まだあいたりないから日曜日
「や、やっぱりむりっ……!」
顔を寄せる凛くんの口元を両手で阻止するように抑えながら顔を逸らせば、少しの沈黙のあと凛くんは小さくため息を吐いた。怒ってるとまではいかないけれど、このやり取りが今日を含め何度か続けばそうため息を吐きたくなる気持ちもわかる。そう、それはわたしが一番わかってる。
わたしがこういうスキンシップにあまりにも慣れないせいで、付き合ってからそれなりの月日が経っているというのに恋人らしい触れ合いはほとんどないに等しかった。初級?の手を繋いで帰るイベントも凛くんは外でそういうことをするのを嫌がるタイプらしく、一緒に帰ってもしたことはなかった。逆に今日みたいにいい雰囲気になっても今度はわたしが避けるせいで当然キスもまだ済ませていない。だから凛くんは二人きりでいる時こそスキンシップがしたいのだということも何となく察していた。
好き合っている男女が二人でいれば、自然とそういう雰囲気になることはある。その度凛くんに「やって慣れるしかねぇだろ」と言われ、わたし自身も今日こそは、と毎回覚悟を決める。けれどいざ凛くんの顔が近づいてくると頭が混乱して、受け入れるより先に無意識に手が伸びてしまう。凛くんならここでわたしの気持ちを無視して強引に唇を奪いそうなものだけど、そうしないのは少なからずわたしの意思を尊重し大切に思ってくれているか、はたまた顔を真っ赤にして訴えるわたしに心底呆れているかのどちらか。たぶん後者だろうけど。
本当はわたしだって凛くんとキスしたいとずっと前から思っている。正直めちゃくちゃしたいと思っている。
「したくないって意味じゃないの!その、毎回覚悟は決めてるんだけど、いざ凛くんの顔が近づいてきたらテンパってどうしていいかわかんなくて……!」
「別に、顔見りゃわかる」
「あとカッコ良すぎるのも原因かなって!」
「それは知らねぇ。俺のせいにすんな。いい加減慣れろ」
「ぎゃあ!!」
「……チッ、」
再び顔が近づいてきて可愛げのない声を発しながら慌てて肩を押し返す。咄嗟に手が出たときに結構な勢いで押し返してしまったらしく、凛くんの舌打ちで我に返った。
ああ、どうしよう。このままこの状態が続けばいつかきっと呆れられてしまう。いやもう半分呆れてるのかもしれない。付き合ってるのにキスすらも許してくれない彼女なんて嫌だよね。好きになれば触れたいって気持ちが湧いてくるのは自然なことだし。
翌日からあからさまに拗ねたような態度であまり口を聞いてくれなくなった凛くんを見てさすがにまずいと焦り始めた。
◇
何となくギクシャクした関係のまま一週間が経った日曜日。部活がオフということもありいつものように会うことになった。ギクシャクしているとはいえ、完全に無視されるとかそういうことはなく連絡すれば普通に返事はしてくれるし、家にも上げてくれる。ただそういう雰囲気になりかけると凛くんは先日の出来事のせいでその先を避けるようになった。そうです完全にわたしのせいです。
結局色々考えたものの改善する手立ても見つからず、相反するようにキスへの願望が強くなっていくだけだった。
「凛くんー?入るよー?」
部屋のドアをノックするも返事はない。家にいるって言ってたし、おばさんもそう言ってたから寝てるだけかな?なんて思いながらゆっくり扉を開けると案の定ベッドで横になっていた。コントローラーが枕元に置いてあるのを見る限り、ゲームをしてる途中で眠くなったところだろうか。
静かに扉を閉め、買ってきたケーキの箱をテーブルに置いてベッドで寝ている凛くんに近づく。一緒にゲームしながらお茶でもしたいなぁなんて思ってたんだけどな。起こすのも悪いかなと思うけど一人だと手持ち無沙汰だしなぁ……。
「凛くん、起きて」
小声で声を掛けてみるも身動きひとつしない。練習続きで疲れてるのかな。こんな無防備な姿は珍しい。わたしが来るってわかっててこんな姿を見せてくれるってことは、少しでも気を許されてるのかな……なんて考えたら自然と口端も緩んでしまう。
にしても、よくよく考えたら寝顔見たの初めてかも……。眠っているのをいいことについまじまじと観察する。
いつもクールな表情をしているけれど、寝顔は想像以上に穏やかで柔らかい。まるで子供みたいで微笑ましくなるのと同時に変な緊張感が襲ってくる。
小さく寝息を立てている凛くんの唇に目を奪われ、自身の生唾を飲み込む音が脳内を突き破り無音の部屋に響く感覚さえする。
(キス、したいな……)
寝てる状態なら目が合うこともないし、もしかしたらできるかも。あ、でも凛くんが知らなきゃ意味ないか。でもやっぱりいきなりあの整った顔が近づいてきたらびっくりするからわたしが慣れるにはこうするしか……!
よし、やろう。やるしかない。案外してみたらなんてことなかった、ってなるかもだし。
脳内で自問自答を繰り返し決意する。小さく深呼吸をし、いよいよ覚悟を決めゆっくりと顔を近づける。凛くん、唇薄いんだな……なんて、緊張しているわりに余裕ぶったことを思いながらそっと唇を重ねた。
寝てるとはいえ自分からするのはやっぱり恥ずかしくて、本当に一瞬重ねるだけで精一杯だった。柔らかさとか温もりを感じるなんてもってのほか。でもわたしはやりきった!この上ない達成感でひとり満足していると、タイミングを見計らったように凛くんがぱちりと目を開けてわたしを凝視していた。
「り、凛くん!?」
「お前がその気ならもう遠慮はいらねぇよな」
「え、ちょ、ま、い、いいいつから起きてたの!?」
「ノックで目が覚めた。けどめんどくせぇから無視してた」
「つまり最初からってことだよねそれ!」
「そうだって言ってんだろ」
なにそれなにそれ恥ずかしすぎるんですけど!凛くんにキスを迫られた時以上に顔が熱い。やばい、今のわたしたぶんめちゃくちゃ顔赤い。むり目合わせられない。こうなったらさっさと退散するに限る!
「り、凛くんお疲れみたいだし今日はおいとまします!あ、そこにケーキ置いてあるから二つとも食べていいよじゃあね!――って、わっ!?」
早口で言いたいことだけ言って立ち上がろうとすれば、逃がさんと言わんばかりに腕を引っ張られて引き止められる。よろけた勢いで凛くんの整った顔が視界を埋めつくして目を大きく見開いた。
「ッ!」
「誰が帰っていいっつった」
「ち、近いよぉ……」
両手で顔をガードしつつそっと逸らす。やっぱりカッコ良すぎて直視できない……!
「手どけろ。もうその手には乗らない」
「だめ!むり!寝てる時にするのと見つめ合ってするのは全然ドキドキ度合いが違うからっ……!」
「うるせぇ。御託はいい」
片手であっさり退けられてしまい、再びご尊顔がお目見えする。慌てて顔を逸らしても逆の手ですぐに正面を向かされていよいよ逃げ場がなくなった。恥ずかしすぎて涙出てきそう。もう自分で自分の情緒がわからない。何かを言いたくても吐息が触れ合う距離まで近づけられれば安易に声を出すこともできない。無音の部屋に衣擦れの音だけがやけに耳に響いて、それが一層緊張を煽った。
今までわたしが逸らしてきた分だけ穴が開くほど見つめられ、それから後頭部を引き寄せられたと思えばそのまま唇を塞がれた。
「んっ……!」
我慢した分を余すことなく埋めていくような、凛くんの想いをこれでもかとぶつけられているような、甘くて濃厚なキス。さっきはわからなかった柔らかさと温かさがはっきりとわかる口づけにはじめて目眩がした。
「んぅ……ぷは、まって、くるしっ、」
「まだ足りねぇよ」
「んんーっ!」
お願いしてもやめてくれない凛くんに、これはわたしが今まで無理だ無理だと避け続けてきた結果、凛くんの我慢が爆発した分なのかと思ったらもう何も言えなかった。自業自得ってやつだきっと。
「はぁっ、んん……!?」
角度を変えてキスを続ける凛くんに合わせて何とか酸素を取り込もうとすれば、突然ぬるりと凛くんの長い舌先が口内へと入ってくる。唇よりも明らかに熱を持ったそれと初めての感覚に、驚きのあまりつい反射で甘噛みをしてしまった。
「ッ、テメェ……」
「ごごごごめん!びっくりして……ほんとにごめん!血出てない?大丈夫?」
「……別に。このくらいで血なんか出ねぇよ」
その言葉にひとまず安堵するも、すぐに手が伸びてきてあっという間に再び顔を寄せられる。それはまるでまだまだ足りないと言わんばかりに。鋭い瞳の奥に宿る色は愛情なのか捕食なのか。どちらにせよ凛くんが満足するまできっとまだ終わらない。
「あの、凛くん」
「なんだ。やめろって話だったら聞く気ねぇから」
「違うの!それは承知の上で、その……深いやつはまだ心の準備ができてないので、普通にちゅーするやつでおねがいします……できれば優しくしていただけると……」
口に出すのが恥ずかしくて尻すぼみがちにお願いすれば「言われなくてもそのつもりだ」と意外にもあっさり承諾してくれた。……もしかしてさっき舌を甘噛みされたこと根に持ってる?
「俺が今まで我慢してきた分だけその体に教えこんでやるよ。マジでこんなんじゃ全然足りねぇ」
そう言って強引にベッドへ引き込まれあっという間に組み敷かれると、すぐに何度目かのキスが降ってくる。言葉とは裏腹にわたしのお願い通りに今度はちゃんと優しく口づけてくれる凛くんに愛おしさがこみ上げる。密着した手のひらから凛くんの熱が伝わってくるような気がした。
「はぁ……。凛くん、すき」
想いのままに口にすれば返事の代わりに指先にきゅっと力が入った。
「俺も」なんてさすがに期待した答えは返ってこなかったけれど、それはまたいつかの日までに取っておこう。
2024/10/13
title:まばたき
theme:恥ずかしがってキスを避ける夢主に我慢している凛がうたた寝をしているところをキスされてついに我慢ができなくなる
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