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シェイクスピアの運命論

槙島との出会いによってもたらされた結末や、それによって彼と道を違えたことが変えようのない運命なのだとしたら、私が彼と再会するのもまた運命というのだろうか。


「シーアン以来か?見ない間にまた随分とタフになったな」
「……まさかこんな形で再会するとは思いませんでしたよ」

公安局刑事課一係のフロアに足を踏み入れれば、懐かしい人物が目に飛び込んできて思わず足を止めた。
彼は私を視認した後、懐かしさを含んだ言葉を並べて胸ポケットから取り出した煙草に火をつけた。狡噛さんの言葉に対して素っ気ない返事しか返せないのは、その原因の一端が多少なりとも彼にあるからだ。
また会えて嬉しい、なんて純粋な気持ちは正直あまりなかった。それ以上に私たちの元を離れたことが未だに許せないでいるから。裏切っただけならまだしも、立場が変わっても私を気にかけるその振る舞いが変わらないのがまた腹立たしくて、突き放せないそんな自分が嫌になる。
槙島を追う狡噛さんを止められなかったことに後悔はないと言ったら嘘になる。しかし彼が選んだ道を私が否定する権利もなかった。
人として、刑事として、法を犯すことは許されることではない。それはいつの時代だって変わらない。けれどそれだけでは収まりきらないモノが彼の中にはあった。前だけを見つめているのに見ている景色が違ってしまえば、そこに残るのは喪失感と虚無感だけだ。

「外務省に権限があるとはいえ、一度はこの国を捨てた身なんですからあまり調子に乗らないで下さいね」
「わかってる」

私の隣で宜野座さんが同じように狡噛さんに冷ややかな視線を送っている。狡噛さんに対して長年の付き合いや信頼があったからこそ、相反する複雑な気持ちが拭えないでいるのはきっと私だけでなく宜野座さんも同じだ。



「ッ……」
「おい、大丈夫か!」
「私のことは、気にしないで……!」

銃弾と薬きょうの落ちる音が響く中で精一杯に声を張る。荒い呼吸をくり返しながらひたすら痛みに耐える私の前線を、彼は的確に敵を撃ち抜いてかけ進んでいく。
狡噛さんが執行官だった頃、なぜ必要以上にトレーニングをするのかと聞いたことがあった。その時狡噛さんはドミネーターだけでは対処しきれない時もある、そういう時に信じられるのはこの体だと言っていた。当時は軽く聞き流していたけれど、狡噛さんがいなくなってから身を持って知ることが増え、それから私も鍛えるようになった。
そのおかげで少しは危機的状況の中でも動けるようになったが、ここまでの銃撃戦はさすがに経験したことがなく案の定敵の一発を腿に食らってしまった。混線した状況だというのに狡噛さんは銃を手にしつつ私に視線を寄越す。意識が混濁した中で執行官だった頃の狡噛さんが重なって思わず自嘲してしまう。約束を破るような酷い男だったとしても、彼の根底にある優しさを知ってしまえば人間性まで全否定することなんて到底出来っこない。ずっと前から気づいているからこそ、いつまで経っても彼に対するさまざまな思いは消えない。

あれからなんとか銃撃戦をくぐり抜け物陰に背を預けてひと息ついていると、狡噛さんが足早に寄ってきて慣れた手つきで止血をしてくれた。あまりに素早い対応に当たり前のように腿を触られた羞恥に悲鳴を上げる暇もなかった。こんな状況でいちいち恥ずかしがっている場合ではないことは充分理解はしているけれど。それとこれとは話が別だ。

「随分と手馴れてるじゃないですか。異国の地で培われたスキルも伊達じゃないみたいですね」
「皮肉はよせ。お前に言われると耳が痛い」
「誰のせい……って――っ!?」

手当てが済んだかと思えばそのまま体が宙に浮き、至近距離で狡噛さんと目が合って息を呑む。脳が理解するのに時間がかかったが、いわゆる横抱きをされている状態だ。背中と腿裏から彼の温もりが直に伝わってくる。
昔からこうして他意はなく無意識に触れてくることはあった。その度に私はなんとも言えない気持ちになっていたのをよく覚えている。さっきだって爆発から咄嗟に朱ちゃんを庇っていたし、そういう打算のない振る舞いを見る度にどうしたって嫌いになんかなれないのだと思い知る。
放浪の旅をしている時もそうして人との縁を生んできたのだろうかなんて想像しては、速まる鼓動とは裏腹に一抹の寂しさを感じてしまった。

「合流は後でも問題ないだろう。ひとまず俺の部屋に行くぞ。一通りのキットは揃ってる」
「止血してもらったし大丈夫です。歩けるので降ろして下さい!――ッ、」

ぐいと狡噛さんの胸板を強く押し返したところでズキリと痛みが走って思わず顔を歪める。そんな私に狡噛さんは言わんこっちゃないとでも言うように呆れたように短く息を吐いた。私が顔に出すぎというのを抜きにしても狡噛さんにはそれ以前から見抜かれているようで、理解されているようで、それが嬉しくもあり悔しい。

「大人しくしてろ」
「……はい」



「大事には至らないと思うが無理はするなよ。戻ったら唐之杜に診てもらえ」
「その言葉、そのまま返します。怪我ばっかしてるのはどっちですか」

キットを片付けて狡噛さんは煙草に火をつけ、ゆっくりと紫煙を吐く。彼の言葉にお礼より先にムッとしてそんなことを言えば、狡噛さんは「俺はいいんだよ。こんなものすぐに治るし大した傷じゃない」と血や切り傷で汚れた腕を一瞥して再び紫煙を燻らせる。
自分より他人を優先するところは昔から変わらない。裏切った罪悪感から来る贖罪なんてものは微塵もない。成すべきことだと思ったからしている、本当にその思いだけだ。自分のことなんか心配する奴はいないとでも思っているのだろうけどそれは本人がそう望んでいるだけであって、私だって立場が変わろうとも心配くらいはする。

「少しは自分のことも大事にしてください。……ほら」

ソファーの隣を叩いて座るように促せば、早々に折れた狡噛さんはテーブルの灰皿に煙草を押し付けて素直に腰を下ろした。
端に置いたキットに今度は私が手を伸ばして消毒液とガーゼを取り出す。

「まさかお前からそんなことを言われるなんてな」
「意外でしたか?」
「まぁな」
「どうせいつ死んでもいいとか思ってたんでしょ」
「死ぬことを恐れていないのは事実だ。だが最近は居場所があるうちは、誰かに必要とされるうちは、自分のやるべきことをやろうと思うようになった」

腕の消毒をして傷パッドを貼り付けながら狡噛さんの言葉に耳を傾ける。
己の信念に従い、法の外に出て海外を放浪しそこで得たものは何だったのか。しきりに「後悔はしていない」という彼の言葉を聞く度に、これは変えようのない運命だったのだと痛感する。
居場所だってあった。皆貴方を必要としていた。それを自ら手放したのに随分と身勝手な言い分だ。
すべてを素直に受け入れられたなら、この先の私たちの未来もまた少しずつ変わっていくのだろうか。
頬の傷に触れると、グレーの瞳が私を真っ直ぐに見る。槙島と対峙する前から、シーアンで再会した時も、ずっとこの気持ちを打ち明けられずにいる。もうこの先も言わずに心に閉まっておこうと決めていたが、狡噛さんの身勝手に比べたらこのくらいは許されたっていいはずだ。
狡噛さんの唇に自身のそれを押し当てれば、懐かしいスピネルの匂いが鼻に抜ける。至近距離で目を合わせても狡噛さんは一切の動揺すら見せず、怪訝そうな表情を覗かせるだけだった。

「……いきなりなんだ」
「別に。ちょっと色々とムカついただけです」

ちぐはぐな言動に反論すらせずに沈黙するのは、少なからず私のこの言葉の意味を理解しているからか。けれど根底にある別の意図にはきっと微塵も気づいていないのだろう。聡いくせに恋愛ごとに関してはまるで鈍いのは反応を見れば一目瞭然だった。
それから何事もなく頬の手当てを済ませると、狡噛さんは一言お礼を述べて立ち上がった。

「俺は状況と今後の動きを確認してくる。あんたはもう少しここで休んでろ」
「狡噛さん、」
「どうした」
「手当て、ありがとうございました。お礼言うの遅くなってすみません」
「礼には及ばん。当然のことをしたまでだ」

ああ、もう。さらりと述べた言葉にどうしようもなく胸が締め付けられる。どうしたってやっぱり私はこの人が好きだ。

過去は変えられない。けれどその進むべき道の先に同じ方向を見つめ、背中を合わせるような時が再び訪れたら……――それは運命なのだと、受け入れられる日が来ることを私は心のどこかで信じていた。


2023/05/13
title:金星

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