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君の瞳に完敗

この世には呪霊と同じくらい祓いたくなる人間がいる。それは人の物を許可なく、無断で勝手に食べる奴だ。

「ない」

高専内の共有スペースに設置されている冷蔵庫を開けて独りごちる。その声が明らかな怒気を帯びているのは、こんなことをする人物に心当たりがあるからだ。
任務から帰ってきたら食べようと思っていたお気に入りのプリンがものの数時間で忽然と姿を消した。私は確かに名前を書いて冷蔵庫に入れた。普通なら名前が書いてあったら食べないのが常識である。書いてなくとも普通なら自分の物以外に手をつけようとは思わない。そう、普通の人間なら。しかしあの男――五条にそんな言葉は持ち合わせているはずもなかった。

「あんのヤロー……!」

勢いよく冷蔵庫の扉を閉め、地面を踏みつけながら五条を捜しに敷地内を徘徊る。こういう時に限ってすぐに見つからないのがまた私の脳内を沸騰させる。こんなくだらないことのため――私にとっては重要な出来事なのだが――に、私はこれまで五条にどれだけの時間を浪費させられているのか。
捜し始めて十数分後。使われていない空き部屋でやっと見つけたと思ったらソファーで呑気に横になっている姿が飛び込んできて、怒りゲージがついに限界に達した。そのソファーからはみ出てる足へし折ってやろうか。

「おいコラ、テメーまた私のプリン食っただろ」

寝ていようがいまいが関係ない。ズカズカと奴に近付き、馬乗りになって胸ぐらを思いきり掴んでやる。二十五万のブランド物のシャツだかなんだかが皺になろうが知ったことか。頭を引っ張りあげる勢いで両手に力を込めれば、当の本人は狼狽する様子もなければ悪びれる気配もなく、「なまえってば大胆〜!」とへらへらと口許を緩ませた。
そのまま首を絞めてやりたい気持ちをぐっと堪えて深呼吸に変える。気休め程度ではあるが頭に昇った血も少しは落ち着いて、ふと今の状況を冷静に考えてみる。普段見上げる五条を組み敷いて見下ろすというのはなかなかどうして気分が良い。目線が下に向くだけで優位に立った気分になれるものなのか。五条がいつもそんなことを思っているのかと思ったら何だか無性に腹が立ってくるが。しかしそんな優越感も、五条がすぐに上体を起こしたせいであっという間に攫われた。諦めてそのまま五条から離れて、今度は仁王立ちで蔑みの目を向ける。

「で、何か言うことは?」
「許して?」

語尾にハートマークが付きそうなほどわざとらしく甘ったるい声を出し、顔の前で両手で拳を作って瞳を潤ませながら私を見上げる。あざとい仕草をフル装備した女のようなそれに一瞬治まった怒りが再び沸き上がってくる。こんな女がいたら間髪入れずにビンタ食らわせてるわ。ご丁寧にサングラスまで外してやってくるのだから、己の整った顔が武器になることを計算した上での行動であるのが余計に腹立たしい。そしてそれが少なからず私にとって弱点になることをこの男は知っていてやるのだからなおのことたちが悪い。本当に食えない奴。そんな男に絆されている私も大概なのだが。

「食べたプリンにプラス数量限定のひとつ五千円のいちごパフェ」
「え、パフェで五千円!?たっか!」

二十五万もするシャツを着てる奴に五千円のパフェが高いだなんて言われたくない。そもそも人が楽しみにしておいた気持ちを奪ったことはお金には変えられないのだ。食べ物の恨みは呪い同様恐ろしいものだということを少しは思い知れ。

「人のモノ食っといてよくそんなことが言えんな。アンタに拒否権なんかないから」
「ウソウソ、ちゃんとお詫びはするって」

「だから僕の顔に免じて許して?」と上目遣いで小首を傾げる。それに対してひどく居心地の悪い気分になる自分が心底嫌になる。人を怒らせておいて顔と金で解決するだなんてとんだクソ野郎。だからイケメンと金持ちは嫌いだ。――なんて豪語しておきながら結局のところ、その顔と金で懐柔されているのだからもはや呆れるしかない。きっと五条に卑しい奴だとでも思われているだろう。それでもいい。五条に対する感情は別に知りたくもないし、そういうことは考えないようにしている。適当な五条相手に真面目に考えるだけ無駄なのだから。

「許して欲しかったらそもそも人のモノを食うな」

そんな小学生でもわかるようなことをなぜこんな大の大人に言わなければならないのか。いや、こいつの性格は小学生と遜色なかったんだった。

「その通りなんだけどさー、人が持ってると美味そうに見えるんだよね〜」
「マジでガキじゃん」

怒りを通り越して大きなため息が出る。なんかもうどうでもよくなってきた。五条相手に本気で怒ってる自分が馬鹿馬鹿しいと思うくらいにはこのやりとりに中身がない。早く五条の金で五千円のパフェを食べて疲れを癒したい。お子様五条に全力を出しすぎたせいで私の思考も緩くなってきていた。

「……僕の言葉、本気で信じてる?」
「五条が言うほど説得力のある人間はいないけど」

しかしどうやら呑気なことを思っていたのは私のほうだったらしい。さっきまでのおちょくっていた五条は見る影もなく、急に真剣な表情を覗かせて、目の前で組んでいた私の腕を取って軽く引き寄せた。

「なまえの気を引きたいからだっていい加減気付けよ」

海底から見上げた水面のような色と、揺らめきを纏う瞳。そこから引き上げられる感覚に目を見開く。目は口ほどに物を言うということをこれでもかと体現しているようだった。予想もしていなかった言葉なのに、なぜかするりと腑に落ちて妙な感心すら覚える。
これすらも怒りを丸め込めるための計算なのかと思ったりもしたが、そこまで策士ではないらしい。単純に面倒くさい男だということだ。
とはいえ、こんな真剣な五条を見てしまったら私も五条に対する感情を今一度真面目に考えなければいけない。何だかんだで毎回許してしまうのが単にあの瞳のせいだけでないとしたら、それはもう認めざるを得ないから。


2021/03/20
title:箱庭

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