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食べられたがりベイビー

「創立記念パーティーのメインってこの豪華な食事以外ないわよね〜」
「この為だけに参加してると言っても過言じゃない」
「あ、そういえばメンズ雑誌の編集部にイケメンが入ってきたって小耳に挟んだんだけどさー」
「えっ、何それどんな人!?」

出版社に入社して初めての創立記念パーティー。普段よりも気合いの入ったワンピースに身を包み、会場の後方でスピーチをBGMに同僚たちと立食を楽しんでいた。
パーティーなどとは言うが、その実社長や役職者を初めとしたスピーチとスポンサーの祝辞がほとんどであり、下っ端社員である私にとっては正直退屈な場でしかなかった。
唯一モチベーションとなっていたのは、およそ日常生活では滅多に食べられないような美味なる食事と酒が提供されることだった。給料が上がることが現実的な願いではあるが、タダで有名店のシェフが提供する食事にありつけるという点ではスピーチを含めても参加するメリットは少なからずあった。


「いい食べっぷりと飲みっぷりだったね」

お手洗いを済ませ会場の廊下を歩いていると誰かに声を掛けられた。声のするほうへと振り返れば私と同様、ドレスコードでスーツに身を包んだ赤葦さんがゆっくりとこちらに歩みを進めてくる。
赤葦さんの見慣れない格好を目の当たりにした瞬間、わかりやすいほどに胸が大きく高鳴った。やはり高身長の男性がフォーマルな衣装を着ている姿は目を見張るものがあるし、それだけで様になる。赤葦さんならば尚更であった。

「赤葦さん……まさか見られてたなんて」

周りを気にせずひたすら食事に集中していた自分の行動を顧みて羞恥で顔を覆いたくなった。まさかよりによって赤葦さんに見られていたとは。
会場にいるあいだ赤葦さんの姿を捜したが見当たらなかった。仕事が忙しくて来てないのかと思っていたが、どうやら気付かぬところでバッチリとその姿を見られていたらしい。完全に油断していた。普段とは違う赤葦さんの格好も相まって余計に頬が熱くなる。

赤葦さんとは社内で時々顔を合わせては互いの仕事について会話をする、部署は違えど同僚のような関係に近い間柄だった。
彼を意識し始めたのは初めて出会った日――いわゆる一目惚れだ。私が昔からのヴァーイ読者であることがきっかけで会話が弾み、親しくなるのにもそう時間は掛からなかった。
週刊少年誌はむさ苦しく無精ひげを生やした中年男性の集まりなどという偏見極まりないイメージを持っていたせいか、同年代で爽やかな容姿に高身長、真面目な性格の彼が所属していたと知り一気に惹かれていった。話している限り気が合うと自負していたし、何より赤葦さんといると心地が良い。どんなに多忙な日々を過ごしていても、社内で彼に会えるだけで心は踊り、疲れなんてあっという間に吹っ飛んでしまうほどに私にとって赤葦さんの存在は大きかった。

「正直、スピーチばっかじゃ退屈だよね」
「本当にその通りで……食事がなかったら苦痛だったかも」
「ふふ、それはそうかも。俺も久しぶりに酒飲んだな。たまには息抜きも大事だと思ったよ」

緩く口角を上げる赤葦さんの頬は心なしかほんのりと赤い。言葉通り久しぶりだったこととどうやら仕事が一区切りついたこともあり、それなりにこのパーティーを楽しんでいたようだった。

「……そういえば赤葦さんのスーツ姿、初めて見たかも。その……すごく素敵」
「ありがとう。みょうじさんもよく似合ってるよ。やっぱりファッション誌担当の人はいつもおしゃれで華があっていい。なおかつ自分の見せ方もよくわかってる着こなしだ」

赤葦さんの言葉通り、露出は極力抑えながらもスタイルが良く見えるワンピースを選んだ。
ファッション誌担当たるもの、モデルの魅力を引き出しより良く見せる心構えは常に持ち合わせているが、同時に自分自身への関心も怠らない。社内とはいえ気の抜いた私服では説得力に欠ける。いつ赤葦さんに会えるかもわからないし。だからセンスの良さを褒められるのは素直に嬉しかった。何より赤葦さんがそれに気付いてくれたことが更に私の心を舞い上がらせる。リップサービスだとしても構わないと思いつつも不思議とそうでないと自惚れてしまうのは、彼の真っ直ぐな視線と微笑みにそれが紛れもない本心だということが伝わるからだ。

「ありがとう……嬉しい」

一向に冷めることのない頬の熱を感じながら照れ隠しに俯くと、ふと会場内に響き渡る大きな拍手の音が扉の外から漏れ聞こえてくる。

「もうお開きみたいだね。……みょうじさんこの後空いてる?」
「特に予定はない、けど、」
「じゃあ二人でどう?」

合コンでよく使われる常套句が赤葦さんの口から出て思わず目を見開いた。赤葦さんってそういうこと言うタイプだったんだ。紳士的に見えて意外と肉食系だったりするのだろうか。
それこそ合コンでよく知りもしない男に同じようなことを言われたところでまったくもって靡かないが、見知った相手でなおかつ意中の男性となれば話は別だ。嬉しくないわけがない。むしろそう問われて断る女がいるものなのか。それこそ女が廃るというものではないのか。いや、私があまりにも都合の良い解釈をしすぎているだけで、実際ただ飲み直すだけで本当に何もないかもしれないけれど。

「さすがにプライベートで二人きりになったら何もしないとは言い切れないけど」

しかしそれは一瞬にして覆される。
思考を巡らせていると、意味深に小声で耳打ちされて肩が大げさに跳ねた。
赤葦さんは冗談でこんなことは言わない。事実、多少なりとも酒に浮かされ赤くなった頬の赤葦さんには似つかわしくない、至って真剣な表情が射抜くように私を見つめていた。
ここで肯定の返事をするということは、つまり、何が起きても受け入れる覚悟がある――そういうことだ。その意味がわからないほどお互い子供ではない。
明らかにアルコールが原因ではない身体の熱さに目眩がする。興奮と期待と乙女心と劣情と。あらゆる感情が全身を刺激していく。
答えは言うまでもない。私は迷いなく二つ返事で頷いた。


2024/03/10
title:金星

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