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真夜中にぼくの輪郭が騒ぐ

ストレートで勝利を収めた今日の試合、自宅へと向かう日向の足取りは軽かった。自身の活躍ぶりも相まって無条件に気分が良い。心地の良い疲労感はむしろもっとバレーをしたいと物足りなさすら感じるほどだった。

「ただいま〜」
「おかえり翔陽〜!」
「おわっ!?」

リビングの扉を開けた瞬間、出迎えたなまえが勢いよく日向に抱き着く。よろけそうになりながらもしっかりと抱き留める日向の体躯は鍛え抜かれた成人男性そのものだ。
出迎えがこのテンションということはつまり――

「なまえさん飲みすぎはダメだって言ったじゃん!」

日向がテーブルに視線をやると、水滴まみれの空のグラスに数種類の酒、つまみの空袋、ムスビイのタオルマフラーにマスコットキャラクターのグッズ……なまえがどう過ごしていたのかその姿が容易に浮かぶ光景が広がっていた。
楽しんでいるのは良いことだがそれにしても一体どれほど飲んだのやら。首に腕を回し密着しているなまえの身体はダイレクトに伝わるくらいには火照っていて頬も赤い。普段のなまえからすれば人が変わったくらいには陽気になっている。

「だって今日の翔陽、絶好調だったしめちゃくちゃカッコ良くて気分サイコー!だったからお酒も進んじゃった」
「観てくれるのは嬉しいけど、とりあえず水飲んで」

鎮座している状況から察するに恐らくチェイサーを挟んではいない。
なまえが自宅で日向が出ている試合を観ている時は大体いつもこうだ。だが手が付けられないほどに悪酔いするタイプではないから介抱自体は楽で助かる――なんて、日向がなまえの介抱を面倒だと思ったことは一度もないのだが。
名残惜しそうに日向を見つめるなまえを背に、日向は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しなまえと共にソファーに腰を下ろした。

「ほい、気持ち悪くなったりしてない?」
「ん、へーき。むしろちょーいい気分!試合中に舌なめずりする翔陽にムラムラしちゃうくらいには」
「完全に酔ってますね!?普段のなまえさんそんなこと絶対言わないもん!」
「酔ってませーん」

頬を赤らめ、むくれ顔をするなまえに日向はまんまと振り回されている。酔ってないということはつまり本心ということになるのだが……いずれにせよ、深く考えるのはやめたほうが良さそうだ。日向の活躍度合いでなまえの酔いレベルが変わるとなればますます信頼度は低い。
子供のようなあどけない笑顔を浮かべながら、なまえは受け取ったミネラルウォーターで喉を上下させる。冷たさが身体に染み渡っていく感覚が心地良い。

「ん……ぷはぁっ!美味い!」

普段のなまえは比較的しっかりしていることもありアルコールを摂取した時は一段と幼く見える。そんななまえに日向は振り回されはすれど、呆れるわけでもなく幻滅するわけでもなくむしろそのギャップが可愛らしいと感じていた。
歳を意識しているのかはたまたなまえの性格故か。普段あまり甘えることがないから、正直酔ったなまえを見るとちょっと嬉しいとすら思う。もっと甘えてくれてもいいのにとも。

「あーもう口から零れてるって!」
「ん〜、翔陽拭いて〜」
「今拭くからじっとして」

指で口端を拭う日向の表情は満更でもない。男はいつだって好きな人からは頼られたいし甘えられたい生き物なのだ。
普段は周りの人間がほぼ年上なため何かと可愛がられることが多い日向だが、なまえ相手だと長男らしく面倒見の良さを発揮する。酔ったなまえにここぞとばかりに世話を焼いてしまうのは日向もまた性格故か。

「ありがと」
「どういたしまして。少し休んだらベッド行こう?」
「…………」

しばしの沈黙――なまえは何か言いたそうに、意味ありげな視線を日向に向けている。

「……なまえさん?」
「……翔陽にドキドキしたのはほんとだよ」

熱っぽい瞳にじっと見つめられれば、さすがの日向にも緊張が走る。そして空気が変わる瞬間というものは案外わかりやすい。
衣擦れの音を響かせながら、なまえは徐に日向の首に腕を回しそっと口づけた。
雰囲気を感じ取っていてもなまえからのキスなんて滅多にないものだから、来るとわかってはいても驚きを隠せず日向は思わず目をぱちくりさせた。
長く感じられた温もりが離れていくとなまえは一層頬を赤く染め、そのまま日向をソファーに押し倒して馬乗りになった。

「へっ!?エッ!?な、なまえさん!?!?」
「翔陽……今日、だめ?」

掠れた声と共になまえの指がもどかしそうに日向の胸板をそっと撫でる。
触れられていることや見下ろされる新鮮さに対して思考を埋めつくされるも、同時に脳内で激しい警鐘が鳴る。さすがにここまでの流れを予想していなかった日向は大いに狼狽える。いや、これはまずい。非常にまずい。
相手が酔った状態で事に及ぶなんてそんな気は毛頭ないが、羞恥に耐えながら瞳を潤ませている姿は控えめに言って目にも身体にも毒だ。理性が崩れるのも時間の問題だった。

「だっ……ダメ!!」

慌てて上半身を起こしてなまえを制す。
行為に及ぶこと自体が駄目なわけではない。試合をして疲れているから駄目なわけでもない。酔った状態のなまえを抱くことが駄目なのだ。
仮にもしこのまま事に進んでもきっと罪悪感に襲われる。何より翌朝何も覚えてないと言われたらさすがにショックだ。

「その、それ自体がダメなんじゃなくて、やっぱ酒飲んだ時って判断力とか思考能力鈍るし!それでなまえさんが嫌な思いしても嫌だから。だから、今日はダメ」

両手を握り、優しく言い聞かせる日向の声になまえの思考は一気に冷静になっていく。
とんでもないことを口走った自覚はある。今になって羞恥心といたたまれなさが急速に襲ってきた。

「そ、そうだよね!わたしのほうこそ変なこと言ってごめん。今のなし。忘れて!」

あまりの恥ずかしさになまえは顔を俯かせる。
日向がこんなことで嫌ったりしないことは普段の振る舞いや今の言動で充分伝わっている。しかし普段絶対にしないことをしたせいでなまえは自己嫌悪に陥り激しく後悔していた。
だがその言動はすべて本心であり真実だ。潜在的な感情、日向に対する想い――それがアルコールという作用によってこぼれ出てしまっただけで、その想い自体に恥じるべき要素はない。
日向がなまえをそっと抱きしめる。子供体温だとチームメイトは揶揄するが、なまえにとってその温かさは唯一無二の安心感があった。

「俺だってその、もっと触れたいって思うことあるし、さっきのなまえさんは正直マジでヤバかったけどっ!だからこそなまえさんが素面の時同じことが言えたならその時は俺、ちゃんと受け止めるから!」
「なんでわたしより翔陽が必死になってるの、」
「そんなのなまえさんのこと大事にしたいからに決まってんじゃん」
「!」

日向の言いたいことはよくわかる。でも、だけど。女にも好きな人にどうしようもなく触れてほしい時がある。自分で先程の失言は忘れるように言っておいて随分と身勝手な思いを抱いている。

「……ねぇ、そんなふうに言われたら逆に我慢できなくなっちゃうよ」
「ダメ、我慢して」

大事にしたいのは本当だ。しかし今の言葉は本当になまえのためを思ってのものか?自分に言い聞かせているだけのような気もする。
普段よりも柔らかく低い声で囁かれ、なまえの鼓動は大きく脈を打つ。日向の持つ魅力にどうしようもなく心を乱される。
なまえが胸に宿る想いを視線で訴えるように、ねだるように日向を見つめれば、なまえの胸中を察した日向はせめてもと柔らかなキスを送った。

「……今日はこれで、ね?」

あやすように髪を撫でればなまえはそれ以上何かを言うことはなく、ただ小さく頷いて日向の胸に顔を埋めた。

積極的ななまえは嫌いじゃない。誘われたのも本音を言えば嬉しかったしなまえが酔っていなければきっと受け入れていた。余裕ぶって色々言っても日向も男だ。
理性と本能。本音と建前。大事にしたい気持ちと乱したい気持ち。触れるだけの優しいキスと刺激的で濃厚なキス。

「はあ、」

心の葛藤が思わず短いため息となってこぼれた。天井に向かって吐き出したそれはもどかしさを表すように部屋全体を浮遊する。なまえが眠ってもしばらくの間、消えることはないのだった。


2024/05/01
title:エナメル

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