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あなたさえいれば世界は終わらない

「――今のうちに各自しっかり休んでおきなさい」

ミーティングの締めくくりに放った花城の一言に行動課の面々に喜びの色が浮かぶ。
狡噛は同僚たちから少し離れたデスクで、座って煙草をふかしていた。
休んでおけと言われたところでやることは読書かトレーニング――自由の身となっても何ら変わりはない。
そんな狡噛をよそに、背後のデスクに座っていたなまえは閃いたように椅子を回転させて狡噛に声を掛けた。

「狡噛さん、時間あったらちょっと付き合ってくれませんか?」



あれからなまえの誘いに特に断る理由もなかったため狡噛は言われるがままについて来た。車を走らせている間にどこへ行くのかと聞けば「廃棄区画です」とだけ知らされる。

「廃棄区画……?付き合うのは構わないがそんな所に一体なんの用があるんだ?」
「んー強いて言うなら用心棒?ほら、美人がそんな場所を一人で歩いてたら危険だから」
「それはそうだが」

手動運転で視線を正面へと向けたままなまえが答える。しかしそんななまえなりの冗談も狡噛相手だと何も通じない。彼が口にすればそれはからかいなど一切ない、純粋なる言葉でしかないのだ。

「いや、ここツッコむところなんですけど」
「?危険なのは事実だろ」
「もういいです……」

本気で受け取っている狡噛になまえは早々に諦めた。むしろ狡噛相手に冗談を言ったのが間違いだった。それとも美人を否定しないのは彼にとってそれもまた事実だからなのか。
結局詳細を知らされることなく車を走らせること数十分。着いた先は外務省のビルから少し離れた場所だった。

「目的地はこの先のすぐ近くなんですけど、ここからは徒歩で行きましょう」

シートベルトを外し、車を降りたなまえの後ろを狡噛はただ黙ってついていく。
なまえの反応からして良からぬことに首を突っ込んでいるわけではなさそうだが、なにゆえなまえのような人間がわざわざ治安の悪い街に足を踏み入れるのか。その答えはなまえの言葉通り、すぐにわかることになる。

「狡噛さんは駄菓子屋って知ってます?」

足を止めると目の前にはレトロな看板に埃を被らせている小さな店が建っていた。
営業しているのかわからないくらいに店内は暗く、活気がない。人っ子一人いない光景はどこか異世界にでも迷い込んだかのような、異質でおどろおどろしい雰囲気すら感じる。でも不思議と恐怖は感じなかった。

「ああ。菓子や玩具が売ってる子供のたまり場……だったか?」
「さすが、博識ですねえ」

感嘆の声を上げてなまえは笑みを浮かべる。
狡噛をここに連れてきた明確な理由は特にない。ただ何となく気分転換に、たまにはこういう所で古き良き文化に触れるのも悪くないと思ったから。アナクロな狡噛なら少しは興味を持ってくれるだろうと。
早速足を踏み入れると、店内の空気とは裏腹に色鮮やかなパッケージの菓子たちが箱に詰まって隙間なく並べられていた。値段を見ると、あまりの安さに果たして儲けはあるのだろうかとどうでもいいことを考えてしまう。

「玩具も色々あるな」

ロボットやフィギュアを眺める狡噛の横顔が懐古するように――どこか寂しそうに見えて、なまえは思わずしばらくの間黙りこくってしまう。

「……子供の頃、好きだったんですか?」
「いや……昔同僚だった奴がこういうのが好きでな。ちょっと懐かしくなっただけだ」

狡噛の脳内に縢の姿が目に浮かぶ。もう随分と昔のことだ。
彼の経歴や昔あったことなどは花城から聞いた程度で、なまえは詳細はよく知らない。しかし哀愁の漂うその表情に、きっと悲しくも楽しかった頃の思い出が蘇ってきたのだろうとなまえは思っていた。

「そうなんだ。……あ、何か食べたいものとか気になるものあります?私出しますから遠慮なく言ってください」

少しばかり沈んだ空気を入れ替えるようになまえが別の話題を持ち出す。深追いする気は端からなかった。

「いいよ、自分で払う」
「そう言わずに。付き合ってくれたお礼と――あと今日狡噛さん誕生日だから」

そう言っている間にもなまえは物珍しげに棚を眺めては興味深そうに声を漏らしている。

(誕生日、か……)

なまえに言われて今日が自分の誕生日だと気付くも狡噛の表情はどこか浮かない。
元々記念日などには執着がない上に、槙島との決着を着けてからは一層無縁になりつつあった。
祝福を受けるべき人間じゃない――今まで享受していたそうしたものは、すべて犯した罪の数々に塗りつぶされていった。海外を放浪し人助けなどで感謝される度に、受け入れてくれる人と接する度に、狡噛自身がこれは決して贖罪ではないのだと実感する。
しかし外務省に入ってからの付き合いのなまえに自分の過去の事情など関係ない。これがなまえなりの厚意なのだと理解した狡噛は大人しく受け入れることにした。

「じゃあ店の入口にあったアイスいいか?暑くて敵わん」
「いいですね。私も買おー!」

店内から入口のアイスコーナーを覗くとバニラ味とソーダ味の棒アイス、ソフトクリーム、フルーツの形をした容器に入ったシャーベット――種類こそ少ないが、昔懐かしいパッケージが並んでいるさまは見ているだけで心踊る気分だった。

「どれにします?」
「ここはやっぱり定番のソーダだろう」

二人並んでショーケースを眺めながら狡噛がそれを手にする。

「そうなの?バニラじゃないんだ」

なまえにとってはバニラが定番だと思っていたから狡噛の言葉には少しだけ面食らっていた。「男は皆そういうものだ」なんてなぜか得意げに話す狡噛に、なまえはそういうものかと素直に納得するしかなかった。

「で、あんたはどれにする?」
「ん〜、私はバニラ派なんですけど今日は狡噛さんと同じやつにします」

なまえも狡噛と同じものを手に取って笑みを見せる。「お金払ってきますね」と狡噛の手からアイスを抜いて店の奥のレジへと戻っていく。
手持ち無沙汰になった狡噛は店の横に設置されている錆れたベンチに腰を下ろした。
太陽が直に狡噛を照りつける。涼し気な顔をしているように見えるが額はじんわりと汗ばんで、肌には熱気のこもった風がまとわりつく。夏真っ只中で冷たいものが食べたくなるのは必至であった。

「はい、どうぞ」
「ありがたく頂くとするよ」

なまえも狡噛の隣に腰を下ろし早速アイスを頬張ると、さっぱりとした爽やかな味が口の中に広がる。ひんやりとした冷たさが喉を通って全身へと染み渡っていく。暑さを和らげるには些か心許ないが、それでも食しているこの時だけはまるで天国にいるかのような気分だった。

「美味いな」
「たまにはこういうのもいいですよね」

空を見上げ、その眩しさに目を細めながらなまえは口元を緩める。
太陽に照らされたその横顔が狡噛にはやけに眩しく見えて、しかしその眩しさから目が離せなかった。
じりじりと肌を焼かれる感覚がする。流れる汗とともに、冷気を帯びていたアイスは既に滴へと変化してアスファルトに小さな模様を作っていた。
視線に気付いたなまえが「どうかしました?」と訊ねるも狡噛は「……いや、」と歯切れの悪い返事をして、溶けかけているアイスを頬張った。

「狡噛さんがそういうはっきりしない返事すると余計気になるじゃないですか」

目を細めてじぃと見るなまえを横目に、完食したアイスの棒に視線をやる。昔、征陸が言っていた。駄菓子やアイスには一定の確率で当たりが入っていることがある、と。

「わ、当たり棒じゃないですか!いいなぁ。私も早く食べなきゃ」

なまえが羨ましげに狡噛を見る。それから自身の棒を確認すべく、シャリシャリと音を立てて急いで食べ進めていった。

「……俺にとってあんたは太陽みたいな存在なのかもしれない」
「ん、急にどうしたんです?」

口をモゴモゴさせながらなまえが目を丸くする。
今でこそ植物もほとんどがホロであるが、元来夏の風物詩の向日葵は太陽に向かって咲く花だ。
行くあてのない旅を続けた先にこうして日本へと戻り、なまえと出会った。
それからというもの、狡噛の視線の先にはいつもなまえがいた。彼女が特別何かをしたわけじゃない。けれどいつしか狡噛にとって、なまえの存在は太陽のような光となっていた。

「あんたといると、傲慢にも人として赦されていると錯覚しそうになる」

なまえに許しを乞うことは無意味でしかない。一生消えることのない罪を背負ってこの先も生きていくと決めた。相応の裁きは受けなければならない。
それでも彼女を前にすると人並みの幸福というものを願いそうになる。たとえば今日のような、ありふれた日常の一部が壊れることのないように――。

「……いつまで自分自身を縛り付けるんですか。マゾなんですか」

狡噛の心情を何となく察したなまえは冗談めかして言った。
すべてを投げ捨てここまでやってきたはずなのに、人や想い、時間、感情――新たに出会い、生まれたそれら。
狡噛にとって、いつの間にか捨てられないものたちが増えてしまった。

「確かに犯した罪は消えないですけど。大事なのはどう向き合うか、だと私は思います。……目を背けて生きてきたわけじゃないんでしょう?ならもう充分なんじゃないですか?」

柔らかな声色が狡噛の胸に広がっていく。真夏の太陽のような強さはない。けれど芯のある声だった。

「……充分、か」
「それにどんな人間にだって祝福を受けることに罪はないですから。初めから生まれてくるべきじゃない人間なんてこの世にいないですよ。仮にあったとしたら、それは結果論でしかない」

先程までの面影はなく、真面目に語るなまえに狡噛は静かに聞き入れるだけだった。
なまえだって狡噛のそういう面だけを見ているわけじゃない。本当は誰よりも優しい人間であることを知っている。

「だから今日は祝福の言葉も素直に受け取ってください」

アイスを食べ終えたなまえが「あっ」と軽快な声を上げた後、目尻を下げて狡噛に棒を差し出した。
――なまえの言葉が救いとなるならば、きっとこの先の人生にも意味はある。そう信じて。

「誕生日、おめでとうございます」


2023/08/11
title:金星

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