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デザートタイムに紛れ込ませた囁きの糖度

「ハァ〜……」

 昼食を終えてからどれくらい経ったのか。窓際の席で眼下の景色をぼーっと眺め始めてから、給仕ドローンがコーヒーのおかわりを淹れに何度来たか。全くと言っていいほど覚えていない。こんな気持ちは久しぶりだった。
 正直お返しなんてものは最初から期待していなかった。しかしそれはネガティブな意味合いではなく、彼が元々そういう事柄に関して無頓着な人間だと知っていたからだ。そもそも私もバレンタイン自体特別気合いを入れていたわけでもない。ただ、昔の風習にあやかって普段なかなか口に出来ない感謝の思いやお礼をささやかながら伝えたかっただけ。
 なのにどうしてこんなにも気分が晴れないのだろう。もらえなかった事を悲しんでいる?忘れられた事に怒っている?付き合っているのに素振りすらなかった彼に呆れている?多分どれも違う。とにかく言葉では表現し難いこのモヤモヤとした感情が昨日から消えてくれなかった。

「まあでもそういうところが慎也らしいんだけど」
「俺がどうかしたか?」

 独り言のぼやきに頭上から降って来た声に視線を向ければ、悩みの種である男がしれっとした顔で向かいの席に腰を下ろした。

「別に……。昔の人はさぞ大変だったんだろうなぁって思ってただけ」
「何の話だ?」
「大した事じゃないよ」

 冷めたコーヒーを啜るのも何度目かわからない。慎也が口にするコーヒーは湯気が立っていて、それがまるで私の沈んだ気持ちを浮き彫りにしているように思えてならない。余計に気分が沈んでいくようだった。

「そういえば、みょうじに謝らなきゃいけない事があってな」
「何?またドローン壊した?」

 しけた顔を見られたくなくて、ついコーヒーの奥底に視線を注いだまま答えてしまった。彼といる時くらい素直でいたいのに。

「違う。昨日がホワイトデーだって事をすっかり忘れててな……縢に言われて気が付いた」
「ああ……。まあそんな事だろうと思ってたから別に気にしてないよ」

 そう、わかっていた。だから「気にしてない」と答えた。他人に言われなきゃ気付かないくらい恋愛事には疎い男だ。別にそれは構わない。私だって記念日を大事にするようなマメな性格でもないし。
 でもどうしてだろう。本人の口から直接言われたからなのか、急に胸にぽっかりと穴が開いた気分だった。本当は心のどこかで寂しいと思ってる自分がいた……?まさか自分がそんなに面倒くさい女だったなんて。

「おまけに何を返したらいいのかさっぱりわからない」
「慎也は女心とかわかってないもんね」
「否定は出来ないな」
「……バカ。そういうところだよ」

 本当にこの男はつくづく罪深い。しかもこれがわざとではなく本気なのだから余計にタチが悪い。天然鈍感男に振り回されるなら、女慣れしている男に手玉に取られた方がまだマシなんじゃないかと何度思った事か。けれどそれでも、慎也といる事が心地良いと感じている自分がいる。
 色相がどうとかなんて関係ない。私自身の意思で慎也といたいと思っているのだ。本当に、つくづくとんでもない男に惚れてしまったと思う。

「だからってわけじゃないが……食堂にあるケーキで良ければ奢らせてくれ。食いたい物があれば取って来る。何がいい?」
「じゃあ、ショートケーキをホールで」
「さすがに太るんじゃないか?」
「冗談に決まってるでしょ!」

 お願いだから真顔で答えないで。私がすごく痛い奴になるだけだから。本当に、この天然で一体何人の女を泣かせてきたのだろうかなんて余計な心配をせざるを得ない。いや、これは慎也相手にボケた私にも非はあるか。
 くつくつと笑みをこぼす慎也を見ていたら何だかとてつもなく恥ずかしくなってきた。頬が熱い。まったく、なんで私が照れさせられてるんだ。
 きっと慎也にからかうなどと言った自覚や思惑はこれっぽちもないんだろう。そんな事くらいわかってる。だからこそ悔しい。私ばかり振り回されてかき乱されて――

「もうっ、いいから早く取って来て!」
「すぐ戻る」
「ハァ……」

(……でも、嫌いじゃないんだよな……)

 ケーキを選んでいるその背中にそっと思いを馳せるも、すぐに踵を返しこちらに歩み出してきた。慌てて平静を装うようにして、再び窓の景色に視線を移す。

(今更感謝の言葉なんて恥ずかしくて言えたもんじゃないしね……)

「ほら」
「ん、ありがとう。……いただきます」

 何の変哲もない食堂のショートケーキ。公安局内の食べ物はどれもわりと人気らしいけど、ケーキは食べた事がなかった。
 でもまあ所詮はただのケーキだし……なんて思っていたけど。

「……どうだ?美味いか?」
「実は正直あんまり期待してなかったけど……結構美味しい」

 職場でしかも食堂で周りにちらほら人がいる中でのムードも何もないシチュエーション。二人を包む空気にホワイトデーを意識させる甘い雰囲気なんて一切ない。言ってしまえば普段となんら変わらない。でも心なしか漂う空気がどこか甘い。そして想像以上に甘いケーキ。

「そうか。……なら良かった」
「っ……」

 それから彼の優しい声、柔らかな笑み。
 ああ、もう。本当に、本当にこの男は……!そんな風に笑みを見せられたら、もうそれだけですべてがどうでも良くなるじゃないか。
 付き合う前から今の今までずっとその天然に悩まされ、鈍感さに振り回され、無頓着なところにもどかしさを感じ、無神経なところに私がどれだけ苦労したかなんて目の前の男は知りもしないだろう。本当ならそんな男とずっと一緒になんていられないと思う。今でもなぜ付き合うようになったのかわからないくらいだ。
 でも不思議と別れたいと思った事は一度もなかった。それは他でもない、相手が慎也だったから。惚れた弱みとはよく言ったものだ。結局、どんな彼でも好きなのだ。もうこうなってしまえばどうにもならない。
 こんな形で改めて好きだと実感させられるのは不本意だけど、やっぱり好きで。慎也を見ていたら今日だけは、今だけは素直になれる。そんな気がした。

「慎也」
「なんだ?」
「その……ありがとう」

 目を見て言ったけどやっぱり照れくさくてすぐにそらしてしまったけれど。彼はそんな私を何の迷いもなく受け止めてくれるんだ。

「それは俺のセリフだ。これからもよろしくな、なまえ」

 その一言だけで、その微笑みだけで、憂鬱だった気分はすっかりどこか遠くへと消え去ってしまっていた。


「慎也も食べる?」
「いや、俺はいい」
「そういうとこ!!」

2018/03/16
title:moss

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