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スウィート・スタート

“パッショーネ”――ここイタリアへと降り立って間もなく、この飲食店で働き始めた頃にマスターに聞いたことがあった。どうやらここらでは相当な勢力を持つ名の知れたギャンググループのようで、この店にもよく来るらしい。しかしギャングにも関わらず、この町の人々に信頼されている変わったメンバーがいるとも聞いた。
世間一般では悪とされる立場の人間が町の人々に信頼されているなんて矛盾している気がしなくもないが、しかし全てが悪とも言い切れないのもまた事実だ。
元々目立ったりそういった人と関わることが苦手だったため、もし見かけても変に関わらないに越したことはない。幸いにもまだ私が出勤している日に来たこともなく、街で出会ったこともなかった。
けれどそれはこの日を境に一変するのである――。

店内の片付けをしているとドアベルの軽快な音が響き渡る。
マスターの「いらっしゃい」という声に振り向けば、そこにはジッパーだらけの奇抜なスーツを着用し、印象的な髪型をした艶のある黒髪の男性がひとり来店した。

「マスター、注文したピッツァを取りに来たぜ。出来てるかい?」
「おお、ブチャラティじゃあないか。待ってたよ」

マスターの対応とその男性を「ブチャラティ」と呼ぶあたり、どうやらこの人が話に聞いていたあのパッショーネの一員らしい。店内の少し離れた場所から二人のやりとりにそっと聞き耳を立てる。
ギャングの人間を初めて見たこともあってか、多少の恐怖がありつつも同時に興味もあった。しかしブチャラティと呼ばれるその男性――正直、本当にギャングなのかと疑うほどに整った顔をしている。偏見なのは百も承知だけれど、素直にそう思わずにいられなかった。

「しかしどうしたんだい、ずいぶんと量が多いんじゃあないか?」
「出る前にナランチャが腹が減ったって喚いてたんでね、多めに買って帰ってやろうと思ったワケだ」
「そうかいそうかい。ちょっと待ってな、今持って来るよ」

そう言ってマスターがピッツァを厨房へと取りにその場を離れた。
店内には幸か不幸か、私と彼の二人きり。束の間の静寂にごくりと息を呑む。挨拶、するべきなのだろうか。
関わらないのが最善であるが、とはいえ今は仕事中で彼はお客さんだ。さすがに無視するわけにはいかない。
緊張から心臓の鼓動が速くなるのを感じながら声を掛けようとした、その時――

「きみ……初めて見る顔だな。アジア系……日本人ってところか?」
「え、あ、はい!先月からここで働かせてもらってます」
「ここらは他所に比べりゃあそれほど治安は悪くないが、せいぜい気を付けた方がいいぜ。オレたちの活動エリアでもあるからな」

店の外に視線を向けて彼――ブチャラティさんは言う。彼の視線の先には、道端で子供が無邪気な笑みを浮かべながら遊んでいる。
初対面でいきなり忠告だなんて変わった人だ。言ってしまえば、その原因の一端は主に彼の肩書きであるそれだというのに。

「わざわざご忠告ありがとうございます。気を付けます」
「日本人はカモにされやすいからな。オレたちにとっちゃあいい餌だが」
「あはは……」

何食わぬ顔で言われてぐうの音も出ない。むしろ未だに自分がそういったことに引っかかっていないのが不思議とすら思うくらいだ。
ハッと我に返る。……私、なんかすごくナチュラルに会話してた気が……。ギャングなのに私のイメージするものとは何だか違うような気がするからだろうか。それとも相手がブチャラティさんだからか。開口一番にお金を巻き上げられるイメージしかなかったから自分自身驚きを隠せない。
気が付けば私の方から話しかけていた。

「あの、今日初めてお会いしましたけど、以前からよくここにいらして下さってたんですよね?」
「ああ。うちの連中がここのピッツァをやたら気に入っててね。よく買いに来るかな。オレはカラスミソースのスパゲティが好きでよく食べてる」
「へぇ……!」

まさかそんなにも贔屓にしてくれていたとは。私が作っているわけではないのに何だかとても嬉しい気分だ。

「私もここのスパゲティ好きなんです」
「一流店と比べたら質素だがそれがいい。懐かしい味、とでも言うべきか――まあ味ももちろんだが、一番はこの店とマスターの人柄に惹かれたってのがあるかもな」

そう言って緩やかな笑みをこぼす。その表情にきゅんと小さく胸が鳴った気がした。そういう顔もするんだな……なんて、初対面なのにそんなことをぼんやりと思いながら。

「わかります。マスターの人柄の良さがそう思わせているのは少なからずあると思います」

私がここで働かせてもらうことになったのもマスターの人柄の良さに惹かれたからだ。そしてマスターからブチャラティさんの話を聞く限り、彼もまたマスターと同じものを持っていると感じる。ギャングなのに町の人々からの信頼が厚いなんて、組織の一員である以前に彼自身がそういう人間でなければ慕われることなんて早々ないだろうから。

「待たせたねェ〜」
「いつも悪いな」
「何言ってんだい、お礼を言うのはこっちだよブチャラティ。カネはいらないから早く持って帰ってやりな」

支払いをしようとお金を取り出したブチャラティさんをマスターが制する。間髪入れずにブチャラティさんが否定の言葉を発するも、それを遮るようにピッツァが入った袋を無理矢理握らせた。
なかなか引き下がらないマスターに観念したのか、ブチャラティさんはやれやれといったように肩を竦める。

「今日はこのまま帰らせてもらうが代金は後日きっちり払わせてもらうぜ。カネのやり取りがいい加減だと、ギャングの世界じゃあいつまで経っても下っ端止まりだ」
「相変わらずマジメだねェ〜。その代わり今度は他の連中も連れて食べに来てくれ」
「私からもお願いします。他の方ともぜひお会いしてみたいです」

昨日までギャングの人たちとは関わりたくないと言っていた自分が嘘みたいだ。こうしてブチャラティさんと話をして、短時間だけれど彼を知って、ギャングに対する印象が少しだけ変わったから。
それと単純にもっとブチャラティさんのことが知りたいと思った。人間性に惹かれたからか、はたまた異性としての好意なのか、それは今の私にはわからないけれど――

「……そうだな。そうさせてもらうよ」

口元をわずかに緩めたブチャラティさんに頷きながら笑みを返す。
それから踵を返し出て行こうとする彼の背中を見送ろうとすれば、ふと歩みを止めこちらを振り返った。

「そういやきみ、名前は?」
「あ、なまえです。すみません、自己紹介してませんでしたね」
「また来るよ、なまえ。話し相手になってくれたおかげで退屈しなかったぜ」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
「ブォーナ ジョルナータ」
「……グラッツェ!」

自然と笑顔で手を振る自分に気付いた時、同時に不思議と私のこれからの人生の中で彩りを加えてくれる存在となる予感がしていた。
――それが私と彼の最初の出会い。


2018/07/09
title:金星

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