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今宵、きみはぼくの夢をみる

 これで何本目だろうか。目の前に転がるビールの空き缶を眺めながらまた一つ、缶の蓋を開ける。飲んでもこの気持ちが消えるわけではないとわかっているのにその手は止まらない。飲んで忘れたいのにこういう時に限って酔えないから困ったものだ。ハァ、とため息をひとつ吐いて膝に顔を埋める。

 昨日、この仕事に就いて初めてミスをした。正体がバレそうになったという、潜入捜査としては初歩的で致命的なミス。まあ厳密に言えばバレそうになっただけで結果としてはバレてはいないし、自分だけでどうにかやり過ごす事が出来たのだけど――いつだって完璧を求め一つのミスも犯さず結果を残してきた私にとって、それは自分の存在価値を根底から否定されたようなものだった。
 初めて経験するそれに自分ではどうしていいかもわからなかった。

「ただいま」
「……零……。おかえり」

 零が帰ってきた事にも気付かなかったほどに深い自己嫌悪に陥っていたらしい。ゆっくりと顔を上げて零を見れば、上着を脱ぎながらすぐに「何かあっただろ」と私を見る。

「……別に、何も」
「嘘ばっかり。普段はビールなんか飲まないだろ」

 床に置きっぱなしになっていたコンビニの袋を手にして空き缶を袋に捨てていく零を横目に、私はまたビールに口をつける。……やっぱりビールは美味しくない。

「こんなに飲んで……何かあった?」
「だから別に何もないよ」
「俺にそんな嘘が本当に通用すると思ってる?」
「…………」

 仕事ではその洞察力に助けられているけど、プライベートでもこうだと何だか居心地が悪い。もう、完全に見抜かれてる……。

「なまえ、」
「何?」
「俺ってそんなに頼りない?」
「そんな事、ない」

 零の事をそんな風に思った事は一度もない。いつだって仕事に全力で的確な指示やアドバイスをくれる。私はそんな零を尊敬しているし、常にその背中を追っている憧れの存在なのだから。

「なまえの仕事に手を抜かないところは尊敬してるしそういうなまえが俺は好きだけどさ、もう少し肩の力抜いてもいいんじゃないか?」
「…………」

 そう言われるも、私にはそれが出来ない。何も言えずにただ黙っていれば急に手を握られて「俺たちの関係は?」と問われる。

「仕事の同僚……で、恋人……」
「その通り。……ちゃんと聞くから、何があったか話して」

 零のいつになく踏み込んでくる姿勢に圧倒されてしまって、仕方なくそのままミスした日の事を話した。

「――だから、もう自信なくなって、」

 話してる途中で自分でもよくわからない涙が出てきて、零に見られないように必死に隠して止めようとしたけどなかなか止まってくれなかった。零に初めて弱音を吐いた自分を見られただけでも格好悪くて嫌なのに、あまつさえ泣くだなんて。
 そんな顔を見られないように俯いて鼻をすすっていれば、肩を抱き寄せられてそのまま零の方へと体が傾く。「気にしすぎだよ」と頭上で柔らかい声音で呟く声が聞こえるが、ミスなどした事がない零だからそんな事が言えるんだよ、とひねくれた事を思ってしまう自分は本当に可愛くない。

「……私は、気にするの……」
「ハァ……、なまえって案外面倒くさい人間なんだね」
「なっ、何よ、その言い方……!」

 わざとらしくため息を吐き辛辣な言葉を浴びせてくる零に、酷い泣き顔だという事も忘れて睨みつけようと顔を上げた刹那、うるさい口を黙らせるかのように零のそれで唇を塞がれた。

「!」

 でもそれは触れるだけですぐに離された。――吐息が触れ合う距離で、視線が合う。それに、少し無防備になっていたのかもしれない。何かを言うほどの間もなくすぐに零の唇が再び触れた。そのまま角度を変えて長く、じわじわと私を侵食していく。あれだけ飲んでも酔わなかったのに、絡まる熱い舌先に頭がぼうっとして酔いに似た感覚を覚える。
 泣いていた事すらも忘れてしまうそれに、溶かされるようにして徐々に力が抜けていくのがわかった。

「はぁ……、」

 お酒のせいか、交じり合う吐息にいつも以上に頬が熱い。私の目尻を拭いながら「面倒くさいなまえにはこれが一番効果的だな」なんてからかうように言う零に何かを言う気にもなれなくて、そのまま零の肩に頭を預ける。

「……俺は、なまえが悩んでる時には力になりたいと思ってるし、つらい時にはそばにいたいと思ってる。そういう時に支えになるのが恋人の役目だと思ってるから」

 その優しい言葉に零の大人の余裕を感じてちょっと嫉妬する。私なんて自分の事でいっぱいいっぱいなのに。でも、その言葉は何よりも嬉しいし心を軽くしてくれる。
 「ありがとう」と服をつかむ手に小さく力を入れれば、零はぎゅっと抱きしめる力を強くする。

「……ねぇ、今日はこのまま寝てもいい?」
「寝るならちゃんとベッドで寝なよ。明日も仕事なんだし」
「今日は零の腕の中で眠りたい気分なの。ダメ?」
「へぇ。いつになく甘えるね」
「零のせいだよ」
「何それ」

 なんて言いながらも「しょうがないな」と続けて、ソファーにある毛布を取って包み込むようにして掛けられる。
 弱音を吐いて吹っ切れたのか、泣いてすっきりしたのか、お酒のせいなのか、無性に零が恋しい。

「まあ、なまえが安眠出来るなら、朝までずっとこうしててあげるさ」

 「だから、早く寝な」と子供を寝かしつけるように背中をポンポンとさすられる。その温もりは今までの沈んでいた気持ちを全て消し去ってくれるほどに優しくてあたたかい。無意識に「好き」とこぼせば「知ってる」と一言返される。……知ってる、か。
 やっぱりまだまだ零には追いつけそうにない。きっと追いついても敵わないのだろう。でも、その方が私を高めさせてくれるからいいのかもしれない。

 零の優しさと体温を体全体で感じながら、私はゆっくりと目を閉じた。


2016/03/05
title:鈴音

人前で弱音を吐かない夢主が仕事でミスをして自信喪失してるところを降谷さんが慰め、励ます

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