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cry for the moon

 目を覚ましたら、見慣れない部屋のベッドにいた。

(ここは、どこだ……?)

 横になったまま頭だけを動かしてここがどこだか考えるも、ぼーっとして思うように思考が働かない。仕方なくゆっくりと上体を起こして状況を確認しようとすれば、刹那頭がずきりと痛んで思わず片手でぐっと押さえ込んだ。

「っ、」

――確か私は狡噛たちと一緒に槙島を追っていたはず。しかしそこからの記憶が全くない。至近距離まで彼が来たと思ったら急に口を塞がれて――。
 つまりこれは拉致――あの時彼に何かを嗅がされて気を失ってしまった、といったところか。そして恐らくここは槙島のセーフハウス。

(何やってんだ、私は……)

 犯罪者に易々と拉致されてしまうとは情けないにも程がある。
 とりあえずギノに連絡しなくては。そう思ってデバイスを起動させるも目に入ったのは『圏外』の文字。

「ハァ……」

 早々に諦めて、状況を整理する事に頭を切り替える。そもそも彼の目的はなんだ?……いや、それよりもまずは事実確認が先だ。

 痛む頭に刺激を与えないようにそっとベッドから出る。やたら広い部屋に、高そうなベッド――犯罪者のくせに私よりもいい部屋に住んでる事実にただ腹が立つばかりだ。
 複雑な気持ちを抱えながら、リビングらしき部屋を目指した。



「やっぱりあなただったのね……槙島」
「ようやく目が覚めたようだね。気分はどうだい?」

 ソファーで本を読んでいたらしい槙島は、私に気付くなり本を閉じて立ち上がった。

「どうもこうも最悪よ。これは一体どういう事なのか説明して」
「簡単に言えば、君とは一度ゆっくりと語り明かしてみたいと思っていたんだ。……とりあえず座るといい」

 「夕食が出来上がっている」と言いながら彼はダイニングテーブルのイスに腰掛ける。その姿を訝しげな表情で追いながらそのままテーブルに目をやれば、出来立ての料理が二人分並べられていた。――不覚にも美味しそうだ、と思ってしまった。
 しかし彼の注ぐ赤ワインが血を連想させ、その何とも言えない気持ちが緩んでいた気持ちを一気に引き締める。

「旧時代から、他人との効果的なコミュニケーション手段のひとつは食事だ。そして、君も少なからず僕に関心があるはずだ。乗ってみてはどうかな?」

 関心――確かに彼について聞きたい事や知りたい事はたくさんある。どんな些細な事でも、ここで何か知る事は少なからず捜査を進める上で役に立つはず。

「……これ、あなたが作ったの?」
「いや、同居人に頼んだんだ。今はもう席を外してもらってるけどね」
「……そう」

 何が目的なのか、やはり槙島の考えている事はさっぱりわからない。とはいえ「語り合いたい」という言葉が嘘だとも思えなかった。殺すならとっくにそうしているだろうし、ましてやこの料理に毒が仕込まれているなんて卑怯な手段は槙島らしくない。
 変な確信のせいで再び気が緩んだのか、そこでお腹が大きな音を立ててしまって、思わずそこに手を添える。そういえば拉致されてからずいぶんと時間が過ぎているらしい。外に目をやれば、いつの間にか日が落ちて月が顔を出していた。
 そんな私を見て、槙島は楽しそうに薄ら笑いを浮かべる。

「言っておくが君に危害を加えるつもりはない。今回の目的はお互いの理解だ。無論、この食卓に毒を仕込む意味もない。もし疑うなら毒見役を請け負ってもいい」
「その必要はないわ」
「ハハッ、ずいぶんと僕を信用してくれているようだ」
「別にそんなんじゃないわ。ただあなたはこういう卑怯な手段は使わないと思っただけ」
「ほう、少しは僕の事を理解しているというわけか」

 別に知りたくてそうなったわけじゃない。単に刑事として免罪体質である彼の事を調べていった結果に過ぎない。かといって本当にそれだけかと聞かれたら迷いなく否定出来ない自分がいるのも事実だ。つまり、彼に対して少しばかり特別な感情を抱いてしまっている。私自身がそうなった理由を知りたいくらいに、このような感情を持ち合わせている自分が信じられないでいた。

「ちなみに料理には全部本物の食材を使ってある。上質な食事と議論――早く味わわないともったいない」
「そうね。空腹を満たさなきゃ、語れるものも語れないわ」

 向かい合うようにして座れば、槙島が乾杯を促すようにワイングラスを持ち上げる。

「さあ、存分に味わうといい」

 私は犯罪者と何を呑気に食事などしているのだろうか。未だにぼうっとした頭でそんな事を思いながらも、掲げられたワイングラスに自身のグラスを当ててそのまま口へと含んだ。



「饒舌な君との会話はすごく充実していて、いい刺激になった。が、さすがに飲みすぎだ」

 酔いを覚ますべく休憩しようとソファーへと移動した私に、彼はそう言いながらペットボトルのミネラルウォーターを差し出してくる。

 あれから食事をしながらお互いの事やシビュラシステム、彼がよく読むという本の話から私の休日の過ごし方、哲学的な事から他愛のない事までいろんな事を話した。相手は犯罪者だというのに、こんな風に議論を交わす時間がとても有意義だと感じていた。
 そのせいか体調が良くないにも関わらずワインを飲みすぎてしまったため、さっきとは別の意味で頭がくらくらしていた。アルコールに免疫がないせいで今までにない感覚に戸惑うが、しかしとても気分がいい。

「食事に誘った僕がこんな事を言うのも何だが……潜在犯とはいえ、仮にも君は刑事だろう?そして君にとって僕は敵だ。そんな相手にこんな無防備に振る舞うなんて、少し警戒心が足りないんじゃないのか?」
「ねぇ、そんな事よりも……あなたってよく見るとすごく綺麗な顔してるのね」
「どうやらだいぶ酔いが回っているようだ」

 そう、完全に酔いが回ってしまっている。おかげでつい変な事を口走ってしまった。でも、これは実際前から思っていた事だ。犯罪者でなければ良かったのにと思ってしまうくらいには魅力的な何かがある。どこか、惹かれるものがある。
 槙島は私に向けて差し出していたミネラルウォーターをテーブルに置いて私の隣に腰を下ろす。

「君からそんな言葉が出てくるなんて、やはり少なからず僕に関心を持っていたという事かな」
「そうね、あなたの事、もっと知りたいわ」

 彼の横顔を眺めながら、長い襟足に触れる。痛みひとつない、銀色に染まる艶やかな髪に指を絡ませれば、するりと指の間を抜けていく。

「こんな風に僕に触れて、危険を恐れないんだね、君は。後悔しても知らないよ」
「頭ではわかってるんだけどね、」
「僕の何が知りたいんだい?」
「あなたの事なら、何でも知りたい……」

 正面を向いていた顔が私を捉えたと同時に、彼の唇に口づけを落とす。
 柔らかくて、温かくて、彼の事が心の底から好きなんじゃないかと強く思わされるような、言葉では言い表せない感情が湧き上がってくる。この感情の正体が何か、私にはわかっていた。しかしそれは認めてはならない。私が刑事である限り、彼が犯罪を犯す限り。
 ゆっくりと目を開ければ、至近距離で金色の瞳と視線が交わる。……何だか彼を見ているだけで、さらに酔いが回ってしまいそうだ。

「ふふっ、あなたも意外と無防備なのね」
「……さすがにこういうコミュニケーションは想定していなかったな」
「……こういうコミュニケーションは、嫌い?」
「いや……むしろあらゆる方法の中で一番単純でわかりやすく、なおかつ簡単に伝える事が出来る手段だと僕は思っている」

 あれだけ議論を交わしても、どれだけ彼を知っても、彼の纏う飄々とした雰囲気のせいで、まだ私の知らない彼がいるのではないかと思わされる。そういうミステリアスなところも悪くない。けれど今はもっと彼の事が知りたいと思っている自分がいる。
 そんな想いが行動となって表れたらしい。気が付けば彼の首に腕を回して、再びキスをしようとしていた。――が、寸前のところで阻止される。どこか冷めたような、鋭くなった眼差しを見た時、そこでようやく自分の行為を理解した。
 そのまま重心をかけられて、ソファーへと倒れる。押し倒された状態で見る彼は不思議と色気に満ち溢れて見えた。

「だが君と僕はあくまで敵対する関係だという事を忘れてはいけない」
「そうね。私とあなたが交わる事は決してないものね」
「でもね、こうして君を知る事が出来て、身近に感じられて、久々に心底楽しいと思ったんだ。とても充実した時間を過ごさせてもらった。感謝しているよ」

 私も、彼と同じ事を思っていた。けれどそれを口に出す事はなく、代わりに短い息だけを吐いた。

「君と恋人などと言った陳腐な関係になる気はない。今の関係だからこそ、この食事にも意味がある。むしろ、僕を殺すのが君である事を望んでいるくらいだよ」
「それは皮肉かしら?」
「ただの本心なんだが……そう捉えてしまうのも無理はないのかな」

 それもこれも、ドミネーターで裁けないのとはまた別の理由があるからなのだけど。潜在犯とはいえ、何でよりによって槙島なんだろうと思ってしまう。それは、好きになってしまったという意味でもあり、彼が免罪体質者であるという意味も含めて。
 覆っていた影がゆっくりと離れていく。口元を緩めて微笑むその顔すら、不思議と柔らかなものに見えてしまうから憎い。

「何か掛ける物を取ってくる。寝ている間に何かしようという気は毛頭ないから、ゆっくり休むといい」

 そう言って彼は部屋を出て行った。

「ハァ……。バカ、じゃないの……」

 もう、本当にどうしてくれるんだ。考えれば考えるほど自分の気持ちに収拾がつかない。やがて考える事自体が億劫になり、そんな思考をリセットするように目を閉じる。
 きっと明日になれば、今日の出来事は何事もなかったかのようにして過ぎていく。それが私と彼の運命だという事はわかっているのに、どこかやるせない気持ちがずっと胸につかえていた。

 ああ、このまま朝を迎えるのがたまらなく惜しい。


2016/09/02

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