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スターダスト・ロマンス

「こんにちは。今日もご一緒しても?」

 テラス席で紅茶を片手に読書を嗜む彼に、彼と同じ紅茶を注文したカップを手にして何度目かわからない言葉を投げかける。

 この行きつけのカフェで彼と知り合ってからもう一ヶ月は経つだろうか。お互い今の時代では珍しい紙の本を読んでいた事もあり、興味で私から声を掛けてみれば親しくなるのは意外と早かった。

「……このやり取りをする度に、いっそのこと待ち合わせをして会うべきなんじゃないかと最近特に思うようになってきたよ」
「でもそれは何か違う気がするんですよね。そもそも槙島さん、そんな事思ってないでしょう?」

 「否定はしないな」と小さく笑う彼に同じように笑みを返して、斜め隣の席に腰掛ける。
 最初こそ偶然だったけれど、しかしここ最近は意図的に彼が来そうな時間を狙ってあたかも偶然を装っている事に、果たして槙島さんは気付いているだろうか。勘の鋭い彼ならきっと気付いていそうだけど……。気付いた上で、こうして一緒にいる事を許可してくれてるのならそれはそれで少し自惚れてしまう。

「槙島さんって本当に紅茶がお好きなんですね」
「そういう君はコーヒー好きだと思っていたが……」
「今日は紅茶にしました」

 彼と同じ物にしたのは言うまでもなく同じものを共有したいという恋慕からだ。同じ本を読んで、同じ飲み物を飲んで、同じ時を過ごす――それだけで胸が温かくなる。何より、読書をしている時の槙島さんの横顔がとても好きだ。それはもう、同じ空間で読書をしていてもまるで内容が入って来ないくらいに。

「紅茶と言えば、プルーストの作品に紅茶にマドレーヌを浸して食べる描写がありますよね。あれ美味しいのかな……。槙島さんはどう思いますか?」
「僕は疑問に思った事をそのままにしておくのが嫌いでね。だから試してみたんだ」
「それで……どうでした?美味しかったですか?」
「そんなに気になるなら君も実際に試してみたらいい」

 気のせいか、槙島さんが呆れたように笑いながら紅茶を啜ったように見えた。もしかして私、前のめり気味だった?そうでなくても少しはしゃぎすぎたかもしれない……。でも変に焦らす槙島さんも悪いと思う。恥ずかしくなって顔を隠すようにして俯きがちに紅茶に口を付ければ、不意に給仕ドローンが私たちのテーブルの前までやって来た。トレーに目をやれば、そこにはタイミングを読んだかの如く今まさに話題に出ていたマドレーヌが二つ。

「こうした試みは、作品の物語をよりリアルに感じさせてくれるだけじゃなく、経験や知識としても蓄えられる。自身で実感してみなくては、何も語れないだろう?」

 確かに槙島さんの言う通りだ。身を持って経験していない事は語ろうにも語れない。想像で補えない事もないがそれは所詮想像でしかなく、リアルには程遠い。結局のところ経験に勝るものはないという事である。
 つまり何が言いたいのかというと、私が今知りたいのは紅茶に浸したマドレーヌの味ではなく、口元に弧を描く彼の唇の柔らかさ。キスという行為がもたらす、私自身が今までに感じた事のない感情。
 想像しただけで体温が上がり、顔に熱が集中し、鼓動は速まる。私も疑問に思った事をそのままにしておくのは嫌いだ。でも、気持ちも伝えていないのにそんな事など出来るはずがない。でも、出来る事なら私は――。

「ふふ、君が何を考えているのか、おおよそ検討はつく」
「!っ、あの、」
「しかしどんな事だろうと疑問に思うのならまずは試してみるべきだ。それに……僕も君が思っているその疑問とやらには興味があるな」

 囁くようなトーンに体が強張る。
 屋外だけれどここは人通りが少なく、お店自体にも人は疎らだ。私たちのテーブルはお店の隅にあり、おまけに木々に囲まれていて幸か、あまり人目にはつかない位置にある。しかしいくらそんな状況とはいえ外は外。公共の場でそんな事をする勇気が私にはない。それなのに、射抜くように見つめられてしまえばそんな思いはゆっくりと崩れ去ってしまう。

 自分の鼓動に意識を全て持っていかれそうになりながらも身を乗り出してゆっくりとその唇に触れた。……柔らかい。しかしそんな余韻に浸る暇もなく後頭部をやんわりと固定されたかと思えば、角度を変えて、もう一度。

「!?」

 想定外のそれに一瞬にして頭が真っ白になり、何も考えられなくなってしまった。ただ感じるのは、テーブルの中央に置かれたマドレーヌよりも甘い何かに支配されているという事だけだ。
 初めて経験したからなのか、それとも色気を吐き出すようにわざとらしく音を立てて離されたせいなのか、私はただ何も言えずに恍惚としながら甘い吐息を漏らす事しか出来なかった。

「……どうだい?早速試してみた感想は」

 そんな槙島さんの声すらまともに入って来ない。私はただただ全身に力が入らなくて腰を下ろしたまま動けずにいるのに、目の前の槙島さんは動揺のひとつもないのはそれこそ経験や知識の差なのだろう。

「なんて、表情を見れば一目瞭然なのにこんな聞き方は少し意地悪だったかな」

 ああ、今の私はきっと真っ赤なトマトよりも顔を赤く染めているに違いない。事実、どうしようもないくらい体が熱くなっている。おまけに極度の緊張で喉が渇いてきた。冷めきっていない紅茶を飲んでも身体の熱は冷めないかもしれない。でも、それでも構わない。なのに体が言う事を聞いてくれない。

「僕はね、恋愛の類には比較的淡白な人間だと思っている」

 何も言えず硬直したままの私に悪戯心が湧いたらしい。槙島さんがからかうような笑みを浮かべながら私の頬に触れる。低体温の彼の手はひんやりとしていて気持ちが良かった。

「しかしこうも無防備だと、いくらそんな僕と言えど次に何もしないという保障は出来ないかもしれないよ」

 むしろそれでも構わない。今までに感じた事のない感情を教えてくれたのは他でもない槙島さんなのだから。

「……いい、ですよ……」

 私を満たしてくれる人がいるとしたら、それはもう槙島さん以外考えられない。
 やっとの思いで出た声は、消え入りそうなほどに小さかった。


2016/09/11
title:箱庭

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