other

ゆるやかに満ちていく絶望のにおい

今日も人が死んだ。今日も悪魔を殺した。きっと明日にも人は死ぬし、同じ分だけ悪魔を殺す。
悪魔は輪廻転生を繰り返し、真の意味でこの世から消えることはない。存在する限り、人間が恐れる限り、人類の平和など夢物語だ。そんな忌まわしいモノを相手に生業として生き長らえているとは皮肉にも程がある。
公安ほどではないが民間のデビルハンターもそれなりに稼げる。それほどリスクの高い仕事であるという表れでもあるが、そのお金を使わずして死んでしまっては意味がない。悪魔に殺される人間は全体の約三割ほどであるらしいが、果たして私はそこに当てはまる最期を迎えるのだろうか。当てはまらずとも人生のコストパフォーマンスは間違いなく最悪だ。それなのになぜこの道を選んだのか――そんなものはとうの昔に忘れてしまった。

小夜時雨が窓を打ち付ける音で目が覚めた。ただでさえ眠りが浅く夢見の悪い日々を過ごしているというのに、そこに荒れた天気が加わればしばらくは眠れない。
窓に付いた無数の雨粒は重力に沿って真っ直ぐに流れ落ちていく。雨が止むまで繰り返され、やがて乾いて消える。悪魔にとって人間なんてこんなものなのだろう。
雨足は強くなり、耳障りな音から少しでも気を紛らわすべく部屋を出る。キッチンへと足を踏み入れようとすれば先客がいたようで、その人物の異変に思わずその場に身を潜めた。
アキが泣いていた。仲間が亡くなった時はいつもそうだった。公安で働いてそれなりの年月が経っているのに、彼は“それ”に慣れることなく今もこうして涙を流す。
すすり泣く声は雨風に紛れて静かに溶けていく。そんなアキを見る度に、私は自分の非情さを思い知らされる。
両親が悪魔に殺された時も私は泣かなかった。泣けなかった。一瞬にして反転した現実を信じたくなくて、受け入れられなくて、ショックのあまり涙ひとつ零れなかった。だから他人を思いやり、その人のために泣くアキ自身はもちろん、アキに泣いてもらえるということが不謹慎ながらいつも羨ましく思っていた。どんなに惨い死に方をしても、アキに泣いてもらえるだけで今までやってきたことは決して無駄ではなかったと、きっとそう思えるから。
私はアキが死んだ時泣けるのだろうか。亡くなることよりも泣けない自分を想像することのほうがずっと怖かった。
やがてすすり泣く声が治まったと思えば「そこにいるんだろ」とわずかに震えている声が私に向けられた。そっと踵を返すつもりだったのに先に気付かれてしまった。

「喉、渇いちゃって」

ゆっくりと姿を見せれば、アキはそっと顔を背けて雑に涙を拭った。
本当は喉なんて渇いてなかった。ただアキになんて声を掛けたらいいかわからなかっただけだ。慰めなんて陳腐なものは今更気休めにもなりはしない。アキとは正反対に、私は色々と慣れすぎてしまっていた。
夜の帳が支配する部屋の中、冷蔵庫内の明るさに目を眩ませながらミネラルウォーターを取り出す。適当に一口流してそのままアキに差し出せば、アキは何も言わずに受け取って喉を激しく上下させた。

「……お前は俺より先に死ぬなよ」
「先に死んでアキが泣いてくれるなら本望だよ」
「ふざけるな。……もうこんな思いはしたくない」
「アキのほうこそ私より先に死なないでよね」

私が死んで私のために泣いてくれる人がいないと寂しいから。
最期にこの目に映るのは他でもないアキがいい。理不尽な世界で半ば諦めに近い気持ちでただ無心で悪魔を殺す私でも、そんな立派な願いだけは持っている。
距離を詰めてアキの背中に腕を回す。あたたかくて、小さいけど確かに鼓動を感じて、私もアキも確かに生きている。生きることに執着などしていないはずなのに、アキに触れるとすべてを覆される気になる。望んだところで希望なんて見えないというのに。
アキの右腕が私の体を包み込む。両腕で抱きしめてくれるアキはもういない。公安なんてさっさとやめて民間に来ていればこんなことにだってならなかっただろうに。復讐心などとうに捨てて、ただ死ぬために生きている私がとやかく言えたことではないけれど。第一、言ったところでアキは聞く耳を持たない。

「いっそ一緒に死ねたら幸せなのに」
「銃の悪魔を倒すまで俺は死ねない」

その言葉を聞く度に、もしかしたら私はすでに深淵へと手を伸ばしてしまっているのかもしれないと思わされる。
焦燥感を体現するかのように、雨は一層強くなっていく。

アキに出会った時から運命は決まっていたと、その結末を知ることになるのはそれからすぐのことだった。


2022/11/18
title:ジャベリン

back
- ナノ -