Detective Main

溶けるハートと恋したリップ

 2月14日、バレンタイン――世の恋する女の子にとっては男性に想いを伝える一大イベントの日。
 街やお店はバレンタイン仕様で盛り上がりを見せているが、私には全く関係のない、普段と何も変わらない一日にすぎなかった。といっても本命をあげる相手がいないだけで、梓ちゃんと友チョコを交換したりと少なからずこのイベントに乗っかってはいた。それもそれでどうかと思うが、かわいそうだと思われるのは不本意だ。

 バイトの時間を終え、梓ちゃんにもらった紙袋を手にしながらご飯の前に少しつまんじゃおうかな、なんて思いながら家へと向かっていた。けれどアパートの前に見覚えのある白い車と無駄に整った顔をしている人が目に入り、思わず足を止めてしまった。……失敗した。知らないふりしてそのまま家に入れば良かった。

「おかえりなさい」
「……何か用ですか、安室さん」
「なまえさんにぜひお渡ししたい物がありまして……少しお時間よろしいですか?」
「どうせ嫌って言っても聞かないくせに」
「安心して下さい、いきなり女性の家に上がり込んだりはしませんから」
「当たり前よ」

 ていうかいつ部屋に上げるなんて言った。最初からその気なんてないから。安室さんって普段は紳士で控えめな感じなのにたまに図々しいところがあるからムカつく。
 「では僕の車に」と言われて、乗り気じゃないが仕方なく後をついて行って助手席に乗り込む。

「……で、渡したい物って何?」
「これです」

 そう言って差し出してきたのは落ち着いた色味ながらも存在感のある、おしゃれにラッピングされた箱だった。

「何これ」
「僕からのプレゼントです。逆チョコ、とも言うみたいですね」
「……何を企んでるのよ」
「酷いですね、何も企んでませんよ。……とりあえず開けてみて下さい」

 その貼り付けたような笑みが信用出来ないんだっつーの。ため息を吐きながら視線を安室さんから、手にしている箱に移して言われた通りラッピングを解く。

(!これは……!)

 露になったそれに不覚にも一瞬気分が上がってしまった。なぜならそれは、ずっと前から食べてみたかったけど高くて手が出せなかった有名ブランドの超高級チョコだったから。

「ささやかですが良ければ受け取って頂けませんか?前に食べてみたいって言ってましたよね」

 確かにそんな事を言った。今も喉から手が出るほど食べたくてたまらない。だけどこのタイミングでこれは、ますます何かを企んでいるとしか思えない。食べたら負けだと、私の第六感がそう告げていた。

「……絶対何か裏があるに決まってる」
「僕からのプレゼントという事では受け取れませんか?」
「安室さんじゃなかったらそれはもう喜んで受け取ったんですけどね」
「僕ってそんなに信用ないですか?」
「……何考えてるか知らないけど、物で釣ろうとしたって無駄よ」

 チョコの甘い香りに誘惑されないように、安室さんに視線を集中させてそう言い放つ。

「まったく……なまえさんは勘が鋭くて困る」

 その言葉とともに手に持っていた箱は私の手から安室さんの手に渡った。ていうか意外とあっさりと認めやがったな。
 以前から安室さんの紳士な振る舞いには疑念を抱いていたが、やっぱり間違いではなかったらしい。とんだ腹黒野郎だ。

「気付かれてしまったのなら仕方ないですね」
「!?んぐっ、」

 怪しい笑みを浮かべたと思ったら安室さんは手にしたチョコを強引に口の中に入れてきた。こいつ開き直ってる……!なんて心の中で悪態をつくも、入れられてしまったら反射的に噛まずにはいられない。安室さんにしてやられた事ももちろんだが、そのチョコが想像を裏切らない美味しさだったから余計に悔しくてたまらない。
 みるみる口の中で溶けていき、その甘さに正常な思考を奪われそうになるも流されないようにと理性を保ちながら安室さんを睨みつける。

「……何が目的?」
「それはもちろん……なまえさんからのお返しです」

 なんだそれ、強引に食べさせといてよく言うわ。図々しいにもほどがある。

「よくもまあ堂々と。逆チョコした上に自分からお返しをねだるなんて男としてみっともないと思わないの?大体、安室さんならチョコなんて手に収まらないくらいもらい放題でしょうに」
「好きだと思ってる人からもらえなければ何の価値もないですよ。それに僕が欲しいのはチョコではなくなまえさんの"お返し"です」

 自分でこんな事を言いたくはないが……この男どんだけ私からのチョコを欲してるんだ。大体、高級チョコに見合うお返しって一体何?三倍返しなんて出来ないし絶対にしたくもない。それに安室さんの事だからまだ何か企んでいるに違いない。

「それで?私は一体いくら分のお返しをすれば安室さんを満足させられるんです?」
「値段は関係ありません。僕が欲しいものはお金では買えない、チョコよりもずっと甘いものですから」
「は?意味がわかんな――!?」

 おもむろにチョコを一つ手に取り自身の口に含んだと思ったら、急に後頭部を引き寄せられてそのままキスをされた。ビックリして何とか引き剥がそうとするも逆に強く引き寄せられてしまい、ゆっくりと、角度を変えながら段々と深い口付けに変えていく。
 甘いのはキスかチョコかなんてもうわからない。ただ、その甘ったるい刺激に徐々に力が抜け、一度理性を手放したら一気に全身が溶かされてしまいそうだった。

「んっ……ふ、ぅ……、はぁ……、」

 仄かに香る甘い口内にとろけそうになりながら酸素を求めて口を開ければ、待ってましたと言わんばかりに安室さんの口に含まれていた溶けかけのチョコが口の中に転がってくる。けれど熱を持った舌の上ではそれはあっという間に溶けてしまって。何もかもが甘くて、恥ずかしくて、安室さんの顔が見れなかった。

「はぁっ……、」

 チョコが溶けたと同時に唇が離された時には、口の中も頭の中も甘さで埋め尽くされていた。肩で息をしながら熱を帯びた体を必死で冷まそうとしていれば、安室さんの至極満足そうな、勝ち誇ったような顔が目に入る。
 最初からこうする気だったと、何か企んでいると、勘付いていたのにしてやられせいで悔しさは倍増する。でもそれ以上に安室さんの事しか考えられなくなっている自分に嫌気が差す。

「……好きです、なまえさん」
「…………」

 それなのに「私は好きじゃない」と即答出来ず言葉に詰まるのはなぜ?顔の火照りが治まらないのはなぜ?キスをされた時のあの感触が離れないのはなぜ?
――その答えなんか、知りたくもない。いっそ知らないままがいい。

(それに気付いた時にはもう、遅いのだから)


2016/02/06

back
- ナノ -