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未来をぜんぶ一人占め

就寝前、ベッドに寝転がりながら日課であるサッカー記事をSNSでチェックしていた時だった。
『糸師冴、あすにも日本に一時帰国へ』というタイトルが目に入り条件反射で飛び起きた。冴くんの活躍は常にチェックしているとはいえ、帰国という二文字に無条件に心臓は大きく跳ね上がる。――冴くんに、会える。
逸る思いで記事を読み進めていくと、どうやら凛ちゃんが呼ばれたブルーロックというプロジェクトチームとU-20日本代表に選ばれた冴くんがスペシャルビッグマッチと称して試合をするとのことだった。
正直二人の今の仲を思うと複雑な気持ちではあるけれど、それ以上に冴くんに再会できることが純粋に嬉しかった。
海外での生活は色々と大変だろうし時差もあるからできるだけわたしからは連絡はしないようにしていたけれど、今日だけは記事を読み終えてすぐにトーク画面を開いていた。
明日の何時頃なのかな。空港って羽田?成田?何時に出れば間に合う?何着てこうかな。そんなことより隣に金髪美女がいたらどうしよう。あ、そもそも学校あるから空港まで迎えには行けないじゃん。
なんて、我ながら感情が忙しい。でもこうして一喜一憂する時間が嫌じゃないと思えるのは、それが恋の醍醐味でもあるからなのかもしれない。



放課後、わたしは真っ先にいつもの海岸へと走った。《さっきまで東京にいた。今は地元にいる》と添付されていた一枚の画像は、見慣れたいつもの場所から見える風景。そこに冴くんがいるとなれば居ても立ってもいられない。寒さで顔が強張っても、生足が冷えようとも構わず走った。

「冴くん!」

海岸の端、誰もいない静かな海を眺める冴くんを捉えると、振り返りざまにその胸に飛び込むように勢いよく抱きついた。

「おかえり。久しぶりだね」
「ああ」

聞きたいことや話したいことはたくさんあるのに、会った瞬間想いが溢れてそれ以上は言葉にならなかった。たった一言返事をしてくれたその声が変わらず優しくて、久しぶりの感覚に胸がきゅうとなると同時にすごくドキドキもしていた。
いくらネットで写真を見ていても、動画で動いて喋る姿を見ていても、たまに聞く電話越しの声を聞いていても、やっぱり間近で見る生身の姿に勝るものはない。頭上に置かれた手に、いつだったか凛ちゃんと一緒に褒められた時の懐かしい記憶が蘇る。
昔からある、変わることのない景色と耳を攫う心地よい波の音。優しさが詰まった冴くんの温もり。唯一変わったことといえば、わたしが触れている以前よりも逞しくなった身体と、これは――色気?とでも言うのだろうか。上手く言葉にできないけれど、昔の面倒見のいいお兄ちゃんの冴くんだけでは収まらないような……表情に変化はないのに、向けられる眼差しがどこか魅惑的に感じる。

首に回していた腕を解けば、至近距離で目が合って思わず息が止まりそうになった。凛ちゃんと同じ瞳の色をしているのに抱く想いはまるで違う。
幼なじみとしての安らぎと異性としての緊張、戸惑い。ずっと前から自覚していたとはいえ、こうして再会したことによってどうやらわたしの恋心は純粋なものだけではなくなってしまったらしい。目を合わせるだけでこんなにも緊張して、でももっと冴くんに触れたいし触れられたい。それが恋であり欲であることをまざまざと実感させられているようで、いい意味で初めて居心地が悪いと思った。

「髪、結構伸びたんじゃねぇか?」
「そう、かな。毛先は何度か切ってるけど、でも見送りした時と比べたら確かに伸びたかも」

冴くんの右手が耳を掠めて髪に触れる。びくりと過剰反応する身体はこれでもかというほどに強張っていて、何かを言われる前にそっと視線を落として必死に平静を装った。

「化粧して妙に色気づいて……男でも出来たか?」

からかうような声色で冴くんはフッと息を漏らす。メイクは他でもない冴くんに会える嬉しさの表れだ。それにもしいたらこんな風に抱きついたりはしない。

「彼氏はまだいないけど……好きな人はずっと前からいるよ」

熱を持っている頬を覆いたい気持ちを我慢してそっと顔を上げる。メイクしてることに気付くくらいだから、こんなふうにあからさまにぎこちないわたしなんか見たら秘めたる想いもさすがに見抜かれてるかな。冴くん、サッカー以外にはまるで興味がないようだけどデータを見るのは好きみたいだし、観察するのもサッカーには必要な要素だとか言って結構肥えてそうだし……。

「知ってた。それ俺だろ」
「っ!」
「俺がお前の気持ちに気づかねぇとでも思ってたか?」

やっぱりなという思いと、意図しない流れで想いが伝わってしまったことに急に不安が襲ってくる。この流れでフラれるのはさすがに耐えられない。何より初恋がこんな形で終わるのは嫌。下手したら幼なじみですらいられなくなる。

「それは、その、幼い恋心ってやつで今は――っ!?」

どうせ傷つくくらいならたとえ情けなくたっていい。言い訳して自分から終わらせたほうがまだ傷は浅い。そう思い、強がりの言葉を並べようとした刹那、その言葉を飲み込むように冴くんに呼吸を奪われた。

「んっ、ふ……」

突然のそれにどう応えたらいいかわからない。反射で冴くんの胸を軽く押してみるも、右手で頬を固定されているせいで距離をとることも叶わない。
これは私にとってファーストキスで、しかも相手はずっと好きだった冴くんで、あとここ外で普通に恥ずかしいし、息継ぎのタイミングとかわかんないし、それからそれから――
いろんなことが一気に起こり、脳内を駆け巡る感情があまりに忙しい。冴くんの上着にしがみつきながら、角度を変えてキスを続ける彼に置いていかれないように必死だった。

「はぁ……」
「これくらいでへばんな」
「そんなこと、言われても……」

唐突にわたしのファーストキスを奪っておきながら、当の本人は相変わらずの真顔で文句を垂れる。
混ざり合う吐息も頬も身体もどこもかしこも茹だるような熱さに包まれ、せっかくつけたお気に入りのリップも絡め取られてしまった。ふと冴くんの唇を見たらわたしのリップがわずかに移っていて、キスを交わしたという事実にどうしようもなく恥ずかしくなる。緩く舌なめずりする仕草に情欲のようなものを掻き立てられると同時に、あまりに手馴れたそれにわたしの知らない冴くんを感じて何だか少しだけ寂しくなった。

「やっぱりスペインで金髪美女に色々教え込まれた……?」
「は?なんだそれ」

吐露したわたしの言葉に冴くんは心底呆れたように顔を歪ませた。たぶんこれ、ものすごくバカにされてるやつだ。だってしょうがないじゃん。昔からモテてしょっちゅう告白現場を目撃してたけど、特定の誰かと付き合ったという話は聞いたことがなかったから。

「どうせくだらねぇこと考えてんのはだいたい想像つくが……金と肩書き目当てで近づいてくる低俗な女どもにハナから興味なんざねぇよ」
「じゃあこのキスはなに……?単なる気の迷い?それとも海外仕様のただの挨拶?」

濃厚なキスを交わす挨拶なんて海外でも聞いたことないけれど。さすがにここまでのことをされても肝心な言葉は言えなかった。

「…………」

矢継ぎ早に問い詰めるわたしを冴くんは含みを持った視線で見つめる。

「な、なに?」
「凛とよろしくやってんならそれはそれで構わねぇと思ってたが……読みが外れたってだけの話だ」
「凛ちゃんとは今も健全な幼なじみだよ」

なんて言ったけれど、凛ちゃんと付き合っていても構わないと冴くんに思われていたことにほんの少しだけ落ち込んだ。やっぱり冴くんにとってわたしはいつまでも妹のような存在なんだと思い知らされた気がしたから。

「なに勝手に一人で落ち込んでんだ。読みが外れたっつってんだろ」
「だからそれどういう意味なの?凛ちゃんと付き合ってなくて安心したってこと?ちゃんと言ってくれなきゃわかんないよ」
「この歳まで初恋引きずってるお前に呆れてんだよタコ」
「なっ……!」

再会しても相変わらずの辛辣ぶりに拗ねてしまいそうになる。結局キスに対する答えも流されたままなのに。

「ここまで来てソレ叶えられんの俺しかいねぇだろ。じゃねぇとお前一生男出来ねぇぞ」

しかしそんな思いは冴くんの言葉によってすぐに驚きへと様変わりする。
冴くんがスペインにいる間に諦めようかと思ったことは何度もあった。時間とともに自然と他に好きな人が出来るかなと思ったりもしたけど、どうやらそう簡単なものではなかったらしい。テレビやネットでほぼ毎日冴くんの顔を見ていたら会いたい気持ちが募るだけで諦めるなんて到底無理だった。それだけわたしにとってこの初恋は特別なものなんだ。もはや一途を通り越して執念なんじゃないかと思うくらい。冴くんじゃなきゃダメな理由なんてきっとないのにね。

「叶えて、くれるの?」
「その代わり卒業したら俺について来い。当然だが拒否権はねぇぞ」
「さすがにそれは話が飛躍しすぎじゃない!?二年も先の話、」
「それとキスはそのままの意味だ」
「ちょっと人の話聞いて――っ!」

顎を掬われあっという間に唇が攫われる。今度は触れるだけの軽いキス。

「今後なまえの人生に俺以外の男が入る余地はない。せいぜいこれから存分に思い知れ」

もう、本当に兄弟揃って自分勝手。でも多分わたしはこうやって振り回されるのが嫌いじゃないんだと思う。
だってこんなにも心から満たされた想いを感じたのは、人生で今日が初めてだから。


2024/10/10
title:金星

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