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プラスチックヒーロー

テレビやネットのニュースでは変質者の出没やストーカー、痴漢などおよそ女が安心して暮らせるとは言い難い事件が定期的に挙がる。被害に遭った女性に同情しつつも、よくもまあこの国には到底常人には理解できないことをする人間もいるもんだと毎回呆れていた。ニュースになるたび呑気にそんなことを思うだけで、私自身に危機感が芽生えるわけではなかった。とどのつまり、自分は巻き込まれないだろうという意識の低さから来るただの怠けであった。

違和感に気付いたのはそんなニュースがあった一週間後――昨日だった。自宅までの夜道を歩いていたら、明らかに後ろから誰かに尾けられている気配を感じた。まさかと思いつつも警戒しながら歩いていたら途中で気配がなくなった。特に何かされたわけでもないし、ひとまず何事もなく帰宅したけれど不安が消えたわけではなかった。甚爾さんに相談――とまではいかなくても世間話程度に話すくらいはしてもいいかなと思った。でも余計な心配は掛けたくなかったし、そもそも彼はただ衣食住を求めて私の部屋に居候しているだけで、恋人でもなんでもない。赤の他人と称するにはそれはもの悲しいものではあるけれど、一般的な括りで言えばそれが事実だった。
理由は言わずともそれなりの金額を差し出して、護衛というには少々大袈裟だが送り迎えくらいの依頼なら引き受けてくれたかもしれない。ギブアンドテイク、ウィンウィンの関係。互いにとって悪い話ではない。単純に仕事の都合や受ける義理はないと断られたらそれまでだけれど。

悩んだ末、結局話題に出すことすら躊躇い翌朝を迎えた。
さすがに警戒心を持って家を出ようとすれば甚爾さんが珍しく玄関前まで着いてきた。気まぐれで見送りにでも来てくれたのかと思っていたが、スウェットのまま玄関用の簡易なサンダルに足を通したのを見てコンビニでも行くのかと理解した。いつも私が出る時間はゴロゴロしているか、すでに仕事で出ていることがほとんどだったからコンビニすら珍しいことでもあるのだけど。帰りにパシリにされることも少なくないし。

「この時間に出るなんて珍しいですね」
「まぁな。天気もいいし散歩でもすっかなと思って」
「そんなキャラじゃなくないです?」

ちょっとだけからかうように言えば「うるせぇ。早く開けろ」と圧をかけるように体全体で押されて、つんのめりそうになりながら飛び出すようにドアを開けた。どこまで散歩しに行くのかわからないけど途中まで甚爾さんと一緒なら心強い。まあ家までは尾けられてないし、さすがに朝にストーカー(仮)はしないだろうと思うけど。
二人して一緒に家を出ることなんて一度もなかったから、大家さんに出くわした時はどうしようかと思った。どう言い訳しても父も兄も無理がある。結局大家さんに流されるままに彼氏ということになっていて必死に愛想笑いを浮かべるしかなかった。顔はどうあれ、定職に就いてない彼氏がいると勘違いされたことになったのはなんとも言えない気持ちである。ここが単身専用でなかっただけ感謝するしかない。

駅までは10分ほどだったが、毎朝一人で歩いてる道を甚爾さんと並んで歩くだけで不思議といつもの景色が違って見えた。心なしか空気まで美味しい。
これと言って特別な会話なんてない。夕飯はあれがいいとかここに新しいお店が出来たとか通勤時間は人が多くて嫌だとか。音楽を聴いてモチベーションを上げるのも悪くはないけど、甚爾さんと話すことはそれ以上に勝るもの――彼にしか持ち得ない何かがあった。
道中いくつかコンビニがあったものの結局駅前まで一緒になり、必然的に送ってもらった感じになったけど私としては願ったり叶ったりだった。

「じゃあ私はここで」
「帰りは何時頃になる」
「今日はちょっと遅めなので21時頃に駅に着くかと」

聞かれたまま答えれば、甚爾さんはひとり納得したように「気ぃ付けろよ」とひらひら手を振ってすぐ近くのコンビニへと入って行った。正直答えたことに対する返事がなかったから頭に疑問符を浮かべるしかなかったが、その答えは意外にもすぐにわかることになる。

いつも通りの仕事をこなし宣言通りに21時頃に改札を出れば、一際明るい街灯の下に甚爾さんは立っていた。スウェットという何ともラフすぎる格好をしているのにも関わらず、筋肉質な体躯と長身が放つ存在感は思っていたよりも目を引いた。今まで他人と比べたりしたことがなかったから気付かなかったけれど、こうして見ると甚爾さんってなかなかの色男なんだな。

「もしかして迎えに来てくれたんですか?」
「夜の散歩ついでにな」

そう言うも私のことなんかお構いなしとでも言うようにさっさと歩き始めて、慌ててその背中を追う。本当は散歩なんてただの口実なんだろうなということは何となく察していた。甚爾さんにしてはあまりに下手すぎる嘘だ。端からそんな気もないのだろうけど。目的がどうであれ、こうして隣にいてくれるだけで昨日の不安も一気に和らいでいく。頬が緩みそうになるのを抑えながら歩いていれば、不意に甚爾さんが「なんで言わなかった」と問いかけてきた。口振りからして私が尾けられていることに気付いていたようだった。

「なんでそのこと、」
「そいつがお前の後ろにいたのを偶然見たんだよ」

確かにあの日、甚爾さんは私より後に帰ってきた。けど尾けられてるところを見てたなら声くらい掛けてくれてもいいのに。ずっと様子を窺っていたならちょっと酷い。とはいえこうして迎えに来てくれた甚爾さんに対して責め立てるのはお門違いだから何も言うことはできないのだけど。

「まあもう寄っては来ねぇだろ」
「まさか、こ、殺したとかじゃないですよね……?」
「それがお望みだったか?」

目を細めて口端をつり上げる。その危険すぎる笑みに、甚爾さんならやりかねないと思わされるから冗談でも笑えやしない。「勘弁してください」と言えば「無駄な殺しはしねぇよ」なんて言う。無駄じゃなかったらするのかという疑問はあったものの、そこはあえて掘り下げないことにした。
ストーカー(仮)に何を言ったかはわからないが、見た目からして強者感が漂っているし、実際強いから相手も怯んで去っていったと思うことにしよう。そう考えると今日こうして送り迎えをしてくれたのは念のためという感じなのだろうか。だとしてもしょっちゅうお金に困っているようなことをもらしているし、対価もなしにそこまでするなんて、失礼ながら甚爾さんらしくはないなと思った。もしかして後払いで何かを要求されたりするのかもしれない。甚爾さんに視線を向ければ、言い淀む私に眉をひそめた。

「何だよ」
「……いくらですか」
「金ならいらねぇよ」

即答されて思わず呆気に取られる。

「え、じゃあ何か他に要求が……?」
「そんなに払いてぇんならその体で払うか?」
「いえ」

想像していた方向とは全く別の流れを察知して、ここは素直に引き下がるのが賢明だと判断した。甚爾さんが言うと本気か冗談か判別がつかないのが怖いところだ。まあ今のところ手は出されていないから、単純に私のような女には興味がないだけなんだろうけど。

「……じゃあお言葉に甘えさせてもらいます。本当にありがとうございました」

お礼に対する返答はない。ただ「お前に近付くとか趣味悪すぎんだろ」とぼやくだけだった。その言葉に多少なりとも引っ掛かりはしたが……自覚はあるので否定はしない。
しかしそれは甚爾さんにも同じことが言えるということになるのだけど……果たして本人は気付いているのだろうか。


2021/03/28
title:ジャベリン

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