あらかじめ恵まれていた恋の数式
夏也とは中学の頃からの仲で、幼なじみとまではいかなくとも付き合いはそれなりに長かった。同じクラスで水泳部だったこともあり、周りの男子に比べたらよく話していたほうだと思う。夏也が誰とでも仲良くなれるタイプでしょっちゅう話しかけてきたから、いつの間にか私も打ち解けて気付いたら冗談も言えるくらいの唯一の男友達になっていた。くだらないこと、授業のこと、部活のこと、ちょっと真面目な話――女友達と変わらないくらいに夏也にはいろんなことを打ち明けてきた。この秘めた想い以外は。
人柄はもちろん、水泳の才能も当時から惹かれるものがあった。普段はわりと年相応のやんちゃさを持ち授業中に隠れて寝ていたりしていたが、水泳のことになると急に真剣な眼差しになり、内には熱い思いを秘めているのが見ていて伝わってくる。そんな夏也の泳ぎに魅了され、純粋に尊敬していた私はもっと上手くなりたいという思いでアドバイスをもらったりもしていた。そうして水とともに過ごしていくうちに夏也に対する想いも溢れていって、それがいつしか尊敬だけではないことに気付いた。
「今日の泳ぎすげー良かったぜ」なんて言ってまるで犬を可愛がるような、子供扱いするように乱雑に頭を撫でられた時はもう軽口すらも叩けなかった。
気持ちを自覚してからは今まで当たり前のようにしていた会話も上手くできなくて、泳ぎを見ている時以外も自然と目で追うようになっていた。たまに目が合った時は気が気じゃなくてあからさまに顔ごと逸らしたりしてしまった。
そんな想いを大学生になった今でも変わらずに抱いてるなんて、一途を通り越してただのヘタレでしかない。夏也がアメリカへ留学している間も想い続けていたことを考えると、我ながら華の青春時代がこんなものでいいのかと自嘲してしまう。大学に入ってから今まで以上に格好良くて魅力的な人はたくさんいるが、結局夏也に対する想いは変わらないのだからもうどうしようもない。
「なまえも何か頼むか?」
「あーじゃあ梅酒ロックで」
「あいよ」
喧騒ひしめく居酒屋の席で汗のかききったそれを空にする。水泳部の集まりでこうしてアルコールを嗜むのも久しぶりだから何だかもうすでに気分が良かった。二人きりならもっと良かったけどそれは未だに叶っていない。
お互い成人して気付いたことは夏也はあまりお酒に強くないということだ。大して飲んでもいないのに気付いたら気持ちよさそうに寝ているのはもう見慣れた光景だった。
「夏也はほどほどにしときなよ。どうせすぐ潰れるんだから」
「わかっちゃいるけどこうして飲む酒は美味いからなぁ、つい飲みすぎちまう」
なんて楽しそうにグラスを呷る夏也の顔はすでに少し赤い。まだ一杯目なのに早すぎないかと思うけど多分雰囲気に酔ってるのが半分あるかもしれない。
横顔を盗み見て、隆起する喉仏にそっと目を逸らす。こうしてアルコールが入る度、私はいつもよからぬ期待をしてしまう。お酒の勢いで「この後二人で抜け出そうぜ」なんて合コンでよくある常套句が夏也から飛び出したりしないかと、そんなことを考えているのだ。つまりは今の関係を少しでも進展させられる大義名分が欲しい。毎回自然と隣同士になって肩が触れ合うたび欲は募っていって、その度はち切れそうな想いに胸が締め付けられる。
友達以上恋人未満の今の関係も心地良いのは事実だが、ずっとこのままじゃ嫌なのも確かだ。でも気持ちを伝えてもし気まずくなったりでもしたらと思うと告白もできない。どちらにしても私に勇気が足りないせいで関係は平行線のままここまで来てしまっている。いつ彼女ができたっておかしくないのに、ただ焦燥感を燻らせているだけであの頃と同じようにこうして見つめていることしかできない。
「眠りこけたら置いて帰るよ。今日は尚くんもいないしそのデカい図体、私一人じゃ運べないからね」
「そんなこと言うなよ、俺となまえの仲だろ?まあ肩くらいは借りっかもしれねーけど」
なんて当たり前のように言う夏也に昔以上に心を乱されている。あの頃とは訳が違うのだから気安くそんな言葉を口にしないで欲しい。夏也が私に触れるのも、私が夏也に触れるのも意味のあるものでなきゃ嫌なのに。それなのに、
「何なら今夜だけでもなまえんち泊めてくんね?……なんてな」
張り裂けそうな想いを五年以上抱えてきてそれでも夏也以外の人を好きにはなれなくて、ずっとずっと夏也のことしか見ていなくて、そんな私の気持ちなんてこれっぽっちも知らないくせに。
成人した男女がひとつ屋根の下で夜を過ごして何もないわけがないことくらい夏也だってわかってるはずなのに。いや、夏也にその気がないなら本当に何もないのかもしれないけど。たとえ冗談だとしても、夏也に下心がなかったとしても、私にはあるしそんなことを言われたら勘ぐる。何かある度、何か言われる度にもしかしたら、という淡い期待が疼く。
「……いいよ」
口から突いて出た言葉は他でもない、夏也も同じ気持ちだったらいいのにという臆病者の精一杯の告白のようなものだ。
周りの音にかき消されそうに呟いた私の一言にわずかに揺れた夏也の瞳が何を物語っているのかは、今はまだ知らない。
2021/10/07
title:まばたき
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