君は宵明けぼくだけの星
「なまえちゃん今夜飲みに行こうよ〜」
「えーまたですか?酔い潰れた姫野先輩送ってくの大変なんですよー?」
「ん〜じゃあ宅飲み!宅飲みしよ!」
「それならまあ……」
「やったあ!さっすが私の後輩〜!」
アキが胸に妙な違和感を感じたのは恐らくこの時が初めてだった。だがその時は相手がなまえと同性の姫野だったからとさして気にしていなかった。
しかしその違和感は数週間と経たないうちに確信へと変わっていった――。
「ほーらパワーちゃんそんな顔しないの」
「嫌じゃ嫌じゃ野菜は嫌いじゃ!」
「もっと小さく切ったら食べられる?他のものと一緒に食べれば味も紛れるから」
「野菜嫌いとかガキだな!オレぁなんでも食うぜ!」
「あ、デンジくん、口。ジャム付いてるよ」
「え〜どこっすか」
「あーそっちじゃない、逆」
「わかんねぇっすよ〜。なまえさん取ってください」
「しょうがないなぁ。今取るから大人しくしててね」
「へへ、あざっす」
普段と変わりない日常。朝のワンシーン。手のかかるデンジとパワーの面倒を母親のようになまえが世話する。何とも賑やかな一日の始まりだ。
いつもならばここでアキが二人に喝を入れ、なまえに「甘やかさないでください」などと言うのがお決まりであったが今日は違った。
アキが数日前の違和感の正体に気付いてからというもの、目の前の三人のやり取りをどこか面白くないといった表情で――だがしかしそれを決して表に出すことなく、あくまでクールさを保ちつつトーストを食べながらぼんやりと見ていた。
◇
「それ報告書ですよね?マキマさんの所に持っていくなら俺行きますよ」
「え、いいの?」
「はい、これから行くところなんで。先輩別の案件もありますし、ついでに昨日の捜査報告は俺がしときますよ」
「ありがとう!じゃあお言葉に甘えさせてもらいます。ほーんと、優秀な後輩がいて私も鼻が高いよ」
真面目で手のかからない人間というのは時に損だ。いい意味で相手にしてもらえない。だからといって子供の時のように構ってほしいというわけではないが、アキがなまえに抱える感情に気付いてからというものの、デンジやパワーのような人間を羨ましいと思うようになった。いや、昔からずっとそう思っていた。体が弱い弟に付きっきりで両親になかなか相手にしてもらえなかったあの頃から、ずっと。
アキにとって好意を持っている相手に甘える姿を見せることは、己の情けない、格好悪い部分を見せることと同義だ。普段真面目な人間がそんなことをすれば、相手から戸惑いの眼差しを向けられることは必至であるし、何よりそんな自分は想像出来ない。だからどんなことがあろうと甘えることはないし弱みも見せることはない。
「でも無理はしないでね。デンジくんとパワーちゃんが来て長男気質フルで発揮してるからさ」
「あれは教育、社会指導ですよ。仕事のうちです」
「でもそのアキくんの教育のおかげでデンジくんはテーブル汚さないで食べられるようになったし、パワーちゃんもトイレちゃんと流すようになったからさすがだよ」
そんな風に言われてしまえば、アキのような人間は無理するなと言われても今以上にこなそうとする。それは生まれ持った性質だ。それがある限りきっとデンジやパワー、姫野に対して感じている嫉妬心なるものは消えないだろう。その人物に対してではなく、甘え上手な性質そのものに嫉妬しているから。
「この調子で徹底的に教え込みます」
「その意気込みは素晴らしいけどストレス溜め込んで煙草吸いすぎたりしちゃダメだよ。アキくんのワガママだったら私がいつでも、なんだって聞くからさ」
「言質、取りましたよ」
「おう!ドンと来い!」
胸を叩いて笑みを見せるなまえがいるだけで、アキにとっては充分すぎるほどの糧となる。
とは言ったものの――
「なまえ!ついにワシは野菜を食えるようになったぞ!褒めろ!」
「うん、えらいえらい!この調子で他のものも食べられるようになろうね」
「なまえさん、オレも!頭撫でてくださいっす!」
「ウヌはただなまえに構って欲しいだけじゃろ」
「オレこの前野菜炒め?作ったっす!あとは〜超強ぇ悪魔倒した!」
「すごいねー!よく頑張りました。よしよし」
二人がなまえとじゃれ合うこの光景を見るとモヤモヤが胸の辺りを支配する。我ながらあまりにもカッコ悪いな……とアキは内心自嘲して今日も何食わぬ顔でトーストに口をつける。
「この調子でアキくんの手を煩わせないように出来たら完璧だね」
デンジとパワーからアキへと視線を移してなまえは微笑んだ。そして二人にしたようによしよしとアキの頭を撫でた。
「アキくんもいつもご苦労さま」
「っ、ガキじゃないんですから」
突然降りかかった温もりに、アキは驚きと恥ずかしさで反射的にやんわりと手を払った。本音を言えば嬉しかったが、デンジとパワーがニヤリとした表情をしていたのが見えてアキは慌てて平静を取り繕った。が、どうやら無駄だったようだ。
「おーおー早パイが照れてら〜」
「気色の悪い顔じゃ」
「うるせぇぞお前ら!」
そう吐き捨て再びトーストに勢いよく齧り付いた。気持ちの良い音とともにひたすらそれを咀嚼して何とか気持ちを落ち着かせようと努めた。
どんなワガママも聞くと言質を取ったものの冗談半分で口を突いて出た言葉だったため、いざ考えようとしてもこれといった具体案は浮かばなかった。
むしろなまえが自分を理解してくれている、気にかけてくれているという事実こそが、アキが何よりも求めていたものなのかもしれない。
2022/11/03
title:金星
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