カイピロスカの春
※赤葦視点
昼食を終えトイレを済ませた道すがら、ふと校舎の外に視線を向けると、新学期に満開だった桜はこの数日であっという間に散ってしまっていた。しかし花びらが地面を埋める光景も満開の時とはまた別の風情があっていい。
しばらく風に乗った花びらを眺めながら目で追っていると、見知った姿に視線が止まる。
休憩しているのか、はたまた誰かを待っているのか。中庭のベンチで柔らかな日差しを浴びながらスマホをいじっているみょうじさんがいた。
彼女とは木兎さんを通じて時々話す程度の仲だ。女子バレー部のキャプテンをしていることもあり、彼女との会話は部活のことか木兎さんのことがほとんどだった。
だから普段昼休みに誰とどこで過ごしているかなど、学年も校舎も違う俺が知れたことではない。だが部活の仲間やクラスメイトと過ごしているであろう彼女が一人でいるというのは何となく珍しい気がしたし、同時にチャンスかもしれないなんて思った。
ここで彼女を眺めているというのも悪くはないが、二人きりで話す機会があまり多くないことを考えたら自然と足は外へと向かっていた。
「一人で休憩ですか?」
「おー、赤葦じゃん」
「どうも」
声を掛けると、画面に向けられていた視線がかち合う。声の主が俺だとわかるとみょうじさんは少し驚いたように声を上げ、スマホをブレザーのポケットにしまった。
「一人でいるなんて珍しいなと思って声掛けたんですけど……誰か待ってますか?」
「あー木兎に部活のことで話があるって言われたんだけど、アイツ自分から呼んでおいて呼び出し食らったみたいで遅れるって連絡あってさ。今待ってるとこ」
「まだ来そうにないから話し相手になってよ」と隣に座るように促される。どうやら先程の画面越しの相手は木兎さんだったらしい。相手が女子ではなく男子――しかも木兎さんであることに自分でも形容しがたい感情に胸が疼く。
彼女と木兎さんは一年の時から同じクラスだったようで今年も同じクラスだったと、先日始まった部活で木兎さんが嬉しそうに話していた。木兎さんのことだから、本当に気心知れた仲の一人として純粋に嬉しいと思った本心を口にしただけなのだろう。
そこに他意も異性としての好意は微塵もないと、今もあくまで部活のことで二人は待ち合わせているのだと頭では十分に理解している。しかしどう足掻いても埋められない距離は存在する。それにもどかしさを感じるようになったのは一体いつからだろうか。
社会に出れば歳の一つや二つなんてきっと大したことではないのに、学生の一年差はなぜこんなにも大きいのか。歳が一つ違うだけで俺は木兎さんのように彼女と同じ教室で授業を受けることは出来ないし、軽々しく名前を呼ぶことだって出来ない。
その感情が嫉妬ではないことは自分でもよくわかっている。ただ純粋に羨ましいだけだ。
「……俺で良ければ」
「――赤葦、副キャプテンになったんだって?」
複雑な感情が入り交じった声に彼女が気付くことはない。俺の返事を皮切りに一拍置いてみょうじさんが話し始めた。
「はい」
「大変じゃない?だって木兎がキャプテンでしょ?アイツものすごい気分に波があるじゃん」
「確かに扱いは簡単ではないですけど、実力は確かですし尊敬しているので光栄だと思ってます」
「赤葦って真面目なのにまあまあ変わってるよねぇ」
暖かな風とともに心地の良い笑い声が耳に抜けていく。
「そうですか?」
「うん。だいぶ。まあ木兎は適当に乗せときゃ何とかなるから」
「ですね。俺もこの一年で何となくわかってきました」
「さすが赤葦」
そこで会話が途切れるが、決して気まずい雰囲気などではない。
無言の合間に木の葉の揺れる音が通り過ぎていく。ただ穏やかな時間だけがゆっくりと流れている。昼食後というのもあり、春の陽気に一層眠気を誘われた。
何も特別なことはなくたっていい。ただ隣にいて同じ時間を過ごせるなら。木兎さんには申し訳ないが、もう少しだけ長引いててくれと瞼を閉じて密かに願う。
「ねー赤葦」
「はい」
「……ちょっとだけさ、肩貸してくれない?木兎が来るまででいいから」
届いた声に閉じていた瞼をゆっくりと上げる。ちらりと彼女を見れば同じことを思っていたのか小さく欠伸を漏らしていた。
もちろん、拒否する理由なんてない。
「構いませんよ。俺で良ければ」
そう答えると、自分から言い出しておいてみょうじさんは予想外だとでも言うように目を丸くしていた。「そんなに驚くことですか」「いや、あの、うん……」何か言いたそうに歯切れの悪い返事をする。誰にでも言ってるような奴とでも思われただろうか。こんなこと、相手がみょうじさんでなければ言ったりはしない。
しばし逡巡した後「じゃあ……」と遠慮がちに緩く重みがかかる。こんな風に近づいて触れ合うことなど今まで一度もなかったせいか俺はいま初めて、いつだったか木葉さんが「女子はいい匂いがするんだよ」と女子についてあれこれ熱弁していたそれを身を持って感じていた。
「赤葦の隣って落ち着くね。耳触りのいい声が余計眠気を誘う」
「いつも木兎さんがいますもんね」
「そうなんだよ。まず声がデカい。そしてうるさい。恐ろしく添い寝向いてないタイプだよアレ」
「添い寝……」
ああ、これはさすがに寝られたものではないな――体温と匂いを感じながら抱いていたそんな嬉しい悩みは杞憂に終わる。
みょうじさんの言葉を反芻するようにぽつりとこぼせば、今になってその言葉に恥ずかしくなったのか肩にかかっていた重みが温もりとともにすぐに離れていった。多分触れていた時間は一分やそこらだっただろう。それでも残り香の如く確かにそこにいたのだと思わせた。
「……寝ないんですか?」
「っ、寝心地悪いからやっぱいいや」
顔を覗き込もうとするもあからさまに身体ごと逸らされる。しかし結ばれた髪によって顕になっていた耳はまるで桜のようにほんのりとピンク色に染まっていた。
冗談のつもりだったのか単にからかわれていただけなのか、はたまたみょうじさんの本心なのか。真実を求めたところでそれを知るのは彼女だけだが、少なくとも今日だけは存分に自惚れてもバチは当たらないだろうと思った。
「わ、私もう行くね。付き合ってくれてありがと」
「木兎さん待ってなくていいんですか」
「待ちくたびれたから教室戻ってるって言っといて!」
俯きながら早口でそう言って足早に走り去って行ってしまった。背中を見送れば動きに合わせてスカートが靡く。みょうじさんの隠しきれない心情を表しているように見えて、それが何だか微笑ましく思えて思わず口許が緩んだ。
部活に打ち込む真剣な表情や木兎さんの愚痴を漏らす呆れた表情ばかり見てきたが、いかにも女の子らしいあんな表情は初めて見た。素直に可愛い、とそう思った。
今この瞬間に確実に芽生えたこの想い、春の訪れと共にしっかりと育てていけたなら――それほど嬉しいことはない。
2024/03/03
title:金星
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