強めて呼ばれる。振り向きそうになるのを必死で抑えながらさらに先へと進めば、足音が近づいてくるのを感じ――刹那強い力で肩を掴まれて体ごと後ろへと振り返った。
あまりの強さに目を見開いて凛くんを見ると、ものすごい不機嫌オーラ全開で私を睨んでいた。あの、率直に言って怖いんですけど。おかしい、こんなはずじゃなかったんだけどな〜!?

「聞こえてんだろ、無視してんじゃねぇよ」

双眸が私の体を射抜くかの如く向けられる。眼光の鋭さと彼の身長のせいで、まるで迫り来る大波にのまれたような気分だ。私の中のかいぶつは間違った方向に反応してしまったのかもしれない。

「とりあえずその見下す目つきやめよう?威圧感がとんでもないことになってるから」

そう言えば凛くんは素直に手を下ろしてくれて思わず胸を撫で下ろす。意外と言ったら怒られそうだけど、凛くんってわりと素直だし聞き分けはいいんだよなあ。

「なんでわざと無視したんだよ」
「だって凛くん未だに私のこと名前で呼んでくれないからさー、だからちょっと意地悪してやろうかと……」

わざとらしく口を尖らせて言えば、凛くんは物言いたげに再度私を睨みつけた。「めんどくさい奴」というのがありありと伝わってくるのだから、目は口ほどに物を言うとはよく言ったものである。

「周りにお前しかいねぇんだからいちいち呼ばなくてもわかんだろ。つかそもそも名字も知らねぇし」
「待って嘘でしょ最初の時にちゃんと自己紹介したよ!?」
「記憶にねぇ」
「いや、さすがにショックなんだけど」

フラグ回収の早さに頭を抱える。まさか本当に覚えられていなかったとは。しかし嫌われていたわけではないことを確認できて一安心という思いもあった。ただでさえ前髪事件から視線を感じる――ガンを飛ばされているから、これ以上機嫌を損ねたらどうなるかわからない。
とはいえ、覚えられていない事実があまりに悲しすぎてその反動でちょっと凛くんをいじってみたくなった。我ながらついさっきまで慄いていたとは思えない思考の変化である。
彼の視線が首から下げている社員証に目をやるより先に手で覆う。こうなったらいっそ下の名前で呼ばせてクールな凛くんと距離を縮めて仲良くなろう作戦だ……!

「じゃあこれからはなまえって呼んでよ。なまえさんでも可」
「あ?名字でいいだろ」
「どの口が言うっ!」

詰め寄ってじとりと視線を送れば、私の気迫に圧倒されたのか心底だるそうに「うぜぇ」と漏らした。前言撤回。やっぱ全然素直じゃない……!いや、逆の意味ではとても素直だけど!

「今度から呼べばいいんだろ」
「今試しに呼んでみ?」
「呼ばねぇよだりぃ」
「……しょうがない、今日のところはそれで手を打とう。それで?呼び止めたのは何か用があったからなんじゃないの?」
「大浴場の一番左の手前から三番目、シャンプーが切れた」
「了解。あとで補充しておくね」

タブレットを操作し該当の場所にチェックを入れておく。とりあえず夜の入浴までに済ませておかないと。その後に今日の分のデータをまとめて、絵心さんにアイスの件を相談してみよう。機嫌取りをするわけじゃないけど一応カップ麺の差し入れも忘れずに……!


2023/01/12

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