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ほほえみで惑わしたいから騙されて

「今度一緒に映画観に行かない?」
「興味ない」

横から差し出されたチケットに一瞥もくれずパンを頬張る。
天気の良い日に屋上で食べる昼食は心なしか教室で食べるより美味しく感じる。コンビニで買ったただのパンも、まるでパン屋で買った焼きたてパンのように鮮度がある。ひとえに秋めいた澄んだ空気がそう感じさせるのだろう。しかしここ数日で徐々に気温も下がってきて、そろそろブランケットを持参したほうがいいかもしれないなあとぼんやり考える。暖房の入った教室に籠るのはもう少し我慢だ。
そんな焼きたてパンの味を台無しにしてくれる目の前の男は、私の一刀両断した一言を気にする様子もなくさらに続けた。

「これみょうじさんが前に観たいって言ってた作品だけど」
「興味ないのは作品じゃなくて吉田のほう」

いつかの会話の中で何気なく言った一言を覚えていることに素直に感心してはならない。吉田に好意的と捉えられてしまっては迷惑だ。
元々クラスで仲良くなったアサちゃんと二人で食べていたのに、転校生である吉田ともう一人の男子――デンジくんがこの屋上へと足を踏み入れてから、なぜだか顔を合わせれば一緒に過ごすようになってしまった。
もちろん毎日四人が揃っているわけではない。例えば今日のように誰かと二人だけという日もある。しかし吉田とデンジくんは何かと二人でよく行動していることが多いこともあって大抵はアサちゃんと二人だ。だから屋上で顔を合わせてから幾分時が経っていたが、こうして吉田と二人きりになったのは意外にも今日が初めてだった。

「相変わらず歯に衣着せぬ言い方するね」
「事実を言っただけ。悪いけど他あたって」

パンのゴミをレジ袋に入れ、ペットボトルのお茶で喉を潤す。見向きもしない私に吉田は「困ったな」と呟いて短く息を吐いた。

転校初日で私は吉田のことを「ああ、苦手なタイプだな」と直感した。いかにもモテそうな顔立ちで、良く言えばミステリアス、悪く言えば胡散臭い佇まい。ピアスをいくつも開けているわりに制服はきっちり着こなしていて、何やら裏がありそうな雰囲気が漂っている。見た目からしてガラの悪い、見るからにヤンキーなソレよりも危険な香りがする。優等生が裏で番張ってるみたいな、そんな感じ。とにかく私の本能がこの男は危険だと告げていた。
そもそもクラスで特に目立つようなタイプではない私がそのような男と接点を持つことなど普通に過ごしていたらなかったはずなのに、いやはやきっかけとは些細なことから生まれてしまうから困ったものである。さらにはその苦手な男から好意のようなものを向けられているのだから、平穏な学生生活はさらに遠のいていく。

「俺ってそんなに信用ならない?」
「ならないね。あとこの際だから前から気になってたこと聞くけどさ、吉田の恋愛対象ってどっち?」
「は?」
「だから男と女、どっちが好きなの。それとも両方?」

淡々と質問する私に吉田は呆気にとられた顔をしていた。普段涼しい顔をしている人間の表情を崩すのはなかなかどうして気分がいい。
デンジくんといつも行動を共にしていて、おまけにやたらと距離が近いから勘ぐってしまうのも無理はない。さらにデンジくんが吉田のことを「俺のストーカー」と言っていたことによって私の中でほぼ確定づけられた。デンジくんのほうは鬱陶しそうにしている辺り、きっと吉田の一方通行に違いない。
私の突拍子もない質問に少なからず困惑していたようだが、一拍置いて「みょうじさんだけど」と求めてもいない答えが返ってきた。そうか、両方なんだな。

「しつこい男は嫌われるよ」
「そういうみょうじさんはいつまで経ってもつれないな」

適当にあしらい、ペットボトルのキャップを閉めて教室に戻ろうと立ち上がろうとした瞬間、不意に腕を掴まれて引き止められる。
振り向いた時にはすでに吉田が体を寄せてきていて、私は反射的に距離を取ろうと上体を仰け反らせていた。

「……何よ」

突然のそれに驚きつつも吉田を睨みつければ、ニヒルな笑みを添えて私の顎を掬った。腕を掴んでいた手はいつの間にか押さえつけるように重ねられていて、逃れようにも目の前の男に力ずくでは敵うはずもなかった。

「あんまり素っ気ないとさすがの俺も実力行使に出るしかなくなるけど」

唇の縁を親指でなぞられて逃れようと顔を背ける。

「私の大事なファーストキスを無理やり奪おうものなら容赦はしない」
「キスしたことないんだ?へぇ……」

含みを持ったそれにろくでもないことを企んでいるのが嫌でもわかる。大体なぜ吉田にキスをしたことがないと自ら暴露しなければならないのか。言ったところで吉田がしないという保証はどこにもないのに。しかしこの際そんなことは今はどうでもいい。力では敵わない故のせめてもの抵抗だ。

「さっさと離れないとチェンソーマン呼んで吉田のこと八つ裂きにしてもらうよ」
「……それは色々と困る。ていうか突拍子もない上に物騒すぎない?」

巷で話題の名を出せば吉田は意外にもあっさりと離れていった。
以前デンジくんが自分がチェンソーマンだと公言していたとアサちゃんから耳にしたことがあったから遊び半分に言ってみたまでだ。実際真偽のほどは定かではないが、仮にもし本当にそうだったなら私としてはこんなに都合がいいことはない。

「まあ考えておいてよ。ちなみにチケットの期限、今週の日曜までだから」
「あ、ちょっと……!」

ベンチに一枚チケットを置いて吉田はそのまま屋上を後にした。去り行く背中に「行かないからね!」と語気を強くして訴えたが、それは吉田に向けたものではなく自分自身に言い聞かせるためでもあった。
そよ風に乗って飛ばされそうになったチケットを慌てて掴む。本能的につい体が反応してしまった。

(何やってんの私)

行く気がないなら別に風に飛ばされようがどうなったって構わないのに。でも置いて帰るわけにもいかないし。捨てるなんてもったいなくてできないし。相手はさておき映画自体は純粋に気になるし。タダで観られるならいいかなって思っただけだし。

(別に吉田と行きたいわけじゃないし)

突き放しているはずなのに、そのせいで吉田のことをあれこれ考えている時点で相手の術中にはまっているような気がしてならない。あーやだやだ。
アクション映画を男女が観に行ったところで何かが起きることなんてきっとない。あるはずがない。しかしきっかけとは些細なことから生まれてしまうものである。今がその証拠だ。
期限まであと二日。騙されるには、まだ早い。


2022/11/15
title:まばたき

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