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お前のことは好きでも嫌いでもないからとりあえず殴らせろ

「あ〜あぢい〜」
「…………」
「こんなに暑いっつーのにクーラーのひとつも付いてないとはババアも気が利かねぇなオイ」
「…………」

窓からは生温い空気が吹き込み、耳障りな蝉の鳴き声が近くの木の幹から聞こえてくる。
室内の壁時計はあと少しで針が真上に重なろうとしていた。いつもならよく聞こえる針の音は、今は強風に設定されている扇風機の稼動音ですっかりかき消されてしまっている。

「なあ?なまえちゃんもそう思わねぇ?」

いつも以上に死んだ目で、覇気のない声で文句を垂らしながら問いかけてきた。
確かにここ数日に比べたら今日は一段と暑い。いや、暑すぎる。しかし万年火の車状態で綱渡り状態の生活をしている私たち万事屋だ。毎月の家賃すらギリギリだというのに、ましてやクーラーなんて贅沢なものは存在するはずもない。故に私たちのような人間に愚痴をこぼす資格はないに等しい。
ソファーで寝転がりながら未だうだうだと言いながらうちわを仰ぐ銀さんを横目に、領収書の束をまとめながら思わずため息がもれる。依頼こそあれど小遣い程度の収入ばかりで、安定を求めるには程遠い。新八くんと協力して管理しているが、やはりこうも毎月ギリギリの生活をしているとさすがに頭を抱えたくもなる。

「はぁぁぁまた赤字……」
「え、なまえちゃん無視?無視ですか」
「とりあえず神楽ちゃんと新八くんの給料と今月の家賃だけは確保して……はあ、毎度のことながら厳しいなー!誰かさんのせいでー!」
「あれ、なまえちゃんってそんな嫌味言う子だった?」
「事実と本心を口にしたまでですー!自覚あるなら少しは呑みとパチンコ控えてくれませんかあ!?」

わざとらしく声を張り上げてみれば、銀さんは一瞬考えるようにしてから「でも」と続ける。

「禁止とは言わねェよな。なに、もしかしてなまえちゃんなりの優しさ?」
「じゃあ来月から禁止で」
「ウソウソ!銀さんの唯一の楽しみ奪わないでェェェ!」
「ハァ、うるさいなぁ。余計に暑くなるからやめて下さい」
「切り替え早ぇなオイ!」

くだらないコントを繰り広げてしまったせいで余計な汗をかいてしまった。まったくもう、ただでさえ肌がべたついて気持ち悪くて仕方ないのに。タオルで額を拭いながら寿命が近い扇風機で何とか熱を逃がそうと立ち上がる。
食べ盛りの神楽ちゃんや新八くんには申し訳ないが、残り数日は食費を切り詰めるしかない。数日なら何とかなるだろう。その分、今度大きな仕事が入った時には皆で外食にでも行こう。節制ばかりは心身ともに良くないからね。銀さんの娯楽を禁止しないのもそのためだ。

「まあそういうわけなので、残り数日は食費を浮かします。もちろんいちご牛乳も我慢してもらいますよ。飲み過ぎは健康に良くないですし」
「マジでか。お前涼しい顔して意外と容赦ねェよな」
「あなたの健康を思ってですよ。というわけで今日のお昼は自炊しましょう。ちょうど材料も揃ってるし……チャーハンかな」
「お、なまえちゃんの手作り?そういやなまえちゃんの料理ってあんま食ったこと――」
「は?何言ってるんです?銀さんも手伝って下さい」
「あ、ハイ」



「料理してるとこ見たことねぇから苦手なのかと思ってたが……全然そんなことねェのな」

それから二人で台所に立って数十分。炒めている背後から銀さんが少し驚いたように呟いた。これでも以前、飲食店でバイトをしていたことがあるのでそれくらいは出来る。そうでなくでも料理は嫌いではない。凝ったものをあまり作ることはないけれど。

「定番モノなら一通り作れますよ。銀さん、お塩入れて下さい」
「いい嫁さんになれんじゃね?……っと、こんなもんか?」
「ありがとうございます」
「じゃあさ、この勢いでこのまま銀さんのこと養っちゃう?」

背後から耳に顔を近付けられたかと思えば少しだけ真剣な、低くなったトーンでそう囁いた。口説き文句のようなそれに、女性であれば少なからず胸をときめかせるのだろうがいかんせん相手はあのだらしのない銀さんである。たまに見せる男らしさに見直すこともあるものの、ぐうたらしている彼を見ている方が圧倒的に多い。
だから銀さんのことをそういう目で見たことはないし今更見られる気もしていない。とはいえ、格好いい部分があるのはちゃんとわかっているつもりだ。救いようのないヒモ男宣言はさておき。

「最低の口説き文句ですね。……よし、完成。それはそうとして旦那さんに準備、お願いしちゃおうかな」
「あ、待って、やっぱり前言撤回。これ完全に俺が尻に敷かれるやつだわ。その微笑みが逆に怖ェもん」
「あらあらそれは残念。銀さん結構いい男なのに」
「心こもってなさすぎにも程があんだろーが!」



そんなこんなで出来上がった昼食。しかしここで悲劇は起こる――。

「いただきます」

空腹を満たすように頬張れば瞬間、本来するはずのない味が口いっぱいに広がった。その衝撃に思わず戻しそうになったが何とか踏ん張って喉に流し込む。ちょっと待て。これは、これは――

(砂糖と塩、間違えてるぅぅ……!)

何というベタな間違い。会話しながらだったせいもあってよく確認せずに入れてしまったのがいけなかった。あの時手に取ったのは銀さんだけれど、さすがに銀さんのだけのせいとは言えない。はたと思い返してみれば、昨日容器を洗って綺麗にしたことを思い出した。もしかしたらその時に置く場所を間違えてしまったかもしれない。それ以前に容器すら逆だった可能性も――

(私のせいじゃん!?やばいやばいどうしよう)

内心冷や汗をかきながら向かいに座る銀さんにちらりと視線をやれば、同じようにその味に耐えているような若干青ざめた表情。あ、やばい。白目剥き始めてる。

「……なまえ、コレ……」
「銀さん甘いものが好きだから今日はちょこっとアレンジしてみたお。パフェを食べなくても糖分が摂れて一石二鳥なんだお」
「オイィィィ!さっきと言ってること矛盾してんじゃねーか!めちゃくちゃ目泳いでんじゃねーかァァァ!」
「うるせェェェ黙って食えー!!」
「理不尽んんん!!」

自分の犯したミスに思った以上に動揺しているらしい。手に持ったスプーンは銀さんの口をめがけて吸い込まれていく。お皿が空になるまで無心でガツガツ突っ込み、銀さんがいよいよ顔面蒼白になっていく姿にハッと我に返るも時すでに遅し。

「おぼろしゃあああ」

口の中に入れたものがすぐにそのまま私の顔面に返って来た。言わずもがな、顔面から着物まで全身米粒まみれである。

「…………」
「……わ、悪ィ……いや、わざとじゃねーんだって!マジで!そもそもお前だって気が動転してたじゃん!?だからここはおあいこってことで!な!!」
「別に怒ってません……むしろ謝るのは私の方です……いくらだらしのない銀さんにうんざりしてたとはいえ、こんな嫌がらせみたいなことッ……!」
「え、わざとだったの?」
「冗談です」
「真顔で言わないでくんない!?」

とはいえ記憶が曖昧にしろ、事の発端は私かもしれないのだ。銀さんを責めることは出来ない。素直にそのことを話して謝罪すれば、意外にも追及することなくただ一言「気にすんな」と言った。ああ、何だかなぁ。銀さんのこういうところはずるいな、とつくづく思う。別に異性として見ていないのに心を乱されるような、胸が変にざわつくこの感じ。でも同じ空間にいるとどこか落ち着くような安心感。もしかしてこれは恋――

「……あのー、なまえちゃん?まだ怒ってます?」
「え?怒ってませんけど……」
「いや、すげー見てくっから。それともまさか銀さんに見惚れてた?」
「あーうん、あながち間違ってはいない……かな」
「……米粒まみれじゃなかったら銀さんの銀さんが大変なことになってたわ。いや、でもよくよく考えたら俺がブチまけたモノがなまえちゃんの顔面にかかってるってまるで顔面――」
「死んで下さい今すぐ死ねむしろ私が手を下す」

前言撤回。やっぱりこの男、とんだ最低変態野郎だ。そんな男に一瞬でも淡い感情を抱いてしまった自分を殴りたい。そして断言しよう、これは恋ではないと。
とりあえず目の前の男には顔面に一発蹴りをいれておいた。

さて。今日のお昼は何を食べようかな。


2018/09/02
title:箱庭

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