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すなわちここまで芝居です

手にした紙切れにこうも頭を悩ませているのはきっと私くらいだろう。普通なら割引券というだけで大いに喜んでいるところだが、素直に喜べないのには二つ理由があった。一つはその割引券はボーダー内の食堂で提供されるメニュー――うどん限定であること。そして二つ目は私はうどんが苦手だということ。
数日前、食堂でラーメンを啜っていたところに真織ちゃんが良かったらとくれたのが始まりだ。しかし私は麺類はラーメンしか食べないと言っても過言ではないくらいの無類のラーメン好きで、それは周知の事実でもあった。それなのに真織ちゃんがなぜ私に渡してきたのか、心底不思議でならなかった。食べられなくはないが進んで食べもしないので「他の人にあげて」と言えば、真織ちゃんは「せやったらなまえさんから他の人にあげて下さい」と半ば押し付けるようにして強引に握らされていた。
どうしたものかと困り果てたのも束の間、次の日にも同じものを渡された。ただし渡してきたのは真織ちゃんではなく同じ生駒隊の海くんだった。真織ちゃんの時と同様に断れば、また同じように「じゃあうどん好きな人にでも渡してくださいっす!」と言われてしまい、行き場のない紙切れがまた一枚増えた。
そしてその次の日も、そのまた次の日も同じことが立て続けに起きた。隠岐くんとイコさんが前述と同様の台詞を並べ、そこでさすがに不審に思った。この流れだと明日は水上がやって来るか――少しばかり身構えたものの、その予想は呆気なく外れる。何かのいたずらや嫌がらせの類だと思っていたのはどうやら私の勘違いだったらしいと自己完結すれば、次の日には疑心暗鬼な気持ちもすっかり晴れていた。
とはいえ四枚貯まった割引券は六日間行き場をなくし、結局私の手元へと置かれたままだ。大体なんでうどん限定?と改めて疑問を寄せた時、ふと一人の人物が私の脳内に現れた。

(あれ?そういえば水上ってよくうどん食べてた気がする……)

たまに食堂で一緒になった時の記憶を手繰り寄せ考える。思えば彼が注文していたのはいつもうどんだった。
ならばなぜ生駒隊の面々はうどんが好きな彼に渡さずわざわざ私に渡してきたのだろう。その意味を考えてやがて一つの答えに辿り着くが、まさか隊ぐるみでそんなこと……いや、生駒隊ならやりかねない。そういうノリ好きそうだもんなぁ。
しかしそう後押しされたところで臆病者が簡単に実行に移せるわけがないのだ。



「はあ……」

あれから一週間が過ぎた。未だ割引券は私のポケットの中で日の目を見ることなく眠っている。生駒隊メンバーの間接的な後押しもあり何度も勇気を出して水上に渡そうとしたものの、本人を前にすると胸が高鳴って上手く言葉が出ない。たった一言「あげる」と渡せばいいだけなのに、断られたらどうしようと考えるとなかなか一歩が踏み出せなかった。
とぼとぼと廊下を歩いていると、気付けば生駒隊作戦室のそばまでやってきていた。扉は閉まっていて中の音は聞こえず、様子を窺うこともできない。いま中に水上が一人でいたなら勇気を出して渡してみようかな……と考えたがもし全員が揃っていた場合、私はきっとまともな言い訳すら思いつかず慌てふためいてこの場を去るに違いない。勢いで言えたとしても周りから冷やかされようものなら、それこそ水上と顔を合わせることすらできなくなってしまう。
ポケットから出していた割引券を無言で見つめ、再び暗闇の中へと戻そうとする。そのまま作戦室を通り過ぎ突き当たりを曲がれば、人の気配に気づかなかったせいで誰かとぶつかって足がもつれた。

「わっ、!」
「うおっ、っと……気ぃつけなあかんで」
「ごめんなさ――っ!」

咄嗟に腕を掴まれて尻餅をつくことは避けられたものの、反動で目の前に突然飛び込んできた胸元に思わず喉がヒュッとなる。
生駒隊の隊服を身に纏った、気怠そうな三白眼――その見た目に反してしっかりと私の手を掴んでいるのは紛れもない水上だった。
反射神経の良さとその力にさすがボーダー隊員と感心するとともに、間近で感じる身長差や体格差に否応なく異性を感じさせられる。慌てて彼の胸板を押し返して距離を取ったものの、触れ合った温もりはそう簡単には消えてくれない。

「ごめっ……その、あ、ありがとう……」

顔に熱が集中するのを自覚しつつ俯きながら必死でお礼を述べる。その時視界に入った物に思わず目を見開いた。ぶつかった時にポケットにしまい損ねた割引券が水上の足元に落ちているではないか。やばい。この状況でソレについて触れられるのは気まずい。
しかし同時に願ってもない状況でもあり、またとないチャンスであることも理解していた。今なら自然な流れで渡せるかもしれない。

「ん?何なん、これ」

私があまりに凝視していたせいか、視線の先のモノに気づいたらしい水上がひょいと拾い上げて問いかけてくる。チャンスと言うよりはもうどうにでもなれというやけくそに近い。ここであれこれ考えていたら逆に挙動不審になるかもしれない。臆病な自分を変えるには今しかない。
勢いに任せてずっと言えずにいたことを声に乗せる。

「真織ちゃんたちにもらったんだけど私うどん食べないから……その、良かったらあげる。水上うどんよく食べてるし……」

心臓がうるさくて仕方ない。早口で最後のほうは尻すぼみになりつつも、ポケットから残りの三枚を取り出して差し出せば、水上は深く長いため息をついた。予想外すぎる反応に一気に血の気が引いていく。どうしよう、これは絶対に断られるやつだ。急に不安が襲いかかってきて慌てて「ってやっぱ迷惑だったよねごめん!」と手を引こうとすれば、水上が「ちょお待て」と阻止するように腕を掴んでくる。

「遅いわアホ」
「え……?」

遅い?何が?水上の言葉の意味がわからず不安を隠しきれない表情のまま彼の顔を見つめれば、何だか呆れ果てた顔をしていてますます彼の真意が読めない。

「迷惑やあらへん。むしろ首長ーくしてずっと待っとったわ」
「……え、は、どういうこと……?」
「毎日代わる代わる渡されて変やと思わへんかったんか?」
「思った、けど……」

それとこれに一体どういう関係があるのだろう。
混乱状態の頭でゆっくりとその時の流れを整理すれば、ひとつの可能性が浮上する。

「あっ、」

もしかして水上が周りの人間を使って私がこの割引券をきっかけに水上に声を掛けるように根回ししていたってこと……?つまりそれは勘違いでなければ水上も私と同じ感情を抱いているということになる。

「やっと気ぃついたんか。まあみょうじの気持ちは何となくわかったんやけど」
「ならどうしてこんな回りくどいこと、」

未だ疑問が湧き上がる頭で問えば、掴んでいた腕をぐいと引き寄せて私の耳元に口を寄せる。

「そら確実にモノにしたいからに決まっとるやろ」


――その後放心状態の私をよそに「ラーメンばっか食うてへんでたまにはうどんも食うてみぃ。美味いで」と一枚を私のポケットにしまい、水上はそのまま作戦室へと入っていった。
好きな人にそんな風に言われてしまえば食べないわけにはいかない。まんまと乗せられた私は後日食堂でうどんを注文し、いざ使おうとすればおばちゃんに「そんなものを配った覚えはないねぇ」と言われた。まさに寝耳に水である。

つまりは始めから、水上の策士ぶりが遺憾なく発揮されていたというわけだ。


2022/12/12
title:まばたき

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