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現実にセーブ機能はなし

最近のゲームは昔に比べて格段に遊びやすくなった。グラフィックや操作性はもちろん、なんと言ってもオートセーブ機能は革命とも呼べるレベルではないかと思うほどだ。呪文のような長い文字を必死にメモする必要もなければ瀕死状態で命からがらセーブポイントまで向かう必要もない。
ただ、そのシステムを良いと呼べるかは人それぞれかもしれない。
『あの時こうしていれば良かった』と思っても上書きされた記録よりも前に戻ることは出来ない。まるで人生そのもののようだ。セーブデータを何個作れてもそこから再開出来るのはゲームの中だけ。文字通りのやり直しは生きている間はそうもいかない。
人生という物語のデータが常に蓄積・保存されているようで、その実生まれた時から一度もされていない状態。かと言って己の意志でセーブするタイミングを選択出来てそこからやり直しが出来たとしても、その後の結果がどうあれそれを良いと思えるかと問われたらきっと断言することは難しい。

昼休み、窓際の一番後ろの席――生徒の間では一番くじ運のある席だと言われている場所で、孤爪は昼下がりの暖かな日差しを浴びながら先週発売されたゲームに勤しんでいた。
生徒たちの喧騒で埋まる教室でその周囲の音すら気にならないほどに、画面の中に立ちはだかる目の前のボスを倒すことだけに集中していた。話し声に紛れ、カチャカチャとひたすら指を動かす音が孤爪の周りを埋める。
一回目の失敗から改善点を洗い出し、クリアまでの道を模索し再び立ち向かう。二度目のチャレンジでようやく倒すことに成功した。
見る人が見たらたかがゲームと思うだろう。しかしゲームと言えど攻略の活路を見い出す時の思考の働きは、孤爪にとってバレーをしている時の感覚と似ていた。その感覚は嫌いじゃない。
チャプターが切り替わり、オートセーブで一段落ついたところで時間を見れば、もうすぐ昼休みが終わろうとしていた。短く息を吐きキリのいいところで電源を落とした時。

「――孤爪くん」

様子を窺っていた隣の席のなまえが今だ、とタイミングを見計らって孤爪に声を掛けた。急に話しかけられたことに驚いた孤爪は、びくりと肩を跳ね上げなまえのほうを見る。

「あ、急に話しかけてごめんね」
「べつに大丈夫……」
「その、それ、先週発売したゲームだよね?私も買ったんだけど何回やってもボスが倒せなくて……孤爪くんゲーム得意そうだし、良ければアドバイスとかもらえたらなーと思って……」

部活があり帰宅後の自由時間だけではクリア出来ず、休み時間にやっていた孤爪を隣の席のなまえは昨日から見ていた。そしてたまたま画面が目に入った時、まさにいま自分が苦戦しているゲームをプレイしていることを知りなまえは勇気を出して声を掛けた。
同じクラスでついこの前の席替えで隣同士になったがお互い積極的に話しかけるような性格をしてないこともあり、こうして直接込み入った会話をしたのはこの時が初めてだった。

「……前作はプレイした?」
「実はこのシリーズ、これが初めてで……最新作が面白そうだったから買ってみたんだけどやっぱりシリーズプレイしてないとダメかな?」
「ストーリー自体は独立してるからやってなくても平気。でも敵の難易度が今までより上がっててギミックとかも厄介になってるから初心者にはちょっと難しいかも」
「なるほど。私、ゲームは人並みに好きだけど特別得意ってわけじゃないから多分孤爪くんが見たら目も当てられないと思う……」

眉を下げて乾いた笑いをこぼすなまえだったが、孤爪は内心なぜそんな顔をするのだろうと甚だ疑問だった。誰に何を言われたとしても自分が好きならそれでいいのに。上手いとか下手とか関係ないし、楽しいと感じること以外に正解なんてない。趣味とはそういうものだ。

「……とりあえずレベル上げは基本かな。推奨レベル以下だとそもそもクリア以前に戦うのがキツいし、余裕もってプラス10から15くらいあったほうが楽に戦えると思う。あとは属性の相性とかあるからそれに合わせて武器のカスタマイズしたりサブミッションでステータスの底上げしたり――」

そこまで言ってハッと我に返る。まずい、聞かれたことに素直に答えてたらつい喋りすぎてしまった。好きなことに対して聞かれると無意識のうちに饒舌になっていけない。恐る恐るなまえを見ると、孤爪の熱量に圧倒されたのかぽかんとした表情を浮かべていた。

「ご、ごめん……」

孤爪は咄嗟に謝り、顔を赤くし気まずそうに顔を俯かせる。

「ううん。全然大丈夫。まさかこんなに丁寧にアドバイスしてくれるとは思わなくてちょっとびっくりしただけ。本当にゲームが好きなんだね」

なまえは柔和な笑みを孤爪に向け、それから彼が言っていたことを箇条書きでメモに残した。
その姿を孤爪はちらりと盗み見る。
人付き合いが苦手な孤爪は隣の席の女子と話すのも一苦労だった。緊張からかやけに心臓がうるさくてその症状は依然治まらない。しかし他人と接した時の気を張った疲労感に不思議と強いストレスを感じることはなかった。彼女の人柄がそう思わせたのか、むしろそれが心地良いとすら感じていた。

次の日。予鈴ギリギリの時間に孤爪が教室へ行くと、既になまえは席に着いていた。

「……おはよ」

昨日のことも気になり珍しく自分から挨拶をすれば、孤爪の声に気が付いたなまえは彼を見るなり挨拶より先に「クリア出来たよ!」と興奮気味に一言告げた。

「……そう。良かったね」
「うん!孤爪くんのアドバイス通りに色々準備してからやったら見違えるほどスムーズに戦えたよ。ありがとう」

それからストーリーについて感想を述べるなまえの表情は誰が見ても純粋にゲームを楽しんでいるプレイヤーそのものだった。その純粋な笑みに、自分がゲームを開発したわけでもないのに孤爪自身も心が満たされた気分になる。大したアドバイスをしたつもりはないが、自分の助言でなまえがクリアしたことは素直に喜ばしい。無表情だった孤爪の口元が微かに緩む。

「――孤爪くんはどう思った?」

楽しげに話すなまえの横顔を見ていると、意見を求められる言葉とともに振り返ったなまえと視線がかち合う。急に自分に向けられたまっすぐな瞳に孤爪の心臓がどくんと跳ねた。

「えっ、その……良かった、と思う……」
「やっぱりそうだよね〜!」

いろんなことで思考を埋め尽くされている孤爪が咄嗟に口にした言葉は、当たり障りのない何とも抽象的な答えだった。いま具体的な感想を聞かれても思ったことを上手く答えられる気がしない。そんな心配をしていた孤爪だったが、運良く担任の登場によってそのやり取りは強制的に中断された。
内心安堵のため息を吐くものの、昨日と同じように忙しなく動く心臓にどこか違和感を覚える。初めて知るような、今までに感じたことのない感情。緊張とも違う、この胸の高鳴り。この正体は一体なんだ?数秒考えた末、その答えにはすぐにたどり着いた。

(人を好きになるってこんな感じなんだ……)

夏の到来はまだ先のはずなのに頬が熱い。頭では冷静に考えているが身体は熱い。部活で身体を動かした時とは別の、奥底からじわじわと柔らかな熱に侵されていく感覚。
なまえを見ているだけで体温が一向に下がりそうもないのはきっとそれが理由だ。そうに違いない。あっさり認めて自己完結すればますますなまえの顔が見られなかった。
彼女に視線を向けることすらも出来なくなった孤爪は逸らすように窓側の景色に目をやる。教室を照らす日差しはここ数日で緩やかに上昇していて鮮やかな光に孤爪は顔を顰めた。
梅雨を越えればすぐに夏がやってくる。夏は暑いから苦手だ。考えただけで憂鬱な気分になる。思わず深いため息が漏れたが、胸の奥に生まれたこの熱だけは微塵も不快だとは思わなかった。


2024/04/12
title:鈴音

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