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きっかけとは些細なことから生まれるものだ

『日本がW杯で優勝するために世界一のストライカーを育成する』

そんな絵心さんの目標に感銘を受け、この“青い監獄”で働き始めて数ヶ月が経った。
私自身プレイヤーの経験はないが、サッカー観戦は昔から好きでよく観ていた。
日本は決定力不足だと散々言われていて、近年W杯出場の常連国となってはいるもののGL敗退、ベスト16が関の山だ。日本が優勝など夢のまた夢。それでもいつか日本が――と夢を描いてしまうくらいには日本サッカーに希望を持っていた。

『世界一のストライカーになるためには世界一のエゴイストでなければならない』

絵心さんの言葉に私はひどく共感した。
そんな彼が施設を立ち上げたと知り、どんな立場でもいいからサッカーに関わる仕事をして彼らをサポートしたいと思った。絵心さんの指導のもと、将来有望な高校生FWがこの“青い監獄”に集まってトレーニングを積めば、あるいは――。


“青い監獄”で働いているといっても平たく言ってしまえば雑用という名の仕事がほとんどだ。部活でいうマネージャー的存在。決してマネージャーの仕事を軽んじているわけではない。
データベースなどの管理はアンリさんが主にやっていて、私はたまに補佐をするくらい。しかし昔から頭を使うことより体を動かすことの方が好きだった私にとっては現場での仕事は願ってもないことだった。

五つの棟で形成されているうちの一棟が私の担当であり、23時以降は洗濯物を回収する時間だ。
大きなカートを引きながら脱衣所へと赴き、ドアをノックする。入浴は23時までの規則だから人はいないと思うけど一応ね。
それからカードキーでドアを開け、入り口付近に設置されている回収カゴから洗濯物を回収する。

(汗まみれのユニフォームにタオル……懐かしいなあ)

学生時代の思い出が蘇り思わず笑みがこぼれる。
施設自体は最新設備を搭載していて莫大な予算が掛かっていることもあり、こういった裏方の仕事にはお金を掛けてはいないらしく「なまえちゃんも気合いが入るだろう?」とは絵心さん談だ。
それから大浴場に人がいないかチェックして、軽く脱衣所を掃除するのがこの時間のルーティンなのだけど――

「わっ、びっくりしたぁ……」

誰もいないと思っていた脱衣所に一人の人物を目にして思わず声が出た。鏡を見ていた視線が突き刺すようにこちらに注がれる。
名前は確か、糸師凛くん。新世代世界11傑にも選ばれている糸師冴の弟くんだ。入寮時から他の子とは明らかに段違いのオーラを放っていて、およそ16歳の高校生とは思えない鋭い眼光に有無を言わさない雰囲気。それらに畏怖したのは記憶に新しい。
しかしそんな彼を少しだけ柔らかくしているのは上げた前髪から惜しげもなく晒された額と瞳だった。そして手元には理髪用のハサミ。

「一応ノックはしたんだけど……」

そう告げれば彼は舌打ちしてすぐに前髪を下ろして乱雑に髪を掻いた。そしてしばし流れる沈黙。もしかして邪魔したせいで機嫌を損ねていらっしゃる……?

「あの、点検したり掃除終わるまでまだ時間あるから私のことは気にせず続けて平気だよ」

そのまま大浴場へと歩みを進めようとすれば背後から「オイ」と呼び止められる。振り返れば鋭い目付きで私をじっと見つめる凛くんと目が合い、そのただならぬプレッシャーに緊張感が走る。

「誰にも言うなよ」
「え?あ、使用時間過ぎてること?平気平気!試験結果には響かないから」
「違ぇよ」

大きく舌打ちをし、先程よりも苛立ちを含んでいるような声に困惑する。もしかして知らぬうちに地雷を踏んでしまっていたのだろうか。理由はわからないがとにかく謝っておくべきかと考えていたら、今度は大きなため息を吐いた。

「……前髪上げた顔が兄貴に似てること」
「へ?」

あまりにも予想外の言葉に間抜けな声を上げてしまう。一瞬だったしよく覚えてないけど、でも確かに言われてみればそっくりだったような……?顎に手を当て、数分前の出来事を思い返していると「思い出すんじゃねぇ」と今度こそ怒られた。思春期男子の情緒がわからない……!

「でも新鮮でいいと思うよ。ていうか近くで見るとまつ毛長いんだねぇ。羨ましい〜」
「見んな、近寄んな」

近づいてまじまじと凛くんを見れば至極鬱陶しそうに距離を取られた。しかし居心地が悪い表情の中にほんの少しの照れのようなものも混じっているように見えて、そんな彼に私はどこか嬉しくなった。
誰よりもサッカーに熱く、兄に復讐するためだけにサッカーをしていると小耳に挟んで、彼を取り巻く環境や彼自身からただならぬ空気を感じていて少し近寄り難い子なのだと勝手に思っていた。
だから彼の口から出た言葉は等身大の高校生のように思えて、そんな部分を素直に可愛いと思ったのだ。

「笑ってんじゃねぇよ気持ちわりぃ」
「じゃあこれは二人だけの秘密だね。なんなら私が切ってあげようか?」
「あ?調子乗んな殺すぞ」
「わお、物騒」


その日以来施設内で私の姿を見かけると、言いふらさないか見張るかのように無言の圧力という名の如くじっと睨まれるようになった。
しかしそう感じていたのは私と彼だけだったらしく、周囲からは凛くんが年上の女に熱視線を送っていると噂が立つようになるのだが――それはまた別の話だ。


2022/12/28

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