other

よき匂いの海

幼なじみという言葉や関係性はそれだけで切っても切れない縁が生まれるものであるけれど、同時に毒のようなものでもある。じわじわと内部をゆっくりと時間をかけて侵していき、気付いた時にはもう全身を巡っているのだ。


「はあーあ、せっかく東京に来たのに落ち合う場所が寮の前の公園とはねー」
「だって俺オシャレなカフェとか知らないし」
「だろうね。どうせずっと家でゲームばっかしてるんでしょ」
「イエス」

堂々と答える誠士郎の視線はスマホのゲームに集中している。服はスウェットのままだし寝癖はついたままだし、いくら相手が幼なじみとはいえさすがに面倒くさがりすぎにも程があるだろう。
高校生活にも慣れ、まとまった休みがあるGWに誠士郎の生存確認ついでに東京を案内してもらおうと思っていたけれどやはりアテにはならなかった。久しぶりに会えたし、たまには二人で出掛けたりしたかったんだけど。しかし東京に行っても何ひとつ変わらない誠士郎にどこか安心したのも事実だった。
初夏を感じさせる日差しにじんわりと汗が滲むも、生い茂った木々がほどよくベンチに日陰を作り出していて時折吹く風が心地良い。駅前のコンビニで買ったお茶で喉を潤してひと息つく。

「寮には入れないから冷蔵庫チェック出来ないけどちゃんとご飯食べてる?」
「食べてる食べてるー」
「ゼリー飲料とパンで済ませてない?」
「……ない」
「図星か」

ブランコを揺らしながらゲームをしていた誠士郎はばつが悪そうに私を一瞥した後、スマホをポケットにしまい込んだ。
長身を曲げてブランコに座る誠士郎は何だかこの場には不釣り合いで、いつの間にかこんなにも成長していたのかとしみじみ思う。小さい頃はいつも家にいる誠士郎を私が無理やり外に連れ出して遊んだものだなあと懐かしい気分になる。
思えばその頃から誠士郎は「めんどくさい」が口癖で、私もそれがきっかけで何かと面倒を見るようになった。おばさんもわりと昔から放任主義だったから、いつしか私は姉のような立ち位置で誠士郎を世話するようになったのだ。

「食べるのもめんどくさいのに作るなんてもっとめんどくさい……」
「そんなこと言ってるとマジで野垂れ死ぬよ?せめて休みの日くらいマシなもの食べなさい」
「えーめんどくさい……」

このままだと誠士郎はダメ人間まっしぐらだと悟ったのは中学生の頃だったか。
甘やかしてはいけないと思いつつも、それ以上に放っておいたら死ぬんじゃないかコイツ?というレベルまできてしまえば私の面倒見スキルはもうとどまることを知らない。
このまま高校、大学までそんな関係が続いていくと思っていた矢先の出来事だった。誠士郎が県外の進学校に行くと聞いたのは。

『誠士郎、高校どこに行くか決めた?進路希望調査出してないのあんただけだって先生が言ってたけど』
『東京の進学校にした。名前なんだっけ……あ、白宝高校ってとこ』
『え、なんで?てかそこ偏差値めちゃ高いとこだよ!?』
『将来楽して生きるための近道』

そう告げられた時、私の中で何かが割れるような音がした。
誠士郎はいつもめんどくさがりでやる気もないけれど、だからといって何も出来ない人間なわけじゃない。勉強だってスポーツだってやろうと思えばきっとなんだって出来る。めんどくさいからやらないだけ。
だからその時点で私と誠士郎が離ればなれになるのは決まったようなものだった。学年順位中位の私がどんなに努力したところで白宝高校には行けないから。
そうして誠士郎は危なげなく白宝高校に合格したのだけれど、さらに驚くことに寮生活でひとり暮らしをすると聞いて開いた口が塞がらなかった。
私がいなきゃ野垂れ死にそうな誠士郎がひとり暮らし?絶対無理。下手したらコンビニ弁当どころか何も食べない可能性も有り得る。高校生活だってちゃんと送れるか想像しただけで不安で仕方ないというのに。中学だってほとんどの授業を寝て過ごし、毎時間私が起こしていたのだ。私のような人間がそばにいない環境で起こしてくれる人はいるのか。入学前から心配でしょうがなかった。
矢継ぎ早にあれこれ誠士郎に問えば「何とかなるっしょ」と一蹴され、そして今日に至るわけなのだけど――案の定ほぼ予想通りの生活を送っていたことと、誠士郎の言葉通り本当に何とかなっていることに安堵と呆れのため息が混じりあって溢れたのは言うまでもない。

「いい加減その口癖直しな?」
「俺にとって呼吸することと同じだから無理」
「私だっていつまでも面倒見てられるわけじゃないんだからね」

なんて言いつつも彼女が出来てたらどうしよう、そろそろウザがられるかな……と内心不安だった。しかし電話で近況報告をした時に相も変わらず一人でいると聞いて正直ホッとしてしまった。顔はいいが変人の方が勝っているから中学の頃も女子に言い寄られてたりとかはなかったし……。そもそも人付き合いがめんどくさいと言ってたからしばらくは彼女が出来る心配はなさそうだ。とはいえ私もそろそろ彼氏作りたいし、面倒見てくれる人が現れてくれたらそれはそれでいいのかもしれない。
しかし結局のところ、誠士郎ではなく私の方が離れられないでいることは私自身が深く理解していた。だからいろんな意味で誠士郎を超える人に出会わない限り、彼氏どころか好きな人すらも出来ないかもしれない。かといって誠士郎に先を越されたらそれはそれでショックだし、素直に祝福出来るかと言われれば話は別だけど。

「彼氏でも出来たの?」
「世話の焼ける幼なじみがいたら作ろうにも作れないっての」
「えーじゃあいっそのことなまえがずっと俺の隣にいてよ」
「それどういう意味で言ってる?」
「?そのままの意味だけど」

あっけらかんと言い放った誠士郎にあからさまなしかめっ面をする。そんなことだろうと思ってたし、第一それ以外の答えが返ってくるだなんて最初から思ってなかったけど。
“そのまま”ということが果たして私にとっていいことなのか。今更関係を変えたくないけれど変わらずにずっと隣にいることだって出来ない。いつかこの関係と向き合わなければいけない日がきっと来る。
太陽を直に浴びていた誠士郎は「あっちぃ」と顔を歪ませ、猫背になりながら私の隣に腰を下ろした。

「喉渇いた。お茶ちょーだい」
「ん」

ベンチに置いていたお茶を取ってキャップを外した状態で手渡せば、誠士郎は当たり前のようにそれに口を付ける。彼からすれば間接キスだって日常の一部でありなんでもないことなのだ。私は揺れる喉の突起ですら異性としての成長を感じざるを得ないでいるというのに。

「……好きだからとか彼女としてって意味でもなくて?」
「好きとかそういうのよくわかんない。なまえ以外の女子のことよく知らないし。それになまえなら昔から知ってるからめんどくさいとかないし、だからこれからもずっと一緒にいたいってそう思っただけ」

「それじゃダメ?」と顔を覗き込んできた誠士郎に思わず言葉を詰まらせる。
ダメ、ダメじゃない――どっちが正解なんだろう。私だって誠士郎に対する感情が幼なじみとしてか異性としてかわかっていないのに答えなんて出せるわけがない。でも私から離れていって誰かのものになってしまうのはやっぱり寂しいし、少しだけ嫌だなと思う。こんなものただのエゴでしかないのに。

「まあ……誠士郎がそう思ってくれてるうちはそれでいいよ」
「何それどーゆー意味?」
「んー私にもわかんない」

鞄からタオルを取り出して誠士郎の口を拭う。
今はまだ、こうして昔と変わらずに隣にいられればそれだけで充分だから。
“幼なじみ”という全身を巡った毒は簡単には消えない。むしろ私はずいぶん前からそれを心地良くすら感じてしまっているんだ。


2022/12/25
title:金星

back
- ナノ -