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波に揺れるきみの愛

初恋は同級生のお兄ちゃん――冴くん。
糸師兄弟とは小学生の時からの付き合いで、いわゆる幼なじみという関係だ。冴くんは昔からクールで全然笑わなくて最初は少し怖かったけど、弟の凛ちゃんと一緒によくわたしの面倒を見てくれて気が付けばそんな冴くんを好きになっていた。子供の初恋なんて所詮そんなもの。明確な理由やきっかけがなくたって、長い時間を一緒に過ごしていれば自然と特別な感情が生まれてくる。それが凛ちゃんではなく冴くんだったのは、多分憧れに近かったから。これもよくあること。
その時に芽生えた感情も今となってはいい思い出だ。甘酸っぱくて、あたたかくて、眩しくて、混じり気のない純真な想いだけが輝いていた。あの時のはじめての気持ちはきっともう味わえない。
冴くんが海外へ行ってからは凛ちゃんと二人で過ごす時間が増えたけど、特に親密な関係になるわけでもなく昔と変わらない付き合いをしていた。
はずだったんだけど。
どうやらそう思っていたのはわたしだけだったらしい。


「チッ」
「え、凛ちゃんまた当たり棒引いたの?ホント引きつよ!」
「またこんなモンに運使っちまった」

そう愚痴をこぼした凛ちゃんは食べ終えた当たり棒を押し付けるようにしてわたしに差し出してきた。
部活がない日はコンビニでアイスを買い、こうして堤防に寄ってひと息してから帰る。別に約束しなくてもそれが自然だった。まあだいたいはわたしが凛ちゃんに声を掛けることがほとんどだけど、たまーに気に掛けてくれているのかただの気まぐれなのか、待っていてくれることもあったりする。

「相変わらずの強運うらやまー」
「ここで使ってたらむしろ逆だろ」

凛ちゃんに貰った棒を片手に自分の分を頬張る。波の音を聴きながら、揺れる水面を眺めながら食べるアイスは格別だ。
小さい頃、こんなことで運を使うのはバカらしいと冴くんが言った。兄ちゃんの言うことは絶対、な凛ちゃんは以来、当たり棒を引くとこうしてわたしに押し付けて無かったことにする。普通に考えたら当たり棒なんて確率的にもなかなか当たるもんじゃないから凛ちゃんの強運には素直に感心する。たとえそれが押し付けられたものでも関係なくラッキーとばかりにわたしは喜んで受け取る。本人は当たり棒が出るたび毎回不服そうにしているけれど。

「冴くんもなかなかの引きの強さだったよねぇ」

冴くんの活躍ぶりはネットで得てはいるけれど今やわたしの知る冴くんはいない。文字通りずいぶんと遠くに行ってしまって少しだけ寂しい。

「……アイツの名前出すんじゃねぇよ。わざとか?」

成長期を迎えいつからか低くなった凛ちゃんの声が一層低くなり、その声色からは機嫌の悪さが滲み出ている。昔を思い出して何気なく言っただけだったんだけど……どうやら凛ちゃんはお気に召さなかったらしい。凛ちゃんにとって冴くんの話題はわたしが思っているより地雷みたいだ。
昔は表情豊かで可愛かったのに、思春期を迎えたあたりから冴くんと同様にあまり笑わなくなった。でも表情は変わらなくてもやっぱり凛ちゃんはそれ以外では案外わかりやすい。そういうところは今でも可愛いな、と思う。

「そんな意地悪しないってば。ただの雑談じゃん。いちいち怒らないでよ」

とは言ったものの、あの雪の日の出来事――わたしはその場にはいなかったけど、事情は把握しているから凛ちゃんがピリピリする気持ちもわからなくはない。けれど二人が決別したことにより、前みたいに三人でいられなくなったことに関してわたしは寂しいと思ってるんだよ。言ったところでそう簡単に修復できるようなものじゃないことも理解してるから口には出さないけれど。それに兄弟の問題に口出しするのもあんまり良くないと思うし。

「お前は昔から兄貴のことばっかだな。マジでウゼェ」

鋭い眼差しがわたしを捉える。
昔、凛ちゃんに聞かれたことがあった。「兄ちゃんのことすきなの?」と。その時のわたしは照れながらも素直に認めた。凛ちゃんも冴くんのことを自慢の兄として慕っていたから、私の告白に得意げな表情をしていたのをよく覚えている。

冴くんが海外へ行くと知ってもわたしは結局告白はしなかった。できなかった。でもきっと冴くんはわたしの気持ちに薄々勘づいていたのかもしれない。……いや、どうだろう。サッカーしかしてなかったから他のことには興味なかったかも。それに今はもう思い出として収まっているから今更けじめとしての告白をすることもないけれど。プロとして活躍する彼にとって幼なじみとの関係なんて、昔のことなんて、もう邪魔なものでしかないだろうから。

「お前は俺の所有物だ。今も昔も変わんねぇんだよ」

あまりの自己中心的なそれに場違いな笑みがこぼれそうになる。
確かに、思い返せば子供の頃に「なまえちゃんはおれのモノだよ」だなんて言われたりしてたけど単なる子供の戯れ言だと思っていた――のに。高校生になってそれがまさか本気だったとは信じられまい。

「それってさ、嫉妬?」
「あ?そんなぬりぃモンに興味ねーから」

友達とか彼女とかぬるい関係性は必要ないと言う凛ちゃんがわたしをモノ扱いして言うのなら、せめてその感情を幼なじみという言葉以外で表してほしい。そう思うのはきっとエゴでも何でもない。これは純粋なる願い。わたしにとって凛ちゃんも大切な人だから。

「嫉妬じゃないなら何?重めの愛とか?てか凛ちゃん、わたしのことそんなに好きだったの?」

これ以上重い空気にならないようにあえて軽快なトーンで言ってみせれば、凛ちゃんは相変わらず表情に変化はない。けれど言葉通りの嫉妬ではないことは何となく伝わった。それよりも己のエゴが強いというか。昔から言動の端々から執着心や独占欲の強さを感じ取ってはいたけど、まさかそれほどのものだったとは思わなんだ。

「だったらどうした。今更幼なじみだけで満足できるかっつーんだよ」

凛ちゃんの声が波に乗って耳に届く。じっと睨まれるように長いこと見つめられて珍しく緊張が走る。凛ちゃんは本気だ。その想いが純粋なる好意かはさておき、いずれにせよその想いに応えなければいけない。
頭の中で色々考えていると、跳ねた水しぶきが軽く足に掛かりそれに気を取られて一瞬凛ちゃんから目を離した。しぶきを払おうと手を伸ばそうとすれば、それより先に凛ちゃんの腕が伸びてきて思いきり顔を横に向けさせられる。反動で右手に持っていた溶けかけのアイスがぼとりと地面に落ちた。

「あっ、最後のひと口……」
「知るか。早く食わねぇのが悪い」

凛ちゃんはそれすらも構わずに視線を合わせるようにして、首の筋が張るくらいわたしの顎を高く持ち上げた。

「これからは俺だけを見ろ。口にしていいのはイエスだけだ。それ以外は認めない」

ターコイズの双眸がわたしを強く見据える。
拒否権すら与えない告白が凛ちゃんらしくて、けれど何よりも真っ直ぐ伝わってくるそれに自然と口端が緩む。凛ちゃんを扱えるのはきっとわたしくらいしかいないし、同じようにわたしのことを理解してくれてるのもきっと凛ちゃんだ。
そうなればもうわたしは「仕方ないなぁ」と、満更でもない笑みで受け入れるだけなのだ。


2024/06/06

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