ぼく以外にこころをあげないで
のちに沖田は語る。
「最近マスターの護衛にやたら力が入ってるみたいなんですけどいつ専属になったんですかね?特に男性陣が近づくと牽制って言うんですか?静かに殺気オーラを放っててあれじゃマスターの気が休まりませんよ」
◇
「はーいマスターちゃんちょっとそこ座ろうか」
「え?」
レイシフトであとはカルデアに帰還するだけというところで呼び止められる。
軽いトーンでにへらと笑う斎藤だったが、どこか真剣さを思わせる眼差しは有無を言わさない雰囲気を纏っていた。それをなまえは何となく感じ取ったため、特に何も言わずに大人しく言われた通りに近くの切り株に腰を下ろした。
解消する前にはエネミーが出現していたこの森も、今はすっかり穏やかな自然の一部だ。生い茂った木の葉の揺れる音と吹き抜ける風が、張り詰めていた気持ちをリラックスさせてくれる。
「足、怪我したでしょ。見せて」
先の戦闘でほんのわずかではあるがなまえは怪我を負った。それを簡単に見逃してはくれないのが斎藤だった。
「さっすが一ちゃん、目敏いね。でも平気!大したことないから」
「そう言って前に医療班にこっぴどく叱られてたのはどこの誰でしたっけねぇ」
「うぐ……」
突き刺すような視線に思わず顔ごと逸らす。やはりこの男に隠し事は出来ないな、と心の中で白旗をあげた。
確かに斎藤の言う通り以前怪我をした際、大したことはないだろうと医務室に行かずにいたら後日問診という名の尋問に引っかかり、アスクレピオスとナイチンゲールに詰め寄られたことがある。
マスターが怪我をすればサーヴァントに影響が出るためマスターを第一に考えるのは至極当然のことなのだが、過保護すぎやしないかと思うのもまた事実であった。
「マスターちゃんはもうちょい自分のことを大事にしなさい」
「そう言っても体が勝手に動いちゃうんだよ。一ちゃんに限らずサーヴァントの皆にはなるべく怪我させたくないから」
「それでマスターちゃんが僕より傷を負ってたら元も子もないでしょうが」
ごもっともである。しかしなまえはサーヴァントをただマスターを守るためだけの盾として扱いたくはなかったし、守られ、命令をすることだけがマスターの役目ではないとも思っていた。サーヴァントに真理を突かれてては世話がないのだが。
同じようにサーヴァントだってマスターにはかすり傷のひとつだって付けたくない。責務、矜恃、あるいは別の感情――理由が何であれ、サーヴァントである限りその思いが変わることはない。相手が彼女ならばなおのことであった。
些細な出来事ひとつで良くも悪くも感情がよく弾むゴムボールのように一喜一憂する。それほどまでに彼にとって彼女の存在は特別であり大きなものだった。
以前、なまえが医務室に入っていったのを通りがけにたまたま目にした。ドアは開いたままで特に気にすることもなく声を掛けようとしたが、眼前に飛び込んできた光景に斎藤は反射的に踵を返した。
まるで剣で胸を突き刺された気分だった。
医者が患者の診察や触診をするなんて仕事なのだから当然だ。ましてや下心を持ち合わせているはずもないし、言うまでもなく二人の間には何もない。しかしなまえに触れるアスクレピオスを目にした斎藤は少なからず嫉妬なるものを抱いてしまった。何気ない会話をしている姿すらも見たくないと思ってしまうほどに。
ダサい、と心底自分でも思う。けれどなまえに対する感情がマスターとサーヴァントの主従関係によるものだけではないことは、彼自身それを目にする前から強く自覚していた。だから余計に嫌だった。
「ちょっと捻った感覚がしたけどほら、痣もないし」
ブーツで覆われていた脚が無防備に晒される。見せろと言ったのは自分なのに、いざ素直にそうされるといろんな意味でため息を吐きたくなった。
「痣が出来てないから平気、ってマスターちゃん思考回路単純すぎない?」
「っ、ちょ、ちょっと一ちゃんっ……!」
「足首、ちょっと腫れてるじゃないの」斎藤に片足をそっと持ち上げられ、なまえは反射的にスカートの裾を強く押えて足を引っ込めようとした。
今のこの状況において懸念事項があまりに多すぎる。目線は自分より下だし、ブーツを脱いだばかりで足は蒸れているし、もしかしたら臭いだってあるかもしれない。おまけに今は極地用の魔術礼装のためスカートの丈が短い。なまえの羞恥心を煽るには充分すぎるほどだった。
「あー……わりぃ。さすがの一ちゃんもデリカシーに欠ける行為でした」
恥じらうなまえを目にした斎藤はすぐにブーツを履かせて立ち上がった。
しかし口ではそう言ったものの、頬を染める彼女を見て少なからず驚いていた。そして不覚にもどこか満足感のような、優越感のようなものが込み上げてしまった。
怪我を心配したのは事実。しかし純然たる気持ちだけかと言われたらそれは否だ。医務室での光景を目にしてからどこか脈打つ感覚が不快で仕方なかった。さすがに意図してこのシチュエーションを作り上げたわけではなかったが、なまえの反応に不意打ちを食らったおかげで彼の中に渦巻く黒くて醜い感情は今やすっかり消え去っていた。
だってあの反応――あんな表情を見せられたら期待もしたくなる。
「別に怒ったりとかはしてないから……!ちょっと、びっくりしただけ」
「わかってますって。帰ったらちゃんと診てもらいなさいね」
「うん……そうする」
くしゃりとなまえの頭を撫で、「そんじゃ帰りますか」と手を差し出す。「歩ける?」「痛みはないから大丈夫」なんてやり取りをしながらレイシフトしてきた地点に向かって歩き始める。
「あ、帰る前にひとつ聞きたいんだけどさ」
しばらくしてその空気をそっと割くように斎藤が声を漏らした。
「どうしたの?」
「さっきのマスターちゃんの反応……僕のこと男として見てくれてるって思っていい?」
突然の一言になまえの心臓は大きく跳ね上がる。
まったく他人の変化に敏感であるというのも困りものだ。咄嗟に出た反応にこうも問いただされてしまったら、さすがにここで誤魔化すのは野暮というものか。
「……一ちゃんの好きなように受け取っていいよ」
主従関係以上の感情が芽生えてしまえばもう理性だけではどうすることも出来ない。それはなまえも斎藤も同じだった。
2022/03/25
title:金星
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