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02

二人がリビングを出ていった後、しばらくして浴室からシャワーの流れる音と何やら楽しそう(言い合っていると言うべきか)な声が微かに聞こえてくる。
嵐が去ったように静かになったリビングでアキくんは再びため息を吐いた。そのまま腰を落ち着かせるかと思えば再びキッチンへと足を踏み入れ、翌朝に出すであろうゴミの整理をしていた。何やら文句が聞こえてくるのは恐らくデンジくんとパワーちゃんが分別せずに出していたのかもしれない。

「先輩も飲みます?」
「え?」

ゴミをまとめたアキくんが冷蔵庫を前に問いかけてくる。どうやら今日のアキくんは一段と疲労困憊気味らしい。缶ビールを片手にしている姿に飲み直すことを察知した。頃合いを見て帰るつもりだったけれど、アキくんから声を掛けられて断る理由がない。むしろあんなことを言われて何かを期待すらしている。

「あ、じゃあいただこうかな」
「というかいつまで突っ立ってるんですか」
「それはアキくんも同じでしょ」
「アイツらが風呂に入ったからやっと落ち着けます」
「私で良ければ飲みも愚痴も付き合うよ」

二人して腰を下ろせばアキくんは早速ビールを呷った。
そして飲み直しでスイッチが入ったのか、一本だけでは終わらず気付けばテーブルの上には空になった缶が三本並んでいた。
一時間足らずで案の定出来上がったアキくんはテーブルに伏せた状態で眠ってしまった。途中何度も止めたりベッドに行くように声を掛けたが「大丈夫です」としか言わなかったけれど全然大丈夫じゃない。さすがにこの状態のままでは帰れない。

「あ〜あったけぇ風呂はやっぱ最高だぜ〜」
「デンジは湯船を占領しすぎじゃ。ワシが入れんかったじゃろう」
「てかよぉ〜お前いつまで一緒に入るつもりだよ」
「あ、二人ともちょうど良かった」

アキくんが寝落ちしたタイミングでデンジくんとパワーちゃんがお風呂から上がってきた。早速ベッドまで一緒に運ぶようにお願いすると、二人はあからさまに渋い顔を見せた。

「そのまま寝かせときゃいーんじゃないすか」
「そうじゃ、別に布団で寝なくても死にはせん」
「こんな体勢で寝たら体痛くなるし風邪引いちゃうよ」
「人間はヤワじゃのぉ。というわけでワシはもう寝る。さらばじゃ!」
「あっ、パワーちゃん!ちゃんと髪乾かしてから寝るんだよー!」

夜更かしするって言ってたくせにまったくもう。無意識にため息が漏れ出て、何だかアキくんの気持ちが初めてわかったような気がした。チラリとデンジくんを見れば「俺も眠くなってきたなァ〜」と去ろうとしたので腕を掴んで引き止める。

「アキくんが倒れたら私が困るの。だからお願いデンジくん」

両手で包み込むようにして手を握れば、デンジくんはわかりやすく頬を染めて「ハイっす!」と返事をした。彼の弱みにつけ込む私も大概悪い女ではあるが、あまりにもチョロすぎるデンジくんは見ていて心配になってしまう。

「じゃあ私こっち支えるからデンジくんはそっち支えてくれる?」
「パイセン背高ぇし重いから運ぶの大変だぜコンニャロ〜」
「すぐそこだから頑張って」

そんなこんなで数メートルの間ずるずると足を引きずりながらも何とかベッドまで運ぶことが出来た。倒れるように寝かせても小さく声を漏らすだけで起きる気配がない辺り、飲みすぎもあるが日頃の疲れも相当溜まっていたんだろう。

「ありがとねデンジくん。助かりました」
「ウス。なまえさんは帰るんすか」
「ちょっと様子見てから帰るよ」
「そっすか。じゃあ俺部屋戻ります。おやすみなさいっす」
「うん、おやすみ」

デンジくんが出て行くのを見送った後、ベッドサイドの横へと座ってアキくんの寝顔を眺める。寝息が微かに聞こえるだけのこの空間に、時折混ざる衣擦れの音が妙な緊張感を漂わせる。悪魔が存在するとは思えないくらい静穏な夜だ。
結びっぱなしになっている髪に触れ、ヘアゴムをそっと引き抜く。さらりと流れたそれに手を伸ばそうとすれば、くすぐったさに目を覚ましたのか身動ぎをしながらうつろな瞳がゆっくりと私を捉えた。

「ん……先輩……」
「大丈夫?水持ってこようか?」

そう言って立ち上がろうとした時、不意に腕を掴まれて引き寄せられた。よろけて至近距離まで近づいたアキくんに思わず目を見開く。

「なまえさん、顔」
「へっ?顔?」

徐にアキくんの手が頬に触れる。こんな風に触れられるのは初めてだ。指の腹で何度も何度も撫でるように、優しい手つきで私の熱を包み込む。
期待渦巻く先の展開に息が詰まりそうになる。跳ね上がった感情を必死で抑えようとしつつも、ふと数時間前に言われた言葉が脳裏をよぎった。

『なまえさんだったら何とも思わなくないですよ』

ほんの少し顔を寄せれば触れることが出来る距離に、ついに理性を捨ててしまおうかと考える。しかし脳内であれこれ考えている時点で結局は捨てられないことはわかっていた。
そんなことを考えていたらベッドから身を乗り出したアキくんの顔が近づいてきた。来る――そう思って反射的にぎゅっと目を閉じるも、数秒経っても何もない。恐る恐る瞼を開ければ、アキくんは眉根を寄せて呟いた。

「ん……ホクロか……」
「……は!?」

それから手の温もりが離れたと思えばすぐにまた規則正しい寝息が聞こえてきた。
予想外の展開に拍子抜けやら別の意味で処理が追いつかないやら。完全に寝ぼけている行動に自然と深いため息が出た。
正直文句のひとつでも言ってやりたかったけれど、寝顔を見てしまえばそんなものはすぐに消えてしまった。こうしてアキくんが眠れる夜を過ごせることが私にとって何よりも尊いものだから。

「……好きだよ、アキくん」

あの時言ったアキくんの言葉が酔いの戯言ではなく本心だったとしても。いつか失う怖さを考えてしまうと、本人を前に素直な想いなど到底打ち明けることは出来ない。公安のデビルハンターはそういう仕事だから。
ただ私にとってアキくんが特別な存在で、アキくんにとって私が、形はどうあれ失いたくないと思える存在であれたらそれでいいんだ。


2022/10/22

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