ふぞろいの靴でワンツーステップ
「なにその顔ウケる。熱でもあんの?」
嘲笑うかのように爽やかな風が頬を撫でていく。空は雲ひとつない快晴で、無条件で気分が良かった私の弾んだ心はその一言によっていとも簡単に弾き飛ばされてしまった。
五条と夏油は先程まで任務に赴いていて、その間私は手持ち無沙汰だったのでひとり街へ繰り出しバラエティショップのコスメコーナーで時間を潰していた。そして夏油から合流して高専へと帰ろうと連絡を受けて来てみればこれだ。
誰だって恋をしたら可愛くなりたいと思うのは自然なことだと思う。少しでも彼に知って欲しくて意識して欲しくて、その原動力は自分でも計り知れないほどだ。
普段は下地とマスカラ、色付きのリップくらいでフルメイクはオフで出掛ける時くらいにしかしない。任務で激しい戦闘を繰り広げ、やれアイラインがヨレるだのいちいち気にしてなどいられない。それどころか顔も体も小さな傷だらけだ。
ふと、華の高校生活をこのまま終わらせていいのか?という疑問が湧き上がった。メイクもおしゃれも全く興味がない訳ではない。むしろ恋をすればなおさら力を入れるべきなんじゃないのか?
そうして薄くのせていた下地とマスカラの上に、新たに買い足したリップとチークを百貨店のパウダールームでいそいそと塗った。メイク中にあいつの顔がチラついて、そんな自分はまさに恋する乙女の顔であった。自分でも見たことのないその表情に面映ゆさを感じるも、自然と湧き上がる勇気と自信はまるで最強の戦闘服を身につけた気分だった。いつもはなかなか素直になれない私でも今なら言えそうな気がする。そんな気さえしていた。
「悟、さすがにそれはどうかと思うよ」
「じゃあなんだよ、男でもできたっつーのかよ。ありえねぇけど」
それなのに目の前の男は平然と言ってのける。
五条が素直に褒めてくれないことくらいわかっていた。わかっていたけど、もしかしたらと心の奥底で淡い期待を抱いていた自分もいた。けれどやっぱり五条はどこまでいっても五条で、そもそもガキみたいな奴に褒めてもらいたいだなんて思ってるのが間違いだったのだ。むしろメイクしたことに気付いただけマシなのかもしれない。
「五条には関係ない」
二人を置いて高専への帰り道に歩みを進める。
平静を装って、強がって、やっとの思いでそんなことを言ったけど本当は喉がつかえそうなくらい五条の口から言われた言葉に傷ついていた。目の前の男に「いいじゃん」とただ一言、そう言ってもらいたかっただけなのに。
「なまえ」
すぐに追いついた二人――夏油が落ち込んだ私を見かねてそっと声を掛けてくる。夏油には以前から相談に乗ってもらってたりしたから、きっと気を利かせてくれたんだろう。
五条も夏油くらいできた人間だったらこの感情だって素直に受け入れたのに、どうして私はまるでデリカシーのない男を好きになってしまったのか。恋というものはままならない。
「ここまで最低な奴だとは思わなかった」
「本当にお子様には困ったもんだよ」
腹立たしさと悲しさで泣きそうになりながらよくわからない感情を夏油にぶつければ、「なまえが思ってる以上に悟はガキだからさ」と呆れ顔を見せた。夏油越しに五条を見やれば「聞こえてんだけど」と棒付きの飴を咥えている横顔が映るだけで、その何とも思ってなさそうな顔に一人で張り切っていた自分がただただ虚しく思えてくる。そんな私の気持ちを浮き彫りにするかのようにラメ入りのチークとリップだけが陽光の下で輝きを放っていた。
それから高専までの道中、ろくな会話もせず意気消沈のまま帰路に着いた。一番褒めて欲しい人に褒めて欲しい言葉を言ってもらえなければ着飾ったところでなんの意味もない。鏡に映る、さっきまでとはまるで別人のような落ち込んだ顔には華やかな桃色だけが残っている。お風呂に入る時に落とそうと思っていたけど、どうにも耐えられそうになくてすぐに脱衣所に直行した。
せっかくちょっと奮発していい物を買ったけどもう出番はないかもしれない。硝子にでもあげようかな、なんて思いながらまっさらになって幾分すっきりした面持ちで脱衣所を出れば、廊下で五条にバッタリと出くわしてしまった。
思いっきり視線がかち合うもこの状況で何を言えばいいのか今の私にはわからない。気まずさを抱えながら立ち去ろうとすれば、「悪かった」と背後から謝罪する声が聞こえてきて思わず振り返る。緊張感を煽るように拭き残した前髪から雫がゆっくりと流れていった。
「あの後、傑にすげー怒られた」
「夏油に言われたから来たの」
「そういうわけじゃねーよ」
五条はきまり悪そうに頭を掻く。さすがに夏油が私の気持ちを五条本人に言うことはないと思うけど、そのおかげで少しは思うところがあったのか。それもそれでちょっとムカつくけど。
「なんつーか、普段とは違うお前につい思ってもないこと言っちまったっつーか」
「あれが思ってもないことだったら本音はなんだって言うの」
思ってもないのにあんなことが言えるなんて逆にすごいとすら思ってしまう。そのせいで私がどれだけ傷付いたかなんて知りもしないで。
「……キレイだなって思ったんだよ」
五条は照れくさそうに目を散らす。思いがけないタイミングで言われた、欲しかった言葉以上のそれにじわじわと体の中心に熱が集まっていくのがわかった。なんだそれ。私が思っていたより効果は抜群だったというのか。どうしてそれをあの時に言ってくれなかったんだ。しかしたったそれだけで沈んでいた気持ちが晴れていくから単純だ。好きな人から素直に褒められることがこんなにも嬉しくて恥ずかしいものだとは思わなかった。
いつも強気な五条のそんな姿を見たらつい顔がにやけてくる。仕返しの意を込めて「照れてんの?」とからかえば「調子乗んな」と言われたけど、五条の本心を知ってしまえば何も怖くなかった。
「やっぱお前が色気づくとか似合わねぇし冴えないツラのままでいる方が性に合ってんぞ」
――なんて言ってたのに、来たる誕生日に密かに憧れていたブランドのリップをプレゼントされ、「それ使うの俺といる時だけにしろよ」「出番があればいいけど」なんて回りくどい会話がなされるのはもう少し先の話だ。
いつまで経っても素直じゃないのはどうやらお互い様らしい。
2021/01/12
title:まばたき
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