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恋心あれば下心

「なまえ、まだ寝ないアルか?」
「うん、銀さんが帰ってくるまで起きてるよ」
「あんなマダオほっとけばいいのに相変わらずなまえはお人好しネ。ふぁ……私はもう寝るヨ」
「おやすみ、神楽ちゃん」

そんな会話をしたのが2時間前。しかし日付が変わった今も銀さんが帰ってくる気配はない。
窓を開ければ、静かな宵に照らされる月明かり。響く虫の鳴き声。秋の訪れを感じさせる涼しい風が部屋に流れ込む。

(そろそろお月見の時期かな)

いつもならこのくらいの時間に帰ってくるはずだけど……これは何軒かはしごしてるかな。あまり飲み過ぎないようにと言ってはいるものの、素直に守る銀さんでもなく。銀さんだって大人だし神楽ちゃんの言う通りほっといてもいいのだろうけど、毎回おぼつかない足取りで帰ってくる彼がどうにも心配で。いつの間にかこうして帰りを待って介抱するのが日常となっていた。
とはいえ、さすがにそろそろ帰ってくる頃だろう。出迎えついでに外の空気でも吸おうと階段下まで降りてみればナイスタイミング。数メートル先に案の定千鳥足でこちらに向かってくる銀さんの姿。

「おかえりなさい」
「お〜。んだよ、まだ起きてたの」
「銀さんの帰りを待ってたんです。どうせまた飲み過ぎてるだろうと思って」
「どうせとはなんだオイ。まあ久々に美味い酒たらふく飲めてつい進んじまったけどよォ」
「それは良かったです」
「あとはあれだ、飲み過ぎてもこうしてお前が介抱してくれっから安心、みたいな?」

まったくもう。やっぱり神楽ちゃんの言う通りお人好しなんだろうか。今もフラフラと階段を上がる銀さんの背中を当たり前のように支えてるし。まあ仮に単なる甘えだとしても頼りにされることは嫌ではないしなぁ。とはいえ、銀さんのことを考えたら大人としてもう少ししっかりして欲しい思いもないとは言い切れないのだけど。

「銀さんが帰ったぞ〜」
「ちょ、神楽ちゃんもう寝てるので静かに!とりあえずお水飲んで下さい」

フラフラとそのまま床に体を投げた銀さんを横目に、一目散に台所へと向かってコップに水を注ぐ。

「ほら、銀さん」
「ん〜」
「寝るなら着替えて布団で寝て下さいよ?敷いてありますから」
「わぁってるよ」

のそのそと体を起こし、ソファーに背中を預けた銀さんが勢いよく水を呷る。少し呆れながら銀さんの隣に腰を下ろせば、不意に視線を捉えたのは隆起する喉。それになぜだか急に変な緊張感を抱いてしまい、慌てて目を逸らした。

「なまえ」
「っ、はい!?」

最近、ふとした時に銀さんに対して感じてしまう異性としての魅力にどうしたらいいのかわからなくなっている。おかしいな、今まで同じようにしていてもそこまで気になることはなかったはずなのに。

「なんでそんなに驚くんだよ」
「い、いや、別に!変なことなんて考えてないですから!」
「変なことって何。……もしかして銀さんでヤラシイことでも考えてた?お前さては純粋そうに見えてすぐ股開くタイプか?清楚系ビッチか?どれ、試してみっか」
「違います!――っ!?」

酷い言われように思わず振り返って反論しようと、逸らしていた視線を銀さんの方へと向けた。飛び込んできたのは色気を纏っているような瞳。おまけにいつの間にか押し倒されていて、馬乗りの状態で私を見下ろしていた。そこに死んだ魚の目の面影はない。
いつになく真剣な眼差しに目が離せなくてしばらくの間、見つめ合う。何かを考える余裕なんてない。
今日に限って本当に私はどうしてしまったんだろう。身体や頬が熱いのはきっと気のせいなんかじゃない。

「ちょ、銀さん!?やっぱり今日は飲み過ぎたんじゃないんですか!?もう寝た方が――ん、」

言いかけたところで遮るように口を手で塞がれる。

「オイオイ、ちっとは静かにしろっての。神楽が起きちまうだろーが」
「……そ、そうだった。ごめんなさい――ってそうじゃなくて!何する気です!?」

今度は小声で反論すれば、普段のやる気のない銀さんはいない。簡単に言えばそれはもう「男」の顔をしていた。
このままお酒の勢いで一線を越えてしまうのだろうか。大きく脈打つ鼓動に反してそんなことを冷静に考えている自分がいる。

「何ってナニ?」
「最低!」

真剣な顔をしていても銀さんに変わりはなかった。そもそもお酒の勢いでこういう流れになる時点で私は軽い女として見られてる……?それはそれで悲しいなぁ。異性ということを抜きにしても、私たちの間には多少の信頼関係はあると思ってたから。

「なんて言って満更でもなさそうだけどなァ〜?顔も耳も赤けェし?身体は正直ってのも案外バカに出来ねェらしい」
「ひゃっ、銀さ、」

耳元で囁かれたせいで吐息がかかり、くぐもった声が出そうになるのを必死で抑える。ああ、もうだめ。このままこの雰囲気に飲まれたらいよいよ何も考えられなくなってしまう。
自惚れかもしれない。けれど好きだと言っても言われてもないこんな曖昧な関係で一夜の過ちなんて――

「なまえ〜、飲んだくれはもう帰ってきたアルか〜?」

それは近付いてくる銀さんとほぼ同時だった。どうにもならない気持ちを抱えながら反射的にぎゅっとつぶった目を開ければ、声の主は寝ているはずの神楽ちゃんだった。
正直銀さんには悪いけれど助かった、と思ってしまった。だってもはや逃げられないこの状況。私には打つ手がなかった。

「神楽ちゃん……!」
「……オイ腐れ天パ、なまえに何しようとしてたアルか」

救世主に助けを請うように、覆い被さっている銀さんの隙間から声を掛ける。しかし神楽ちゃんはこれでもかというくらい蔑んだ目で私たち――銀さんを見ていた。

「ゲ、神楽……お前寝てたんじゃねーの?こんな時間にどうした。悪ィがこれから大人の時間なんだよ、ガキは寝た寝た」
「トイレで目が覚めたネ。声がすると思って覗いてみたら純情な女の子を襲うクズ野郎が目に入ったんだヨ」
「いや、待て。これは断じて誤解だ。決して無理矢理じゃねェから、同意の上だから!だから何も問題ねェよ、なあ、なまえ?」
「何寝ぼけたこと抜かしてるアルか。なまえが涙目になってるのが何よりの証拠アル。なまえ、離れてるネ」
「え?う、うん」
「ちょ、ま、神楽、何する気だ、待てって!!」
「うるせェんだヨ!酔っ払いはさっとと寝やがれェェェ!」
「ごはァァァァァ」

夜兎族である神楽ちゃんの制裁ほど恐ろしいものはない。まさか酔っ払いの腹部に蹴りを入れるとは。何より、私が銀さんに対して本気で嫌がってないことに神楽ちゃんが気付いてないから余計にいたたまれないし可哀相だ。でも……ごめんなさい、銀さん。今日だけはそういうことにしておいて下さい。

「ヴェッ、神楽テメー……ゴホッゴホッ」
「なまえ、あんな変態ほっといて早く寝るネ。また何かされそうになったら私を呼ぶヨロシ」
「そ、そだね……ありがとう」

銀さんに罵詈雑言を吐き捨てて神楽ちゃんは自室へと戻って行った。
神楽ちゃんにはああは言ったけど、さすがにこのままにするわけにもいかない。結果的に全て銀さんになすりつけてしまったようなものだし……。

「銀さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫なワケねェだろ……酔っ払いの腹に蹴り入れる奴があるかっつーの……」
「なんか、すみません……」

上半身を起こしつつもへろへろになっている銀さんの背中をさすりながら謝罪を述べる。
こんなこと言ったら尻軽な女だと思われるかもしれないけど、でも――

「でも、その……本気で嫌だったわけじゃ、ないですから……!ただ、酔った勢いでとかそういうのはちょっと嫌だな、って思っただけです……!」

顔も見ずにそれだけを言い残して和室へと逃げ込む。ああ、どうしよう。いつからか芽生えていた想いを勢い余って打ち明けてしまった。

開けっ放しだった窓からは風がそよぐ。さっきまではひんやりとしていて心地良かったはずのそれも、今は夏の夜を感じさせるような暑さを纏っているような気がしてならなかった。
今日はもう寝られそうにないかもしれない。

「……素面ならいいって意味かよ」


2018/09/10
title:箱庭

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