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ランタナの花笑み

どちらかというと雨は好きだ。しかし気分が上がる、とかそういうのとは少し違う。
しとしと降る雨はどこか物悲しさを感じると同時に、耳ざわりの良い音は癒しを与えてくれる。ザーザーと叩きつけるような雨は浴びたことこそないが、モヤっとした気持ちや忘れてしまいたいような出来事を一緒に洗い流してくれる、そんな気がするから。

休憩室で缶コーヒーを買い、ソファーへと腰掛ける。天井のホログラムのディスプレイでは梅雨入りしたとの旨をニュースキャスターが伝えていた。この先一週間の予報は連日雨マークだが、大きく荒れるようなことはなさそうだ。雨音とともに通勤する季節に少しばかり気分が高揚したが、しかしそんな気持ちすら上回る憎き存在にため息が出る。

「そろそろ結ばないとダメかぁ」

手鏡を取り出し広がった髪を触る。せっかくこの時期の憂鬱を少しでも和らげようと、先日ネットでそこそこいい値段のするトリートメントを買ったばかりだというのに。スペシャルケアを施しても湿気に勝るものはないらしい。手強いやつめ。夏場でも快適に過ごせるほどの調節機能が備わっているこの時代に、なぜ湿気はなくならないのか。甚だ疑問である。
週末はヘアアレンジのレパートリーを増やすべく、カタログを見るのもそれはそれで悪くない。できるかどうかは別として。
とりあえず今日はポニーテールでいいや。こうなった時のために腕に付けていた味気のないヘアゴムを使うのは不本意だが仕方ない。でも不思議と髪をアップにすると気合いのようなものが入るから、これもまあ悪くはないのかもしれない。短く息を吐けば、不意に後ろから軽快な声がした。

「あれれ〜、なまえちゃん?」
「あ、灼くん。灼くんも休憩?」
「うん、そんなとこ。炯から逃げてきた、っていうのもあるけど」

悪戯っぽく笑った灼くんはホログラムの自販機にデバイスをかざし、ドリンクを手に壁に背を預ける。が、一向にドリンクを開ける気配がないものだから何かあったのかと灼くんの方を見れば、なぜか私の方をじっと見ていた。え、なに?そんなにまじまじと見つめられるとさすがにドキッとするんだけど。

「髪、結んでるんだね」
「そうなの。先日から梅雨入りしたでしょ?それで湿気がすごくて髪がまとまらなくて」

そういえば灼くんの髪ってパーマというか無造作ヘアというか、くねくねしているわりにそんなに広がってない気がする。特に手入れ的なものはしてなさそうだし、一体どうしたらこの時期に髪型を維持できるのか。まったく羨ましい限りである。

「そっかそっか。女の子に湿気は大敵だよねぇ。髪は女の命!って言うもんね」

うんうん、とひとり頷いて手元のドリンクを呷る。しばらくしてから灼くんは続ける。

「でも結んでるなまえちゃんも可愛い」
「……へ?」

あれ、気のせいかな、なんか今さらりと可愛いって言われたような。灼くんを見ても人懐っこい笑顔を浮かべているだけだ。もしかして灼くんって結構な天然タラシ?カリナさんとのやり取りを見てても何となくそんな感じがしたしなぁ。実際はどうだかわからないけれど。

「もちろんいつも下ろしてるなまえちゃんも可愛いよ。髪は綺麗だし、通りすがるとなんかいい匂いがするし」
「えっと……ありがとう……?」

やたらと褒めちぎってくる灼くんにどうしていいかわからず疑問形のお礼を述べれば、「なんで疑問形なの」とくすくすと笑った。

「男の人にそんな風にストレートに褒められたの初めてだからどう反応していいのかわからなくて」
「そこは素直に嬉しい、って言っておけばいいんだよ。俺は思ったことしか口には出さないから」

つまりそれは純粋に可愛いと思ったからそう言っただけで他意はない、と。そこに下心がなさそうなところが天然タラシの恐ろしいところだ。とはいえ、素直に褒められて嬉しくない女はいない。それは灼くんだから、というのもあるかもしれないけど。

「そっか。ありがとう。灼くんに褒めてもらえて嬉しい」
「そうそう、それでいいんだよ」

そう言ってまた笑う。それを見たら自然と私も笑みがこぼれて。
外は雲が増えてきて、今にも雨が降り出しそうな鈍色の空だ。でも今年の梅雨はもう憂鬱な気分にはならない。髪型を変えたら気づいてくれるかな、なんてもうすでに期待してしまってる。その度褒めてもらえるなら、ジメジメした空気だって不思議と悪くないと思えるのだ。


2020/06/21

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