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ぼくはベリーきみはジャム

無音の部屋に電子音が小さく響く。表示された数字を見ればほぼ平熱まで下がっていた。

「熱は下がったけど……まだ身体が痛い……」

熱を出したのはいつぶりだろうか。ここ数年無縁だった人間からすればそれはそれはつらかった。やはり人間健康第一だなということをしみじみと感じた時、少しだけお年寄りの気持ちがわかった気がした。私も着実に年を重ねているんだな……。
いつの間にか夕日は沈み、薄暗くなった部屋でため息を吐く。何だかんだでお昼過ぎからずっと寝ていたからそろそろお腹も空いてきた。何かあったっけな……。

「な、何もない……」

なまった身体に鞭を打ってこの数メートル歩いてきたというのに。簡単なものすら作れないほど空っぽになっている冷蔵庫を見て項垂れる。
幸いというべきか、ご飯はまだ炊飯器に残っていた。仕方ない、白飯だけで我慢しよう。そう思って食器棚から茶碗を取り出そうとした時、不意にインターホンが鳴った。
思考が覚めやらない状態で出ようとすれば、画面越しに立っている人物に思わず声を上げそうになった。だって、だって――

「か、風見さん!?」

ずっと家にいて人と会話していなかったせいか、はたまた来客の人物に驚きすぎたせいか、思いきりむせてしまった。画面越しから焦りと心配が入り混じった声が聞こえてくる。

「すみません、大丈夫です」
『それで体調の方はどうだ?その、降谷さんに見舞いに行ってやれと言われて……』

そう言う彼の両手には何やらスーパーの袋がいくつかぶら下がっていた。
上司に頼まれたから来たのか……。その一言に少し胸を痛めながらも、来てくれた事実が嬉しいことに変わりはなかった。人恋しくなっていたせいか、そんな些細なことですら涙が出てきそうになっている。

「熱は下がったんですけど、まだ身体の方がだるくて……あ、今開けに行きますね」



「とりあえず薬とスポーツドリンクとフルーツ、あと色々食材を買ってきた。と言っても買ってきたのは降谷さんで、自分はそれを持ってきただけなんだが……」

申し訳なさそうに言いながら、ひとつひとつをテーブルに載せていく。

「そんな。すごく助かります。食べる物もちょうど今から作ろうと思ってたんですけど食材がなかったので」
「そうか」

風見さんが出していく食材を眺めていれば、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、お肉、カレールー……と見事にカレーの材料が揃っていた。

「これはカレーを食って精をつけろ、という降谷さんからのメッセージかな……」
「さすが降谷さんだ」

真面目な顔で感心している風見さんが何だか可愛くておかしくて思わず笑みがこぼれてしまう。風見さんってすごく真面目で堅物に見えるから、上司である降谷さんにたまに注意されて落ち込んでる姿が新鮮でそのギャップが密かに好きだったりする。

「どうした?」
「いえ、なんでも」

正直お粥にも飽きてきた頃だったし、普通の食事がしたいと思っていたから内心とても嬉しかった。カレーなら切って煮るだけだから簡単だし。
風見さんと話していたら少し楽になったし、早速作ってしまおう。

「じゃあ早速作っちゃいますね。もし良かったら風見さんも――」

そこまで言いかけてハッと我に返る。いやいや私一応まだ病人!風見さんをいつまでもここにいさせるわけにはいかない。

「いや、何でもないです。うつしたらいけないので今日はもう帰ってゆっくり休んで下さい」

せっかく来てくれた人を追い出すみたいで心が痛むし、本音を言ったら本当はもっといて欲しいけど。風邪を引いて休んで会えない方が嫌だ。促すように背中を押せば「そういうわけにはいかない」と使命感に満ち溢れた表情をしていた。

「君はまだ病人だ。まだ大人しくしていないとまたぶり返すかもしれないだろう」
「それは……そうですけど……もうだいぶ良くなりましたし」
「ここは自分が作るから君は出来るまで休んでいろ」
「え、風見さん料理出来るんですか?」

驚いてワントーン大きめの声で風見さんを見れば、急にばつが悪そうに黙り込んでしまった。

「……いや。だが問題ない。カレーくらい作り方を見れば作れる」
「そ、そうですか?じゃあお願いしてもいいですか?」
「ああ」
「ありがとうございます。じゃあスーツの上着、預かりますね」
「すまない」

脱いだそれをハンガーに掛けながらちらりと見やれば、黙々とカッターシャツの袖をまくっている姿が目に入る。……何だか妙に心臓がうるさいのはきっと気のせいだ。落ち着かない鼓動に気付かないふりをして、引き出しから取り出したエプロンを渡す。

「これ、使って下さい。汚れたらいけないので」
「ありがとう」
「結べます?」
「……頼む」

何これ、夫婦みたいじゃん、なんて場違いなことを考えている思考を消すように頭を振るも、振り返った風見さんを見て呼吸がヒュッとなるのを感じた。だって、これは、

「想像以上に似合いすぎてる……」
「エプロンなんて初めてしたから何か変な感じだな。さあ、君は大人しく部屋で待っていてくれ」
「え、でも」

料理出来ないんじゃ……と言いそうになるのを抑える。そんな私に気付いたのか風見さんは「そんなに不安か」と寂しそうにこぼす。正直風見さんを見ているととても器用そうには見えない。心配だし不安だし気が気じゃないけど……風見さんが作った料理が食べられると思えば。待っている時間すらも私にとってはかけがえのない時間だ。

「そんなことないです。じゃあ向こうで待ってますね。くれぐれも怪我には気を付けて下さいね」
「……努力する」



あれから何分、何時間経っただろうか。待っている間手持ち無沙汰だったせいか、風見さんのことばかり考えていたら考えすぎて疲れて、気付けばいつの間にか寝てしまっていたらしい。時計を見れば風見さんが支度に取り掛かってから3時間を過ぎていた。どんだけ寝てるんだ私は。
微かに香るカレーの匂い。とうに出来ているはずだろう。とりあえず風見さんに謝らなれば。慌ててリビングへ行けば意外にもタイミングよく出来上がったようで、テーブルに並べているところだった。

「ああ、良かった。さすがに女性の寝室に入るのには抵抗があってな……」
「すみません、すっかり寝てしまってました」
「構わない。それで、出来たには出来たんだが、その……」

何か言いづらそうに、大きく肩を落とす。確かに具材が大きくてちょっと歪だけど、それ以外に特に悪いところは……

「あ」
「本当に申し訳ない。水の量を間違えたようで……」
「いいですよ、全然。何より風見さんが私のために一生懸命作ってくれたってことが嬉しいから」
「っ、みょうじ?」

絆創膏が貼られた指に触れる。あれだけ怪我には気を付けてって言ったのに。でも、彼なりに一生懸命やってくれたのがわかるから。それが嬉しくて嬉しくてたまらないのだ。
骨ばっていて、それでいて長くて綺麗な指。もっと、もっと触れられたらいいのに。

「風邪、うつしちゃいたいな……」
「みょうじ……?」

全部熱のせいにしてこのまま目の前の胸に飛び込めたらいいのに。こういう時、手慣れた女の子なら計算しながら出来ちゃうんだろうなぁ。風見さん真面目だからからかい甲斐がありそうだし。バカになりきれない自分を悔しいと思ったのは初めてだ。

「なーんて、まだ熱下がってないのかも。変なこと言いました、忘れて下さい」

困惑しつつほんのり頬を赤らめるなんてずるい。本当はその困った顔、もっと困らせたいのに。なんて言いながらも、私も柄にもないこと言って内心すごく焦っているんだけど。
これ以上頭を悩ませたら本当に熱がぶり返しそうだ。
熱くなった指先は私か彼か。気付かないふりをしてさらさらのカレーに口をつける。やっぱり少し味が薄くて、優しい味がした。


2020/04/17
title:金星

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