mellow manner
*ポッキーの日
珍しく誰もいない三係のオフィスでひとりコーヒーを啜って束の間の休息を過ごしていた時だった。
「みょうじだけか?」
静穏な空間に飛び込んできた声のほうへと視線をやれば、左手にレイドジャケット、右手にコーヒーを携えた狡噛さんがフロアへと戻ってきた。
ふぅ、と小さく息を吐く狡噛さんを見るに、どうやら先の事件の後処理に結構時間がかかっていたらしい。
「お疲れさまです。ナオと征陸さんは多分食堂じゃないですか?戻り遅くなって腹減ったーって言ってましたし。陽名と翼は……狡噛さんに用があるって言ってましたけど」
背後を通り過ぎる狡噛さんに視線を合わせるように椅子を回転させれば、狡噛さんは自身のデスクにコーヒーとレイドジャケットを置きながら「ああ」と思い出したようにレイドジャケットで隠れていたもうひとつの品を私に見せた。
「お菓子?狡噛さんが食べるなんて珍しいですね」
「さっき天利と花表にもらったんだ。食うか?」
なぜあの二人が狡噛さんにお菓子を?と多少の疑問はあったものの、いま空腹に勝るものはない。というか二人でお茶するなら私も誘ってくれても良くない?ええ、拗ねてますよ。あとで文句言ってやろう。
「いいんですか?ちょうど小腹が空いてたんですよ〜」
立ち上がり狡噛さんのデスクまで行けば、ご丁寧にパッケージから取り出して差し出してくれた。狡噛さん、ナチュラルにかつ当たり前のようにこういうことするからこっちが一瞬色々と考えてしまう。
少しのあいだ気恥ずかしさに気を取られていたせいで、私が受け取ろうとするより先にずいと口の前まで持ってこられた。
「やるから口を開けろ」
「え、あの、自分で食べますから大丈夫――んむ、」
言い終わる前に半ば強引に口元に寄せられてしまったせいで、反射的に目の前のそれを咥えてしまった。そして噛むより先に狡噛さんが至近距離まて近づいてきて、あろうことかその細い棒の反対側を咥え始めた。
「!?」
突然の行動に驚いた上に口が塞がっているせいで声も上げられない。びっくりして肩を押し返そうとするも、動かないようにと固定するように二の腕に掴まれて身動きひとつ出来やしない。
え、ていうかなんで狡噛さんが反対側咥えてるの?なにこれなんて羞恥プレイ?そんなことより顔が近い。近すぎる。無理無理恥ずかしい!
あまりの混乱状態に脳内は今起きている状況が理解出来ずしっちゃかめっちゃかになっているというのに体は直立不動を貫いている。
その間にも眼前に映る狡噛さんは伏し目がちにポリ、ポリ、と軽快な音を立てて食べ進めていく。間近で見る狡噛さんはこの上なく整った顔立ちをしていて息を飲むほど格好いい。なんて言ってる場合じゃない。待って待ってこのまま食べ進められたらキ、キスしちゃうじゃん!?
「〜〜っ!」
「ん……折れちまったな」
「っは、」
残り数センチというところでどうにか砕いて慌てて距離を取れば、狡噛さんは何食わぬ顔で口に含んだそれを咀嚼した。
自身の残った部分をごくりと流し込む音が直に耳に響く。
「な、何ですか急に!?」
荒立った呼吸と心臓をどうにか必死で抑えようとするもそんなすぐに落ち着くはずもなく。全身にただただ羞恥という名の熱が駆け巡っていく。
「いきなり悪かった」
謝罪するくらいならなんでこんなこと――と思ったところでふとあることが頭をよぎる。もしかして陽名と翼が狡噛さんにお菓子渡した時、何か余計なことを吹き込んだんだな!?そうだ。絶対そう。そうじゃなきゃ狡噛さんが自分の意思でこんなことするわけがない。
「あの二人の差し金でしょ!?」
「そうなのか?確かに菓子をもらった時、妙に笑顔だったが……あれは一体何だったんだ?」
絶対それだー!ていうか疑問に思ったにも関わらず訝しがることなく素直に受け取るってどんだけピュアなの。そしてそれをバカ正直に実行するなんて純粋にも程がある。そんなだからナオにぴよ噛なんて言われるんだよ!……まあそういうところが好きなんだけど。とはいえさすがに鈍感すぎない?
「ちなみになんて言われたんです?」
「これを俺が食べさせた後に反対側を咥えて食べ進めろと言われた」
「やっぱり!」
そう言ったところで廊下に人影を感じてチラリと見やれば、扉の陰から事の発端となった二人が力強く親指を立てている姿が目に入った。
(ふざけんなよおまえらマジグッジョブありがとう)
狡噛さんに見えないように二人に向かって小さく親指を立てる。この仕事ぶりに免じて覗きをしている件については不問にしてやろうではないか。
「確かにみょうじの心底驚いた表情と照れた表情はなかなか新鮮だった」
フッと微笑みながら、狡噛さんは何事もなかったかのようにデスクに腰を下ろしてPCを立ち上げた。
それからまだ中身の残ったそれを袋ごと私に差し出す。
「遠慮せずに食うといい。安心しろ、もうあんなことはしない」
「……ありがとう、ございます」
両手で受け取り、そのままデスクへ戻る。横からカタカタとキーボードを打鍵する音をBGMに、ポリポリと食べながら狡噛さんを盗み見た。
(私が同じことしたら狡噛さんどうするんだろ……)
やった人間も同じことをしなければならない、なんてデタラメを吹き込んだところで狡噛さんなら信じかねないのが恐ろしいところだ。……言うだけ言ってみる?私だけドキドキさせられているせめてもの仕返しに。やっても狡噛さん、顔色ひとつ変えなさそうだけど。
「ねぇ、狡噛さん知ってます?実はこのイベントって、やった人間も同じように受けなければいけないらしいですよ」
「そうなのか?」
ほらね。イベントには疎い狡噛さんはこんな冗談だって真に受けてしまうんだから。
再び立ち上がって座っている狡噛さんに近づく。一本差し出せば彼は「そういうことなら従うしかないな」なんて至極真面目な顔で言う。従うなんて……これじゃまるで立場が逆転している。監視官は執行官を従わせる立場なのに。
大人しく先を咥えた狡噛さんに私は躊躇うことなく彼がした時のようにする。不思議なもので、あれだけ羞恥にまみれて心を乱されても、いざ自分がやる側になると思惑が勝り緊張とは無縁になる。元からひと口食べてやめるつもりだし。
未だに陰から様子を伺っているであろう二人から、わざと見えない角度でそれをひと口食べたところで折ってすぐに離した。
しかしそれが仇となり、食堂から戻ってきたナオと征陸さん、さらには和久さん――結果的に三係全員に見られた挙句、誰もいない職場でキスを交わしていたと盛大な誤解をされることになるのはそれからすぐのことである。
2023/11/10
title:まばたき
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