手にいれた陽だまりをポケットに
*ポッキーの日
次の講義まで時間がある時は大抵日和とレポートを書いたり、競泳に関しての話をしたりして時間を潰している。今日も一コマ空いているためラウンジでひと息ついていたところだ。
日和はコーヒーやカフェラテなどその日の気分によって飲み物を変えているけれど、今日は珍しくその横にはお菓子が備わっていた。
「郁弥も食べる?」
「あ、うん。ありがと」
僕があまりにじっと見ていたのが物欲しそうに見えたのか、日和が手に持っていたそれを箱ごと差し出してきた。一本引き抜いてしばし見つめていれば「食べないの?」と日和が問いかけてくる。
「お菓子買うなんて珍しいね」
「ああ、これね。郁弥今日が何の日か知ってる?」
日和に言われて考えてみるも誰かの誕生日、記念日――特に思い当たるようなことはない。すると日和は箱からもう一本取り出し、手でそれを縦に並べて「11月11日――ポッキーの日なんだって」と言われたところでようやく理解する。そんな日があっただなんて知らなかった。とはいえ無理やりこじつけて記念日を作ったりしているようなものもあったりするし、いちいち気にしていたら毎日が何かしらの記念日になってしまうから深く気にしないほうがいいのかもしれない。
「お店のポップにそう書いてあってつい買っちゃったんだよね」
「普段進んで買うことがないからいいきっかけにはなるかもね」
ずっと手に持っていたそれをぽりぽりと咀嚼する。久しぶりに食べるお菓子は結構美味しい。「もう一本ちょうだい」と言えば「二袋あるから開いてないほうあげるよ」と銀袋に入ったポッキーを箱ごと分けてくれた。
「こんなにはいらないんだけど……」
「ねぇ郁弥、ポッキーゲームって知ってる?」
「このひと袋のポッキーをどれだけ口に入れられるか、とか?」
「それはそれで面白そうだけど違うよ。まあ簡単に言えば男女が楽しむゲーム、かな?」
日和がスマホを僕のほうへ見せてきたから視線を画面に移せば、検索結果にはポッキーゲームの概要が記されていて読み進めていったところで思わず唖然とする。
「何これ、って顔してる」
「当たり前でしょ。だってこれお互い折らずにいたら、」
そこまで言って口を噤む。そもそも日和は僕にこんなことを教えて何がしたいんだ。
「つまりね、それ使ってみょうじさんとの距離を縮めてみたら?ってこと」
不意に出された人物に思わず心臓が跳ねる。言った本人は僕の気持ちも知らずに頬杖をついてどこか楽しそうに微笑んでいるから何だか複雑だ。
「はあ!?やるわけないだろ!」
「何もいきなりポッキーゲームしろって言ってるわけじゃないよ。会話を弾ませるアイテムとしてって意味」
思わず声を張れば日和は気に留めることもなくくすくすと笑うだけだった。必死になって否定してる僕が馬鹿みたいじゃないか。ああもう耳が熱い。
「僕は純粋に郁弥の恋を応援してるんだよ」
「面白がってるようにしか見えない」
「んーそうだね、完全に否定はできないかな」
相も変わらず眼鏡の奥の笑みはどこか楽しんでいるように見える。
そもそも彼女について何か言ったわけでもないのに、当たり前のように僕が彼女に好意を抱いている体で話してくるから錯覚を起こしそうになる。いくら親友と言えど、大学生にもなって恋愛相談なんて照れくさくてできないから。
「あ、噂をすれば」
日和の言葉に視線を追うように振り返れば、飲み物を手に席を探していたみょうじさんと目が合った。日和が挨拶をすればみょうじさんがこちらに向かってくる。ふと日和を見れば何やら含みのある表情で微笑んでいて、それだけで何が言いたいのかわかってしまうのが何だか悔しい。受け取ったパッケージに書かれた『シェアして食べよう』の文字に少なからずドキドキしている自分がいるのは避けようのない事実だ。
「みょうじさんも休憩?」
「うん、次の講義まで空きがあるからレポートまとめようかと思って」
「そっか。じゃあ郁弥と一緒にやったら?確か二人とも専攻同じだったよね」
「そうだけど遠野くんは?」
「僕これからちょっと用事があって」
そう言って日和は荷物をまとめて席を立った。違和感なく嘘を述べるところは正直ちょっと羨ましいとすら思う。
「じゃあ二人ともまた明日」
「うん、お疲れさま」
「郁弥、あとで連絡するよ」
「……わかった」
二人で日和を見送ってしばしの沈黙が流れる。何を話そうか思考を巡らせていると先にそれを破ったのはみょうじさんだった。
「隣、いいかな」
「うん」
緊張から声が素っ気なくなってしまったりはしてないだろうか。いろんな感情が混ざりあった中で隣に座ったみょうじさんをチラリと見れば、テーブルの上に置いてあったポッキーに気付いたらしく「あ、そういえば今日ポッキーの日か」と思い出したように声を上げた。これは自然な流れで言えるチャンスかもしれない。
「日和からもらったんだ。でも僕一人じゃ食べきれないからさ、その……良かったら一緒に食べない?」
鼓動が直に聞こえるくらいの緊張で恐る恐るみょうじさんを見れば、どこか驚きながらも恥ずかしそうに頬を染めていてその表情に僕まで赤面しそうになる。勢いに任せてらしくないことをしてしまったかもしれない。
「……桐嶋くんさえ良ければ」
しかし肯定の返事をもらったことでその不安はすぐに消えた。
彼女の言葉に頷いて早速袋を開けて差し出せば「いただきます」の一言とともに軽快な音が響く。
盗み見るようにして見たその横顔に思わず見とれてしまう。口を窄めて食べているだけで可愛らしいと感じてしまうのは僕が彼女に特別な感情を抱いてるからなのか。
袋から一本取り出して考える。隣にいるだけで鼓動は忙しないのに、こんな棒の端と端を咥えた距離なんて考えただけでどうにかなるし到底できるはずもない。
「美味しいね」
「……そうだね」
それに今はこうしてぎこちなくも他愛ないお喋りができるだけで充分に満たされているから。欲を言えばいつか名前で呼び合うくらいの仲になりたいと思っているけど、それはもう少し先でもいいかなと思う。
今はまだ、こうして時間をかけて距離を縮めて、ゆっくりと彼女のことを知っていきたいから。
2021/11/13
title:まばたき
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