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A ray of sunshine

 最近、仕事が上手くいかない。というより上司との関係が上手くいかない、が正しいかもしれない。
 勤務している会社に入社してもう5年は経っていた。もちろん5年もすれば仕事の流れや要領も得てそれなりにそつなくこなせる。けれど入社してからずっとお世話になっていた上司が異動してしまい、変わりにやって来た新しい上司になってから私は毎日残業続きだった。役立たずのくせに威張る上司に、肉体的疲労以上に精神的に疲労困憊だった。

 今日も帰宅したのは日付が変わった頃だった。お風呂すらも面倒で、長く深いため息を吐きながらベッドへと体を投げる。

(零君はまだ起きてるのかな……)

 こんな時頭に浮かぶのは恋人である零君。以前、仕事に関しては守秘義務があるから口外は出来ない、というのを聞いたから詳しくは聞けないけど……ちゃんと休んでるのかな……。……なんて心配する思いとは裏腹に、鞄から携帯を取り出してアドレス帳の画面を表示する。

(会いたいなぁ……)

 零君の声が聞けたら、一目会えたら、それだけでまた頑張れるのに。でも零君も忙しい事を考えたらとても自分からは連絡出来なかった。
 今日はもうシャワーだけでいいや、とため息をついてのそのそと重い体を起こせば、不意にバイブ音と共に携帯の画面が光る。ゆっくりと手にすれば、表示された名前に思わず目を見開いた。私の気持ちを読んだような絶妙なタイミングに歓喜しつつも、切れないうちにと慌てて出る。

「れ、零君!?」
『何でそんなに驚いてるんだよ。……まあ、無理もないか。しばらく連絡出来なかったし』

 どうしよう……零君の声を聞いただけで涙が出そうだ。おかしいな、元気になれると思ったのに……今の私にはそれがたまらなく心にしみる。震えそうになる声を抑えながら「仕事の方は平気なの?」と聞けば「それはなまえの方じゃないのか?」と返される。

「え……?」
『声聞けばわかるよ』

 優しい声音でそう声をかけられたのをきっかけに、出そうになっていたそれはいとも簡単に滴となってシーツへと吸い込まれていった。……ああ、ダメだ、今すぐ会いたい。会ってぎゅっとして心の疲れを取り去って欲しい。

「……零君……今から会えな――」
『待った』
「え?」
『それ以上は言うな。とりあえずそのまま家にいろよ、すぐ行くから』
「え、わ、わかった……」

 零君はそう言い残して電話を切った。言われるがままに返事しちゃったけど、もしかして心配かけちゃったかな……零君鋭いし……。とにかく零君の前では疲れた顔は見せないようにしなきゃ。涙を拭い、気合いを入れるように頬を軽く叩いてから頭を振った。



 それから10分もしないうちにインターホンが鳴り響く。久しぶりなせいか妙に緊張する気持ちを落ち着かせるように、深呼吸をしてからドアを開ければ目の前には焦がれていた零君の姿があって、それを見ただけでまたしても視界が滲む。

「……零、君……」

 力のない声で名を紡ぎ出せば、ドアが閉まったと同時に柔らかな温もりに包まれた。久しぶりに感じる零君の匂いと体温にひどく安心感を覚えながらも、それ以上に涙が溢れ出て止まらなかった。弱った姿は見せたくないとか、そんなプライドすらも忘れるほどにただただ零君の背中に回した腕に力を込める。

「……なまえ、今日は何もかも投げ捨てて泣きたいだけ泣け。俺が全部受け止めるから」

 「溜め込むのは体に良くないぞ」と私の背中をポンポンと叩く。――気付けば私はずっと無理をしていた気がする。零君とはお互い忙しくてしばらく連絡がとれなかった上に会えない日が続いて。その矢先に上司が変わって精神的に参る日が続いて。でも重荷になりたくないから、弱った自分は見せたくないから、自分の気持ちに見て見ぬふりをして。だけどそんな私の事を零君は声を聞いただけでわかってしまう。どう取り繕っても最終的には見抜かれてしまうのだ。……本当に、敵わないな。

「こうしてれば泣き顔も見えないから。な、」

 こぼれ落ちる涙で零君の肩が濡れるのもお構いなしに、しばらくの間嗚咽した。



 あれから気が済むまで泣いたあと、涙が乾くまで零君はずっと抱きしめていてくれた。おかげですごく気が楽になった。小さく深呼吸をして背中に回していた腕を解いて顔を合わせる。

「……ありがとう、零君。もう大丈夫」

 心からの笑みを見せてお礼を言えば「でも顔は大丈夫じゃないな」と困ったように笑いながら目の下を指の腹でなぞられる。

「パンダ目になってる?」
「いや、そうじゃなくて……これじゃ明日の朝は確実に腫れてるだろうなーと思って」

 確かにこれだけ泣いたら、想像すら出来ないくらいひどい顔になっていそうだ。大人になってから人前でこんな風に泣いたの初めてだしなぁ……。

「そうかもしれないけど……いいよ、別に。明日休みだから」

 どっちにしても家から出ないで部屋の掃除や溜まった洗濯をしなきゃと思ってたし。吹っ切ったように言えば零君は「そういう事でもない気がするけど……」と呟きながら続ける。

「とにかくちゃんと休めよ」
「それは零君の方だよ……明日も仕事なんじゃないの?」

 休みがないのにこうして会いに来てくれた事は本当に嬉しいけど、無理はして欲しくないのも事実。

「そうだけど、俺の方は心配ないから」
「そっか、」

 零君は頷いて「……じゃ、そろそろ帰るな」と言って私の頭を撫でる。

「俺が帰った後の戸締まり忘れるなよ。……おやすみ」

 前髪が浮いたと思ったらそのまま額に口付けが落とされる。
 久しぶりに直接触れる熱にくすぐったさを感じながら、「じゃあな」と再度頭をポンポンとして出ていく零君に私は「おやすみなさい」と小さく手を振って見送った。


2015/12/17

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