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雨夜の月

目が覚めたら見慣れた部屋の天井があった。月明かりだけが射し込む薄暗い部屋には夜の静けさだけが漂っている。頭の中で記憶を辿りながらのそのそと体を起こせば、はらりとブランケットが肩から落ちた。

(アキが掛けてくれたのか……)

それからテーブルに視線をやれば数時間ほど前にあったはずの缶ビールが綺麗に片付けられていた。そこでようやく寝落ちをしてしまったと理解する。珍しく未成年二人がいないということもあってつい飲みすぎてしまったか。時計を見ればまだ日付は変わっていなかった。
伸びをして家主に一言声を掛けるべく立ち上がれば、ベランダで紫煙を燻らせている後ろ姿が目に入った。スウェットに着替えているところを見るに、私が寝ている間に入浴を済ませたようだ。

「起こしてくれて良かったのに」
「今日はアイツら帰って来ねぇしパワーの部屋にでも泊まっていったらいい」
「こんな時間にそんなこと言われたらさあ、少なくとも私は勘違いするし期待するよ?」
「夜遅くに出歩くのは危ねぇってだけの話だ。他意はない」
「アキってほんと罪な男だよねぇ」
「そういう意味でしか受け取れないなら追い出すぞ」

わかってる。アキが変な下心などなく善意でそう言ってくれているということは。泊まっていっても何も起こらないことも、口では追い出すだなんて言っていてもいざ帰るとなれば途中まで送ってくれることも。私にとってそれはとても悲しいことであることも、全部わかっている。アキの優しさは私の心を乱して、引っかき傷のように浅くも確実に傷を残していくのだ。
煙草を押し潰してアキが小さく息を吐く。私はその横顔を今までただ見つめることしか出来ずにいる。

「追い出される前に大人しく帰るから安心して。でもその前に一服してってい?」

アキは私の言葉に肯定の意を示すかのように、ベランダの隅に立てかけてある折りたたみの椅子を私に差し出した。それからまたすぐに火を点けて自身も腰を下ろす。付き合ってくれるのかな、なんて内心嬉々として、受け取った椅子を開いてアキの隣に座り、ポケットから潰れた箱から一本取り出して口に咥えた。

「私にも火ちょーだい」

そう言ってちょいと口を突き出せば、アキは当然のように煙草を咥えたまま顔を近付けてくる。至近距離で見るこの伏し目がちな表情に私がどれほど鼓動を働かせているかなんて、きっとアキは知る由もないし知ったところでそれはどうでもいいことだろう。姫野先輩相手にもしていることが私にも許されているところでこれっぽっちも喜べない。
しばらくして火が移り、アキが離れていく。と同時に灰皿が置かれていたテーブルが私のほうへと寄せられた。
そもそも煙草は好きでもないし美味しいと感じたことなど一度もない。ただアキに近付けるひとつの手段として嗜んでいるだけにすぎなかった。それで得られるものはなかったとしてもやめることは出来なかった。
空に向かってため息混じりに煙を吐く。ふとアキの横顔を見つめていれば、視線を感じたアキが「なんだ」と訝しげな顔を前髪の隙間からのぞかせた。

「落ち着かねぇからやめろ」
「酷いなぁ。アキの横顔、絵になるから見惚れてただけなのに」

心からの言葉を伝えてもアキには響かない。
伸ばしているというそのサラサラの髪も、煙草ばかり吸っているその唇も、数えきれないほどの悪魔を討伐してきたその手も、優しさに溢れたその心も。アキのすべてに触れることを許される特別な存在になりたいのに。どうしようもないくらい好きなのに。
私が仄めかしている好意だって本当は気付いているはずなのに突き放すようなことは絶対にしない。その優しさにつけ込んでかりそめの充足感を得たところで真に満たされるものなど何もなく、虚しい期待だけが膨らんでいく。まるでこのいつ落ちるかわからない煙草の灰のようだ。

「眠いなら部屋戻れ」
「眠くないって言ったら相手してくれるの?」
「そんなに出禁にされたいか」
「冗談だよ、冗談」

ただ今だけは。ほんの少しの時間で構わないから。こうしてアキの肩に頭を寄せて温もりを感じさせて欲しいと、星の瞬く夜に願いを込めるだけだ。


2022/11/05

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