たまにはこんなことも言ったりするよ
今までバレンタインと言えば女友達と友チョコを交換し合ったりするのが恒例となっていて、付き合ったことのない私は恋人に渡すという経験をしたことがなかった。小学生の頃に好きな男の子にあげたような記憶があるようなないような気がするけど、今年はそれとも違う。
正真正銘の恋人――恵くんと付き合い始めてから初めてのバレンタイン。気合いが入らないわけがなかった。何を選ぶかによってセンスが問われそうだし、できればリサーチなしで好みの物をあげたいしと色々悩み欲張った結果、バレンタインコーナーに何時間いたかわからない。
付き合っていてもやっぱり緊張はする。喜んでくれるかなと期待と不安を胸に恵くんの部屋を訪れれば、ドアをノックしたと同時に横から私を呼ぶ声がした。
「あれ、どっか行ってたの?」
「そろそろ来る時間だと思って温かい飲み物淹れに行ってました」
そう言ってこちらに来る恵くんの両手には湯気を立たせたカップが収まっていた。その気遣いに胸がきゅうとなる。恵くんのそういう優しさがたまらなく好きだと再確認した。
「ありがとうございます」
「いーえ。私の方こそわざわざありがとう」
両手が塞がった恵くんをドアを開けて待ってから二人で部屋に入る。閉鎖的な空間になった瞬間、緊張で少しだけ体が強ばった。
まだ数える程度しか恵くんの部屋には遊びに行ったことがないからやっぱりまだ慣れない。当たり前だけど女の私よりも物が少なくてシンプルで、ルームフレグランスの匂いがしない無臭というのが男の子の部屋ということを一際感じさせて何だか妙にドキドキする。でも居心地はいいのだから不思議な感じだ。
カップが置かれたのを見て遠慮がちにテーブルの前に腰を下ろせば、すぐにブランケットが差し出される。至れり尽くせりの恵くんに 私は情けないくらいにお礼を言うことしかできなかった。
「何から何までありがとう」
「いいっすよ別に」
そして表情を変えずにさらりと言ってのけるところに性格が滲み出ているというか、そういうところが本当に恵くんらしいなと思う。こんなにできた人が私の彼氏でいいんだろうかと思うほど彼は恋人としても人としても魅力的だ。
「恵くんのそういうところ、好きだよ」
自然と零れた言葉に、斜め向かいに腰を下ろした恵くんがわずかながらに目を見開く。それから照れくさそうに小さくため息を吐いた。
「なまえさんはそういうところがずるいですよ」
独り言のように呟いて私の腕をそっと掴んだ。私を見る恵くんの瞳は情欲のようなものを孕んでいて、その瞬間空気が変わったことを悟る。
お互い普段はあまり人前でベタベタしたりしない方だから五条先生や真希、パンダ辺りには「お前ら本当に付き合ってるのか?」なんてよく言われていた。
だから二人でいる時――まさに今のような誰も見ていない時に見せる姿や表情は私たちにとって特別で大きな意味を持つ。
紅茶の湯気がまるで二人の心を表しているかのように静かに上昇していった。
「めぐみくん、」
「……キス、してもいいですか」
ちゃんと確認を取るところが真面目というか恵くんらしいというか。もちろんそんな恵くんが好きなんだけど、でも、
「そういうことは恥ずかしいから聞かないでよ……」
断ることなんて絶対しないし、嫌だと思うことなんてないのだからムードのままに奪ってくれていいのに。むしろ答える方が余計に恥ずかしい。
付き合ってもう何ヶ月かは経つのに、お互い照れているせいで私たちの間には初々しい空気が漂っていた。きっと私は自分が思っている以上に真っ赤になっているだろう。恵くんも照れているのが伝わってくるからさらに緊張する。
徐々に近付いてくる熱を受け入れるようにそっと目を閉じれば、薄いそれがそっと押し当てられる。ほんの数秒なのに触れた指先から恵くんに伝わってしまうのではないかというほど、これ以上ないくらい心臓が音を立てていた。
ダメだなぁ。これはもうチョコを渡すタイミングを見失ってしまったかもしれない。せっかく紅茶も淹れてくれたのに。まだ、もっと、こうして触れ合っていたいと強く思うから。
「チョコ、あとででいい……?」
「そういうことは聞かない方がいいんでしょ」
「……そうだね」
やっぱり私たちは似た者同士みたいだ。くすりと笑みを零して恵くんの隣へ移動する。半身をぴったりと密着させれば、恵くんが指を絡めてぎゅっと握ってくる。
ひとつのブランケットで温まって、少し熱くなった体温を分け合って。恵くんの体温に安らぎと安心感を覚える。二人きりでこうしている時がたまらなく幸せだ。
「その代わりってわけじゃないですけど……あとでチョコ食べさせてくださいよ」
「えっ、どうしたの。恵くんがそんなこと言うなんて珍しいね」
「俺だってこんな頼み普段はしませんよ。バレンタインだからってことにしといてください」
顔を上げて恵くんを見れば、照れくさそうに頬を染めていた。普段は見せない、私にだけ見せるその表情に胸の奥をぎゅっと掴まれた気がした。
きっと恵くんも私と同じくらい本当は甘えたいと思っているのかもしれない。普段はお互い普通の先輩と後輩として接しているからか、素直な思いを口に出された時の破壊力は絶大だった。
「そっか。そうだね、そういうことにしておこう」
バレンタインの熱に侵されたのはどうやら私だけでなかったみたいだ。普段なら恥ずかしくて絶対にできないけれど、今日なら口移しで食べさせてあげることもできちゃうかもな。そんな風に思ってしまうくらいには思考を溶かされていた。
恵くんと過ごす初めてのバレンタイン。今日くらいは恋人らしく、とびきり甘い時間を過ごしてみるのもいいかもしれない。
2021/02/10
title:金星
先輩夢主で恋人同士、誰も見ていないところでは甘える二人
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