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放課後サンセット

夕焼けが教室を照らす。校舎のすぐ近くにある目いっぱいに広がる海がそれによって一層輝きを放つ。世界が一瞬止まったような感覚。
冬場は日暮れが早いこともあり、この時期の時間にはほぼ毎日眺めることができる。テスト期間で部活が中断されているため、普段運動部の生徒たちの声で賑わう喧騒も今日はない。
わたしのお気に入りの場所でもあり、密かな癒しの時間。そんな教室にわたしと糸師くんの二人きり。今はただペンを走らせる音とクリーナーの稼働音が静かな教室に響いていた。

席替えで隣同士になり、必然的に日直もペアとなった。糸師くんは他人を寄せ付けない一匹狼ではあるけれど、一度話してみたら意外と話しやすいことに気づいてそれから彼に興味が湧いた。
恋と呼ぶにはまだ早くて何かが足りない。ただ純粋にもっと知りたい、仲良くなりたいと、漠然とした思いだけを密かに抱いていた。

「黒板掃除終わった」

声とともに頭上に影が降ってきて日誌から顔を上げれば糸師くんと視線がかち合った。それから彼の背後に視線を動かせば、六時間目まで使われていたチョークの痕跡が跡形もなく綺麗に消されていた。上の隅っこまで綺麗になっているのを見て、男子――糸師くんの背の高さを改めて実感させられる。わたしだとギリギリ届くくらいだから先に糸師くんが声を掛けてくれたのは本当に助かった。糸師くん曰く日誌を書くのが苦手だからこっちを選んだだけ、らしいけど。

「ありがとう。じゃああと日誌に一言だけ書いてもらっていい?」

日誌とペンを差し出せば、糸師くんはそれらを受け取り隣の席に腰を下ろした。
黙々とペンを走らせる糸師くんの横顔を見れば、ふと窓越しの夕日が彼に重なる。やっぱり糸師くんってカッコイイんだな……。背も高いし一年にしてサッカー部のレギュラーだし、考えてみればモテる要素しかない。
あまりに絵になるその光景につい見惚れてしまっていたらしい。

「ジロジロ見んな。気が散る」

糸師くんの冷めた視線がこちらに向けられてハッと我に返る。

「ご、ごめん!そんなつもりはなかったんだけど、糸師くんカッコ良くて絵になるなーと思ってたらつい……」

言ってからやば、と慌てて口を抑える。女子人気の高い糸師くんがカッコイイだのと言われることを嫌がるタイプなのは見ていて何となく感じていた。だから気を付けていたのに……つい口を滑らせてしまった。言い寄られたり呼び出されたりしてることも結構あるみたいだし、きっと好意をチラつかせるような声にはうんざりしているはずだ。己の失言にやってしまったと心の中で盛大に頭を抱えた。

「……それやめろ」
「ごめん……。糸師くんと仲良くなりたいと思ってつい軽はずみなこと言った」

視線を落として謝罪する。クールな糸師くんに冷たい一言を言われるのはだいぶ精神的にくるものがある。告白して断られた女の子たちがもしいたとしたらこれは相当キツいだろうな。
仲良くなるどころか確実に嫌われた……といやにバクバクしている心臓をどうにか必死で落ち着かせようとしていると、糸師くんに「そっちじゃねぇ」と言われて思わず顔を上げた。

「え?」
「名前」

それはつまり名前を呼ぶなってこと?男子にも他の女子にもそんなことを言ってるのは見たことがないのにわたしだけ名前すら呼ばせてもらえないってこれもう完全に終わった……。せっかくほんの少しだけでも仲良くなれたと思ってたのに――

「勘違いすんな。名字で呼ばれると兄ちゃ……兄貴を思い出して色々面倒くさいだけだ」

しかし糸師くんの言葉に急降下した気持ちが地面スレスレで停止する。だからと言って言葉の意味を汲み取るまでには至らないのだけど。

「双子のお兄さんがいるの?」
「いねぇよ」
「じゃあなんでわざわざわたしにそんなこと」
「……別に。面倒くせぇのは事実だしお前に名字で呼ばれんのなんかキモチワリィんだよ」

書き終えた日誌を閉じた糸師くんはペンとともにわたしのほうへと寄越す。それを素直に受け取りながらも、わたしの脳内は理解が追いつかず疑問符だけがひたすら浮かんでいた。
隣の席で挨拶やたまにノートを見せたりと会話はそれなりにするとはいえ、だからと言って特別仲がいいというわけでもないのに名前呼びを許可する意図は一体なんだろう。仮に『名字で呼ぶな=名前呼びを許可された』のだとしても、気持ち悪いという言葉に果たして素直に喜んでいいものなのか。糸師くんの言葉数が少なすぎるせいであまりに感情が迷子すぎる。わたしに理解力がないだけだと言われたらさすがにお手上げだけど、でも、声色からはっきりとした拒絶には聞こえなかったから。

「つまりそれは名前で呼んでもいいってこと……?」

わたしの言葉に対する返事はなく、ふいと視線を逸らしながら糸師くんはそのまま席を立ち上がりスポーツバッグを肩に掛けた。
否定しないということはつまりは肯定――と受け取っても良いのかな。
元々クールだとは思っていたけれどそれにしたってあまりにもクールすぎやしないだろうか。この短い時間でわたしは糸師くんにだいぶ振り回されている気がする。理由はどうあれ「名前で呼んでほしい」とストレートに言ってくれたら素直に喜べるのに。でも糸師くんだし。きっと彼なりに心を開いてくれている証拠なのかもしれない。そうじゃなきゃわざわざこんなこと言ったりしないだろうから。

「あっ、待って!」

引き止めるように声を上げて立ち上がれば、同時に扉に手をかけた糸師くんが歩みを止めて軽く振り返る。夕焼けの光を浴びた糸師くんの姿が眩しくて思わず目を細めた。

「まだ何かあんのか」
「また明日。凛くん」
「何言ってんだ?明日は学校休みだ」
「あ、」

怪訝な表情で指摘されて気づく。堂々と言った手前、恥ずかしさも倍増だ。
静寂のなか言葉を探していると、先にそれを破ったのは凛くんだった。

「……どうせ部活ねぇし、会うなら勉強教えろ」

馬鹿にされると思いきや予想外の言葉が返ってきてつい目を丸くする。立ち竦んでいる間にも凛くんはわたしの答えを待たずしてさっさと出て行ってしまった。それって――なんて考えている暇も問いただす暇もない。慌てて日誌と鞄とマフラーをまとめて手に取り、追いかけるように教室を出た。

「じゃあ連絡先!交換しよ!」

凛くんの背中を追う足取りは軽かった。自然と顔が綻んだ。心が弾むこの感覚の正体が恋と呼べるかはまだわからないけれど、それでも少しでも凛くんに近づけた気がして、今はただそれだけで充分だった。


2024/10/28

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